寝つけない二人⑦
今朝教室に入ると、ナルがおそるおそる声をかけてきた。昨日は母さんとはなんともなかったか、などと聞いてきたので、ことの顛末を話したら、しおらしく謝られた。母さんに僕のしていることを色々話した時、不穏な空気を感じ取ったらしい。その予感は的中したわけだが、別にナルを恨んではいない。地雷は誰にだって見えないものだ。
これからどうするの、とナルは心配した様子で尋ねた。まだ僕のしていることに反対しているのであれば、こんなことは聞くまい。どうやらナルは昨日の僕の言葉に納得してくれたようだ。
「ちゃみかんに住んでる人に会いに行く。ひょっとしたら、それで知りたいことが全部わかるかもしれない」
カスカの名前はあえて伏せた。夢の内容が内容なだけに、変に心配されたくなかったからだ。
「……それ、私もついて行っていい?」
そんなことを言われるとは思ってなかったので、僕は目をぱちくりとさせた。わけを聞いても女の勘がどうだとかでうまくはぐらかされるし、一方でナルの方は上目づかいで「ねえ、だめ?」と押してくるものだから、結局僕とナルは学校が終わると、自転車でちゃみかんに向かって並走していた。
長い坂道をお互い息を切らしながら上りきると、ちゃみかんには先客がいた。
まず目に留まったのは、いかにも高そうな赤いスポーツカー。その脇には細身の中年男性が立っていた。格好は何とも特徴的で、太陽光が反射しそうなくらいきれいにそり上げた頭に、目にはサングラス、上下はアロハシャツに短パンと夏を先取りしすぎていて、じゃあ首には花輪でもかけているのかと思いきや、代わりに色とりどりの宝石をつないである数珠を身に着けていた。
ナルが僕に目くばせで、あれが住人かと聞いてくる。僕は首を横に振った。一度見たら忘れられないような出で立ちをしているが、今日で三度目となるちゃみかん来訪のうち、彼に関する記憶はない。
あまり関わりあいたくないから、会釈だけしてさっさと通り過ぎようと試みる。しかし目が合った瞬間、男のほうは「おっ!?」とわざとらしいぐらい大げさに驚いた。
「ちがうちがう! 確かにそれっぽいけど、ここはラブホじゃねーよおまえさんがた!」
目が点になった。ナルは耳の先まで真っ赤にして顔を伏せている。
「いやいやいや僕たちそういう関係じゃ一切ないですし! ここの住人に会いに来ただけで!」
男は「住人?」と一瞬首をかしげたが、すぐに「はは~ん」と自分の顎を指でつまむようになぞり始めた。
「だはは、いやはやすまない! そっちね、そっちの方ね! だったら俺と一緒だ」
どっちだよとツッコみたくなるが、続く言葉で理解する。
「実は俺もさ、きちゃったんだよな~アンテナが。ここは『出る』って、びびっと」
「出るって、何がですか」
「そりゃあおまえ」
男性は僕にずいっと顔を近づけ、にっと笑う。驚くことにあちこちの歯が金歯になっていて、一斉にぎらりと光った。
「『出る』といえば茶菓子か幽霊に決まってるだら」
……つまりなんだ? このおじさんは心霊スポットを巡りに来ていて、僕らもそうだと勘違いされているということだろうか。
「おまえさんがた良い勘してるよ。ここは出るぜ。俺が言うで、間違いなく出る。今もどっかいるはずだけど、こりゃ隠れてるな」
ナルの方にちらっと目をやる。一見平然を装っているが、それなりに付き合いがある僕からすれば、全身の毛を逆立てた猫のごとく警戒心を露わにしているように見える。そういう態度を露骨に表すようなやつではないのだ。実際僕と目があうと、一瞬だけ眉間に皺を寄せて、早く切り上げろと無言で訴えかけた。
その望みは、僕が何か行動を起こすよりも早く、相手の方から叶えてくれた。
「臆病な『住人』なら、すぐにどうこうする必要もなさそうだし、俺は一旦帰るけどよ。おまえさんがた、来るなら夜の方がいいぜ。環境が整ってないと素人にはなかなか見えないもんだ」
それじゃあなと僕の肩をぽんぽんと叩いて、男は車に乗り込み、荒っぽくハンドルを切って山の上の方へと駆けていった。
赤いスポーツカーが見る間に視界から消えると、ナルが大きなため息を一つついた。
「苦手なのよね、ああいうおかしな人」
まあまだ春だからさ、と不機嫌なナルをたしなめる。
それにしても、ちゃみかんが心霊スポットになっているとは知らなかった。ただそうなった原因は考えられる。まずは荒れているせいで、ちゃみかんの見てくれがまんま廃墟であるということ。そして、カスカの存在だ。人の住んでる気配が何もないのに、たとえば通りがかった人が窓の向こうに佇むカスカを見てしまった場合、幽霊と勘違いしてもしょうがないと思うのだ。実際僕もカスカが家から出てきたときはかなり驚いたし。
もしああいう人がこれからも来るようなら、カスカにはいい迷惑だろうなあと同情しつつ、気を取り直して僕とナルはちゃみかんに向かった。
玄関の前に立ち、インターホンがないのでノックしようとして、はたと視界の隅にとらえたものに気づいた。
いつの間に現れたのか、カスカが僕とナルの横に立っていた。僕は慌ててカスカの方へ向き直った。最初に出会った時の、ピンク色の寝間着姿だった。
「ほらナル、この人がそうだよ」
ナルは僕が手で示した方向に頭だけ動かす。
そして今度は僕に顔を向けて、なぜか肩を竦め、やれやれと頭を横に振った。
「悪いんだけど、私幽霊って全然信じてないんだよね」
背筋が凍りついた。ナルの言っている意味がわからなかった。いや万が一の、だけど誰に話しても鼻で笑われるような可能性が鎌首をもたげ、全身の血が引いていくのを感じていた。硬直する僕をナルは訝しみ、更に言葉をつづけた。
「私を怖がらせようとしたんじゃないの? さっきのおじさんの話に便乗して」
目をこすっても、ナルを挟んだ向こう側にやはりカスカは立っていて、カスカも僕をじっと見つめている。僕は一瞬の逡巡の後、「バレたかぁ、たはは」と頭をかいた。
「あんたの方からからかうなんて、100年早いのよ」
デコピンを食らう。大した威力じゃなかったけど、額を抑え大げさに痛がって見せる。動揺が少しでも気取られないように。
ナルには見えていないのだ、カスカが。
僕は、もう一度カスカの方を見る。
人形の家の主は、憂いのある笑みを浮かべていた。
白い少女は、もうこの世にいなかったのだ。