寝つけない二人⑥
バリバリバリ、と紙が裂ける音がして目が覚めた。ぼやけた頭を天井の方向から横に向けると、自分の部屋の扉が開いていて、ついでに向かいの書斎の扉も開いていて、中の様子が見えた。
音の正体は備え付けられたシュレッダーの唸り声で、使っているのは母さんだった。僕の母さん……望月恵子は保育士で、家から一時間以上もかかる山の上の保育園の副園長を務めている。母さんの歳では早い出世らしいが、七三にきっちり分けたショートボブカットの印象通りの、生真面目な性格を評価されたのだろう。書斎は父と母の共用だが、棚に並べられた本の八割ぐらいは保育に関係するものだ。シュレッダーも母が購入したもので、なんでも家で仕事をするのに、最近は個人情報が少しでも乗っている書類は安易に捨てられないからというワケだと言っていた。
時計を見ると夜の9時をまわっていた。それを知ると途端にお腹がすいて、僕は母さんを呼んだ。
「あら、うるさくて起こしちゃった?」
手に持っていた書類を全部細断した後、母さんは部屋に入ってきた。
「それはいいけど、もう腹が減ってさ」
「顔色よくなったね。鍋焼きうどんつくってあげようか」
麺類は大好きだ。是非ともとお願いしたとき、舌の裏から滲みでた唾がとんだ。
しばらくして母さんが持ってきたうどんを、火傷しないよう何度も息を吹きかけながらすする。間に合わせで作ったはずなのに、三つ葉や卵、惣菜の天ぷらまで入っていて豪華だった。「おいしい?」と聞く母さんに、うどんを頬張りながらこくこくと肯く。母さんはなぜか、うどんを食べ終わるまでずっと僕のそばにいた。
「ところでね獏也、あなたの机の上にあったノートだけど……」
飲んでいた水を噴き出しそうになる。もしかして見たのか。黒板の写しとは違うんだし、まして夢の内容を書いた日記なんて、親に自分の頭の中を覗かれているようなものだ。これほど嫌なことはない。僕は怒ろうとコップから口を離したが、母さんはそれより先に言葉をつづけた。
「捨てちゃったから、さっき」
凍りついた思考に、目を覚まして最初に目に映ったシーンが割り込んできた。それを信じたくなくてベッドから跳ね起きた僕は、母さんを突き飛ばし、シュレッダーの屑入れを取り出した。一番上にある紙屑を手ですくい、何が書いてあるかは全然わからなかったが、ところどころで判別できた僕の筆跡と、ご丁寧にもノートの表紙まで細断したおかげで他とは色も厚みも違う紙屑が混ざってたから、僕の夢日記はもうないのだと自覚せざるをえなかった。
「なんでだよっ!」
僕は母さんに詰め寄り紙屑を投げつけた。母さんは顔にかかったそれを何も言わず払った。
「鳴子ちゃんに話は全部聞いたから。世話になってた先生には私から連絡を入れといたよ、もう息子には会わないでくださいって」
「ちょっと待てって――」
「この話はおしまい。明日は学校行かせるから早く寝なさい」
「だからなんで――」
「なんでもなにもないの!!!!!」
その一喝のせいで、僕の中にゴウゴウと燃えていた怒りは水を打ちかけられたかのようにしぼんでしまった。母は今までの無表情から一転、底に湛えていた憤りが爆発して表れたかのようだった。
「くだらないことでいちいち体調崩されたらこっちも迷惑なの! あなたは金輪際、今見ている夢のことを調べようとしちゃいけない。もし次に同じような日記が見つかったら、家から追い出すからね」
母さんはピシャリとそう言い放ち、部屋から出て行った。階段を駆け足で下りる音が聞こえなくなるまで、僕は閉じた扉の前で呆然と突っ立っていた。
母さんは厳しい性格をしているが、あれほどまでに怒り狂ったのを見たのは一体いつぶりだろうか。何が怒りの琴線に触れたのだろう。口ぶりからして、夢日記をつけたり先生に話を聞きに行っていた、今見ている夢の内容を調べる行為がよくなかったらしい。
夢の内容とは、すなわちちゃみかんと白い少女のことだ。母さんはひょっとして、僕とちゃみかんや白い少女との関係を知っているのではないだろうか。しかし母さんはそれを隠そうとしている。なぜか。
「…………」
ただ悪いけど、僕の知りたいことは、既に手の届くところにある。ちゃみかんも白い少女のことも、明日カスカに会って話を聞けばすべてわかる。いくら叱られたといって、ここまできて引き下がる気は毛頭なかった。
全てを知れば、悩みも晴れる。もう夢を見ることはないだろう。




