寝つけない二人②
小学生から高校生になっても変わらないものの一つ――女子は机を寄せて昼食を食べないと生きていけない。町川鳴子も多分に漏れず、集まった七つの席のうちの一つに座って昼休みを過ごしていた。こうして女子の中にグループがあるのも昔から同じだ。ちなみに鳴子が所属するのはクラスで最も大きなグループで、かつ鳴子はわざわざ席を動かすことも、他人の席に座る必要もない人間だった。ご飯を食べている最中も食べ終わった後も、必ず誰かが喋っていて、それは大きな楽しみと、わずかな煩わしさが伴う日常のワンシーンだった。
「そういえば、私先輩から言うように頼まれただけどさー」
鳴子と同じテニス部の友人が、鳴子の方を見ながらぽつりと言った。鳴子が嫌そうな顔をする一方で、それ以外のグループの人間全員が、一旦喋るのをやめて、何を言うのかと興味津々に構える。
「メイちゃん、次の部長になってくんないかって」
「えーーーーーーーーーすごーーーーーーーーーい!」
甲高い声で叫んだり拍手までする者がいたり、どっと沸きあがる友人達に対し、鳴子は苦笑いで応じた。
「困るよもう、まだ5月だら? 先輩たち気が早すぎっしょ!」
「夏の大会終わったら引退なんだから、普通じゃない?」
「メイならできるよ、だってエースだら!?」
「じゃんねえ! 私もメイちゃんに部長やってほしいな」
マシンガンのごとき勢いで鳴子をよいしょする友人たちに観念して、鳴子はテニス部部長になることを渋々承諾したのだった。そして全員から惜しみない拍手が送られた。
鳴子は、獏也のほうへ視線を送った。何があったのかとクラス中の生徒がこっちを見ているのに、獏也だけが窓の方に顔を向けて何か考え込んでいる。きっとまた、例の夢についてだろう。鳴子がちゃみかんの場所を教え、教授と話をさせてから、獏也が一人で上の空になっているところを、いつにもまして見かけるようになった。
その姿を見るたびに、これでよかったのだろうかと不安になる。
小学校の卒業式の後、獏也が引っ越しをすることを知った。祖母の体調が悪いから、今のアパートから出て祖母の家に一緒に住むのだと。同じ県内だったけど、西の果てから東の果てまではあまりに遠く、もちろん一緒の中学になど行けるはずもなかった。
木に覆われ昼間でも薄暗い、神社の境内の石段に隣り合って腰をかけ話をした。
今日で二度と会えなくなるかもしれないと思うと泣きそうになった。あのとき自分を救ってくれた獏也へ、何も恩を返せていなかったことを深く悔んだ。涙をこぼしたくなくて顔に力を入れた。変な顔をしているに決まってるから、目を合わすことすらできなくなった。そのせいで、言いたかったことも言えなかった。
交わした会話は二三言だけで、最後に「元気でね」と無理やり笑って見せた獏也の表情が、中学生になった三年間もずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。鮮明な思い出は、いつも獏也と二人っきりだった。それを自覚した日、学校を休んで家で一日中膝を抱えて過ごした。
再会は奇跡だった。テニスの強豪校だったこと、兄の下宿に住めば通学できること、制服が可愛いことを理由に選んだ高校であって、獏也と出会う偶然なんてほんの、ほんの少しだけしか期待していなかった。一年生時のクラス分けで初めて教室に足を踏み入れた時、先に座っていた獏也と目があった。胸が高鳴るとは、緊張から徐々に鼓動が速くなるのとは違って、あのときのように、痛っ! てなるほど心臓が飛び上がる衝撃を指すのだろうか。
うれしかったことは、獏也が鳴子との再会を喜んでくれたこと。
かなしかったことは、獏也が想いを馳せる相手が、鳴子ではなかったこと。
最初はそれが誰だかわからなかった。そういう相手がいることすら、直接聞いたわけではなく、鳴子が獏也との会話の端々に感じ取ったものでしかなかった。特に好きな異性の話をするよう水を向けると、獏也は誰もいないと言いつつ、決まって遠い目をしていた。
彼が何を見つめているのか。一年生の立春を迎える時期になってようやく、あんまり笑うなよと獏也が初めて鳴子に教えてくれた、白い少女の夢の話を聞いて理解した。
そして頭にきた。そんなものと、一体どう張り合えばいいのかと。
しかし一方で、自分がどうすればいいのかもわかった。要は獏也がその夢を見なくなれば、彼の悩みは消える。じゃあなんでそんな夢を見るのかって、それがわからないから余計気になって、また夢を見る悪循環に陥っているのだ。だから夢の謎を解く手助けをしてあげればいい。獏也から夢の内容を詳細に聞き出し、白い少女と一緒に出てくる建物のことを知り、それが近所にあることをつきとめ、実際に足を運びもした。廃墟の中に入るのは怖かったから外観を拝むだけだったが、その後獏也からそこに人が住んでいると聞いたときは驚いた。もちろんそれは隠した。なんでそこまでしてくれるのかと、獏也に追及されるわけにはいかなかった。
つまり、旧知のよしみだからとか、かつての恩返しをしたいとか、そういうのはもうとっくに本心ではなかったのだ。ただ自分のため、獏也に振り向いてほしいという理由のために動いているだなんて、死んでも看破されたくなかった。
だけど、引っ越しを告げられたあの思い出の場面に、鳴子の代わりに白い少女が出てきたと聞いたときは、ひどく動揺したし、憤りもした。獏也ではなく、名前も知らないその女に対して。夢の住人にそんな感情を抱くなんて我ながらどうかしてると思う。だけど獏也が見たその夢は、まるでいつか白い少女が獏の目の前に現れ、鳴子の立ち位置を奪い取っていくのを示唆しているように感じられたのだ。
はっきりいって、妄想の類だと思っていた。あるいはテレビで見たことがあるだけかもしれない。なににせよ、獏也が記憶にないと言っている以上、髪まで白い女の子なんていうのは所詮フィクションの住人に違いないと高を括っていた(故に獏也の夢の謎を解こうと最初に鳴子が試みたのは、似た特徴のキャラクターが出てくる映画やドラマなどの作品を探すことからだった。しかし結局獏也はどれも見たことがなかった)。
しかし実在するのだとしたら、これまで自分がしてきたこととは一体なんだったのか。自分はとんだ間違いを犯したのではないだろうか。
夢日記なんてものまでつけ始めて、獏也はますます白い少女にのめりこんでいた。もしも、もしも本当に二人が出会うなんてことがあったら、自分に入り込む余地なんてあるのか。
それとももう、既に。
「望月くーん! メイちゃんテニス部の部長になるんだってさー!」
隣から発せられた声にはっとなって鳴子は周りを見ると、一様に皆にやついた表情をしていた。どういう意味かは、鳴子が獏也を見ながら物思いにふけっていたことを考えれば言われなくてもわかる。獏也と目が合って、普段なら平気なのに、鳴子は顔の紅潮を抑えられなかった。
一方獏也の方はというと、鼻でふっと笑って、また窓の方に顔を向けてしまった。
「え、どういうこと」
一転して、獏也の今の行動の意味するところについて審議がはじまる。ただ照れてるだけだと言う者、くだらないと一蹴されたのだと主張する者、鳴子を慰め始める者まで出てきた。
鳴子だけが、獏也が言わんとしていたことを理解していた。
『どうせまた断り切れなかったんだら?』
友人たちは鳴子に意味が分かるか尋ねたが、当然鳴子はすっとぼけた。
わかるのは、私だけでいい。