寝つけない二人①
小学生ながら器用にふるまっていたなと、町川鳴子は思い返す。
友人を作ることはそんなに難しくない。明るく振舞い、気配りを忘れず、自分より他人の意見を尊重すれば、自然と周囲は鳴子を慕ってくれた。いつのまにか何もしなくても誰かしら自分の隣にいて、他愛のない話をすることもあれば、普段人に話さないような悩みを打ち明けられることもあった。
いやな気分ではなかった。それだけ自分を信頼してくれているということだろうし、親しい人の力になりたいというのも素直な気持ちだった。
ただ中にはうんざりするものもある。小学五年生の梅雨入りの時期、鳴子にとってこれまでで最も厄介な問題が降ってきた。
まず事の始まりは、友人の赤嶺が鳴子に恋愛相談を持ち掛けたことにある。
赤嶺の意中の人は緑山という同級生だった。陸上クラブに所属していて、得意種目は短距離走。なんでも祖母がアメリカ人のクォーターなのだそうで、言われてみれば外人のような高い鼻と濃い顔つきをしている。一方性格は無愛想で、女子と喋っているところなんかほとんど見たことない。しかし先日の運動会のリレーで、前の走者がビリでバトンをつないだにも関わらず、全員をごぼう抜きして一位となるという快挙を達成したためか、かっこいいという理由で女子の中で密かに株が上がった人物である。
赤嶺はそんな周囲の熱にあてられたのだろう。それだけで済めばよかったのだが、鳴子はこの時点で頭を抱えなければいけなかった。なぜなら鳴子は、以前から緑山のことが好きな女子を知っていたからだ。青崎という、学級委員長を務める真面目な娘だ。青崎は女子友達のなかでも取り分け仲の良い方で、学級委員長の仕事を手伝ってあげたり、逆に勉強を見てもらっていたりしていた。緑山のことが好きだと打ち明けられたのは一年以上前になる。顔に加えたくましい感じがストライクだったらしい。その後も鳴子と青崎の二人でいる時は、ときどき緑山について話題にあげていたが、奥手な青崎はあまり仲を進展できずにいた。
一方で赤嶺の動きは素早かった。まず赤嶺は、鳴子以外の女子にも自分は緑山が好きだということを話した。要は牽制したのだ。それにアプローチも露骨だった。休み時間にはたいてい他の女子友達を連れて緑山と話をしにいっていたし、ボディタッチをしているところも頻繁に見かけた。それら一連の行為が周囲の女子の反感を買わずにいられたのは、赤嶺が男子の間で「ボス」というあだ名がつけられるほど、大きな女子のグループを持ち、スクールカーストで上位に立っていたからだろう。
しかし勇敢にも、青崎はそれを黙ってみていなかった。クッキーを焼いたり家族ぐるみの旅行に連れて行こうとしたり、それまでの奥手ぶりが演技だったのではないかと疑うほどの積極性を緑山にみせた。女子たちの間で不穏な空気が生まれたのは言うまでもない。
そしてすべてを察した赤嶺は、意中の人のハートを射抜くより、ライバルを先に蹴落とそうと考えたのだ。
まず青崎の上靴が隠された。それはすぐに見つかったが、次の日には上靴にごみが詰められていた。
この時点で青崎も、赤嶺の悪意に感づいた。そしてすぐに担任の教師に赤嶺の悪行を報告したのだ――ご丁寧にも、盗んだ赤嶺の名前が書かれたプリントをごみに混ぜ、証拠としてでっちあげて。
学級委員長という役職も手伝い教師への信望が厚かったおかげで、担任は青崎の言い分を鵜呑みにし、赤嶺を糾弾した。しかし赤嶺にはたくさんの取り巻きがいた。彼女らが赤嶺を擁護したため、担任も強く出ることができず、結局問題はうやむやになった。ただ赤嶺も、教師がバックにいる青崎に直接的な攻撃はできないと、この件で悟った。
そこから先は、水面下での小競り合いだ。ただしその規模は赤嶺グループ対青崎グループという、学年中の女子を巻き込んだ戦争だった。グループの違うもの同士は挨拶一つ交わさなくなり、互いが互いに怪しい動きがないか目を配らせ、陰口が横行し、常に険悪な雰囲気が漂っていた。知らぬは当人の緑山ばかりなりだ。
そしてある日の朝、赤嶺から鳴子に依頼が持ち込まれた。青崎と話をするから、一緒に来てほしいと。ボスこと赤嶺の要請を断る勇気は、鳴子にはなかった。首を縦に振ったはいいが、その日の昼休み、今度は青崎が鳴子に近づいてきた。赤嶺に話をしようと言われたから、ついてきてほしいと。
二人の狙いは明白だった。鳴子は、赤嶺に勝るとも劣らないぐらい、学年で広い交友関係を築いていた。そして鳴子の友人は、赤嶺グループに所属している人間もいれば、青崎グループに所属している者もいた。
鳴子は友人たちから一定の信頼を得ている。一方で、鳴子はどちらのグループにも属さない、玉虫色の立ち位置にいる。赤嶺にとって、もし自分のグループに鳴子が入れば、青崎グループにいる鳴子の友人も引き込むことができる。戦争は数なのだ。赤嶺は青崎の前で鳴子が自分の味方であると示し、手を引かせるつもりなのだ。そして青崎もその狙いに気付いていた。鳴子を引き込めれば、この勝負は勝てると。
放課後誰もいなくなった教室で、鳴子は決闘の立会人よろしく、赤嶺と青崎の間に立っていた。二人はしばらくの間睨み合っていたが、赤嶺が口火を切ると壮絶な罵り合いが始まった。青崎が「先に好きになったのに後から割り込んでくるな」といえば「もたもたしていたあんたが悪い」と赤嶺が言い返し、「教師の陰に隠れてこそこそやってる卑怯者」と赤嶺が非難すれば、「取り巻きがいなければ何もできない臆病者」と青崎が罵倒する。
鳴子はひたすら縮こまって、ヒートアップする二人が鎮火するのを待った。
しかし祈りは届かず、火種はついに鳴子にまで飛んできた。
「メイちゃんもそう思うだら!?」
「何言ってんの!? メイは私の味方なんだけど!」
心情的にはより仲の良い青崎に付きたい。しかし赤嶺を敵に回すということは、赤嶺グループに属する友人をすべて失うということだ。嫌がらせも絶えないだろう。きっと平穏な学校生活は送れなくなる。
「メイちゃん、うちら友達だよね?」
「メイ、おねがい!」
どうしてこんなことになったんだろう。私はただみんなと仲良くしたかっただけなのに。明るくて気遣いができて決してNOとは言わない、理想の友人を演じていたつもりだったのに。
誰にも嫌われたくなかった。そう思ったせいで、私は今一人だった。
「私は――」
ひとりはいやだ。だれか、だれか。
望月獏也が、間抜け面を引っ提げて教室に入ってきた。
獏也はまず三人を目の当たりにして一旦は固まったが、一言も声をかけずさっさと自分の席にむかい、何やら机の中をあさり始めた。机の中には道具箱と毎日使う教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、獏也はそれらを一度全部机の上に広げると、これじゃないそれでもないと探し物をしているようだった。そのごそごそがしゃがしゃした音と動作は、三人の真剣な会話の中で邪魔となる存在感を発揮するのには十分だった。
「じゃあメイちゃん、お願いしたからね!」
場所を変えて話をする気にもならなかったのだろう、赤嶺はそう言い捨てて教室から出て行った。青崎も遅れて、赤嶺と反対側の出口から教室を後にする。教室には鳴子と獏也だけが残った。
「あったあった」
そう言って獏也は、くしゃくしゃになったプリントを机の中から取り出した。今日の算数で出された宿題だ。どうやらランドセルに入れ忘れて、他の教科書と一緒に机の中に押し込んでしまっていたらしい。
鳴子はこの男の傍若無人ぶりに、このうえない怒りを感じていた。どうしてさっきの空気で、ああもマイペースなことが平然とできるのか。
「ねえ、さっきの何? どうしただよ?」
そんな鳴子の心情などお構いなしに、獏也は軽い感じで尋ねた。赤嶺と青崎の間に何が起こっているかなんて、女子に限らずアンテナをちゃんと伸ばしている男子ならみんなわかっていることなのに、案の定何も知らないらしい。それが余計腹立たしかった。無視してやろうかとも思ったが、だれとでも仲良くするという自分のポリシーを曲げるのも癪だった。
「二人とも緑山君が好きなのよ。それで取り合って喧嘩してんの」
つっけんどんに言い放って、すぐにはっとなった。いくら周知の事実とはいえ、友人の好きな相手を大して仲良くもない男子にばらしてしまうなんて。自分がどんどんおかしくなってることに気づき、自己嫌悪に陥る。
「ふーん。そんで町川さんも緑山のこと好きだから、三人で言い争ってたってわけか」
「違うわよ馬鹿! 私はね、私はただ――」
ただ、なんだろう。私はなんのためにここにいるのだろう。
二人が必要としたから、二人に連れられて、私はあの場にいた。でも二人が私を喧嘩の道具としてしか見ていなかったことも、それをよしとしたところで私が望む平穏が訪れることも、当然ありえないことは来る前からわかっていた。
言葉の続きは最後まで口から出てこなかった。私はただ、ただ……。
「ま、いいや。じゃあね、町川さん」
獏也はそれだけ言うとプリントをポケットに無造作に突っ込んで、とっとと帰ってしまった。鳴子は一人になった教室で、これからどうすればいいか頭を抱えたが、結局いい案は何も浮かばなかった。
しかしその数日後、ずっとピリピリしてロクに口を利けていなかった青崎が、突然鳴子の席にやってきて、信じられないことを口にした。
青崎が緑山のことを諦めたというのだ。それだけでなく、赤嶺とも仲直りしたらしい。理由はわからない。聞きたくても、言いたくなさそうな雰囲気を鳴子は会話の流れで感じてしまった。だが青崎は、最後にこう言ったのだ。
「メイ、望月君は最低なやつだよ。メイも関わっちゃだめだからね」
事の真相を把握している人間を、このとき知った。
放課後、今度は鳴子と獏也が誰もいない教室にいた。鳴子が呼び出したのだ。
「説明しなさいよ」
なんてことはないよと、獏也は言った。
獏也は緑山に、二人の好意をばらしたのだ。
「そ、それで緑山君はなんていったの?」
「『勘弁しろよ、あんなブス』って」
「まさかあんた、それをあの二人に……」
「うん、一言一句変えずに伝えた」
鳴子はめまいがした。
「もーうすごかったよ。赤嶺は怒り狂ってギャーギャーわめくし、逆に青崎は崩れ落ちてワンワン泣くし。タイプじゃないならどれだけアプローチしても意味ないだろって説得したらしまいにはビンタまでくらってさ。あー、ばか痛かった」
青崎の言葉にもうなずける。確かに最低だった。
「だけどまあ、これでもう町川さんも振り回されずに済むだら?」
鳴子はぽかんとした。てっきり何もわかっていないと思ったのに。
「でもっ、望月君はどうするの? 今みんな望月君のこと悪く言ってること、わかってる?」
赤嶺と青崎を振ったのは緑山だ。だから本来恨まれるべきは緑山なのだが、女子二人はそう理屈で考えられないらしい。緑山に自分たちの想いをばらし、関係をめちゃくちゃにしたのは獏也だ。結局二人のグループの恨みを買った獏也は、現在学年中の女子から総スカンをくらっている。
「大したことないだら。しょんないしょんない!」
しかし獏也はそうやって軽快に返事をし、にっと笑うのだった。
赤嶺と青崎は、獏也という共通の敵を作ることで、仲たがいを解消できた。
獏也一人が泥をかぶることで、また以前のような穏やかな日々を過ごせるようになったのだ。
馬鹿なやつ。
「バクって、かわってるよね」
今度は獏也が鳴子に驚いて、顔をしかめた。獏也のことをバクと呼ぶのは、獏也にとって親しい男友達数人だけだった。
「おい、その呼び方やめてくれよ」
「なんで? 私があんたのことどう呼ぼうが私の勝手でしょ?」
「友達にも言ってるけどさ、好きじゃないんだよ。動物のバクと被るから」
「いいじゃん被っても。バクかわいいだら。気にしない気にしない」
今まで、人に嫌だって言われたことはすぐやめたし、そもそもそういう風に言われないよう気を付けてきた。しかしこいつにだけは、なぜかそうしたくなかった。
「それなら代わりにバクも私のこと下の名前で呼んでいいから。これでおあいこでしょ?」
獏也は「全然おあいこじゃねーよ」とぶつくさ言いながら、少しの間考え込んで、ぽつりと言った。
「じゃあ、ナルって呼ぶから」
なんで!? 鳴子は凄まじいショックを受けた。おそらくこの間抜けは、町川鳴子をマチカワナルコと勘違いしているのだろう。そんなこと、鳴子が普段から周りにメイちゃんメイちゃん言われていることを知っていれば、すぐに違うって気づくだろうに。どれだけアンテナが低いんだこの男は。ナルって、ナルって何!
だけど、まあ。
「これからよろしくね、バク」
そう呼ぶのがこの人だけっていうのも、いいかもしれない。