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また夢で  作者: 黒井満太
第一章 
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人形の家⑨

 数日後の土曜日、半ドンで学校を終えた僕は、例の廃墟だと思っていた建物『ちゃみかん』に再び足を運んでいた。人の住んでいる場所に、用もないのに何度も訪れたら不審者扱いされてもおかしくないのだが、どうしても気がかりなことがあったから来てしまった。

 あの昼と夜に分かれた祭りの夢を境に、ちゃみかんが夢に現れなくなったのだ。

 夢は二日に一度は見ているし、そこに結構な頻度で白い少女が出てくるのも相変わらずだ(夢日記を見返すと、最近はモブのようにちらっと見かけているだけだが)。しかしちゃみかんは出てこない。

 理由は分からなかった。けれどもちゃみかんは、僕の夢と現実の双方に存在する、いってみれば掛け橋のようなものだ。ちゃみかんについて調べていけば、白い少女の正体にもつながる――そんな気がしてならない。逆にそれが突然夢に現れなくなったことで、僕は不安にかられたのだった。せっかく見つけた手掛かりが、実は全く関係のないものだったのではないかと。

 そう考えるといてもたってもいられず、もう一度確かめるために、僕はちゃみかんを訪れたのだ。

 目的は、ここに住んでいたあの女の子に、話を聞くことだ。ここが以前飲食店だったのではないかという推理を前提に、それはいつからやっていてどうして今閉店しているのか、その原因はなんなのか等々、気になることはできるだけ聞いておきたい。まあこんな家に一人で住んでいるはずはないから、経営していたであろう親の方に話を聞いた方がいいに違いない。僕は自転車のかごに入れていた手土産の銘菓『ぴよこっこ』を抱え、ちゃみかんのドアをノックした。

 返事はない。代わりに何か奥からバタバタと音がする。

 もう一度ノックする。今度は返事がないだけでなく、音もしない。

「……居留守使われてる?」

 やっぱり不審者だと思われているのだろうか。家の中から僕が見えて、前にも来た変な奴だと、警戒されているんだろうか。参ったぞ、これは。これ以上ここにいると余計怪しまれるし、一旦帰って作戦を考えたほうがいいかもしれない。そう考えて僕は後ろに振り向いた。

 前にここで会った女の子が無言で立っていた。

 僕は後ろに下がろうとして足をもつれさせ、結果尻もちをついた。心臓をバクバク言わせながら、僕と彼女の位置を改めて見比べた。いつからかはわからないが、彼女は僕の本当に真後ろに立っていて、僕はそれにまるで気づかなかったようだ。

 そしてもう一つ驚いたのが、彼女の服装だ。これは……メイド服だ。なんでも市街地のほうにはこんな格好をした店員がうろついている喫茶店があるらしい。物好きな友人がメイドさんとのツーショット写真を見せてくれて、こんな小っ恥ずかしいことがよくもまあできるなと呆れたものだが、実際に着ている人を目の前にすると、なるほど、かわいい。ただ黒のワンピースはノースリーブで、生地も安っぽく、それこそメイド喫茶の店員のように仕事着というよりコスプレのように見える。

 しかしそんな格好とは裏腹に、彼女は本職の女中のような落ち着いた物腰で僕に一礼をした。呆気にとられていた僕ははっとして頭を下げたが、イニシアチブを相手に取られた状態で、僕は先んじて尋ねる機会を見失ってしまった。そんな僕の横を彼女は無言で通り過ぎると、『ちゃみかん』の扉をおもむろに開けて、どうぞ入ってくださいと手で示す。僕はちゃみかんの中へ、一歩足を踏み入れた。

 背筋が凍りついた。

 人の住んでいる場所とは思えなかった。床のタイルや壁紙はいたるところが剥がれていて、飾られた額縁には破れた絵画が収められ、破壊されたレジが置かれたカウンターには無数のひびが入っている。片方が抜け落ちた蛍光灯に明かりは灯っておらず、チチッと甲高い音がしたほうに目をやると物陰に駆け込むネズミの尻尾が見えた。

 しかし床を見ると、これだけあちこち壊れているのに、ガラス片や木屑などのゴミ、果ては小石や砂埃まで一切落ちていない。全体的にアンティークな家具達――中身が飛び出た革張りのソファーも、昼間なのに6時25分で止まった置時計も、倒れたりひっくり返ったりせず、あるべき場所に収まっている印象を受ける。蜘蛛の巣だって見当たらない。レジカウンターの後ろに置かれた棚には、磨かれた酒の瓶が整理されて並んでいる。ただし、大半は欠けていた。

 ポータブルTVがカウンターの上に置かれている。時々途切れる映像の中で喋るリポーターの声だけが、この家から発せられる唯一の音だった。「見てください、このかわいらしい店員さん達を! ここでは先ほどのようにお客さんは『ご主人様』と呼ばれるんですね~。僭越ながら私も、今からご主人様になって参ります――」。テレビに映る店員の服装は、今女の子が着ているものにそっくりだった。

 僕は彼女と目を合わせる。それに反応して僕に笑いかける姿は、とても自然な気がして、それが逆に恐ろしかった。

「君は、なんなんだ?」

 聞かずにはいられなかった。

 しかし女の子は答えなかった。

 代わりにちゃみかんの中に入ると、二階へ続く螺旋状の階段を上りはじめた。僕はついていった。

 二階のフロアは、厨房や従業員用と思われる部屋への入り口があちこちにあった一階と違い、実にシンプルな構造をしていた。外から見た通りの円形のフロアは、階段の出口をぐるりと囲う壁が柱となって支えられている。そして横一面に貼られたガラス窓に沿うように、白いクロスがかかったテーブルとイスが整然と配置されている。女の子は僕をそのうちの一つに案内した。そのテーブルだけに、皿が一枚と、フォークにナイフに折りたたまれたナプキン、それとなぜかグラスの代わりにマグカップが置いてあった。女の子は向かい合わせになっているイスのうち片方を引いた。

 言われるがままに座った。どうすればいいかわからず食器を眺めていると、マグカップに文字が書いてあることに気付いた。

『カスカ』

 水色の陶器の肌に、小さく油性ペンで書いてあった。

「君の?」

 マグカップを指すと、女の子は少し恥ずかしそうにうなずいた。

 カスカ、それが彼女の名前らしい。

 カスカは今度は窓を見ろと手で示した。僕は横を向いた。

 絶景だった。富士山が、連なる山々までどこまでも見えるぐらい、真正面にどんと構えていた。もちろん麓の市街地も一望できる。春の日差しが少し眩しい。今日は雲もないから、まだ少し残っている冠雪を拝むことができた。富士山自体は近所からいつだって見れるから大してありがたみはないが、だからこそ綺麗に見える場所には無頓着だったので、とても新鮮な気分だ。ちゃみかんの内装やカスカのことばかりに気がいっていたせいで、まるで気付かなかった。もし今目の前にある皿に料理があったとしたら、これほど贅沢な食事もないだろう。 

「これが見せたかったの? ねえ――」

 振り向いた先に、カスカはいなかった。足音一つ立てず、カスカは目の前から消えてしまった。まるで最初から誰もいなかったかのように。

 一連の出来事は、まるでままごと遊びのようだった。ちゃみかんを舞台とし、彼女はここのウェイターで、僕は客。さしずめ僕と彼女は、ままごと遊びの人形だ。ひょっとして彼女は訪れる人皆へ、こんなことを繰り返しているのだろうか。かつてレストラン『ちゃみかん』だったときの思い出を、風化させないために。

 僕は中央柱の影となっている部分、ちゃみかんの闇をじっと見つめる。

 ここには一人の人形が住んでいる。

 人形の家に、人間は住めない。

 

 

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