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真夜中の旅人達

 遠く旅をしてきたオッタルは、その夜の寝床を川べりの土手に定めた。食事を終えて毛布を羽織り、焚火にあたっていると、溜まりに溜まった疲れが、ゆるゆると彼の瞼を押し下げていった。遠く獣の遠吠えが聞こえる。火の番をしなければと思ったが、もうその頃には、眠りに抗うだけの気力は残っていなかった。


 一瞬であったのか、それとも数刻が経っていたのか。


 がくりと落ちる首につられて目覚めた彼が最初に気づいたのは、さわさわと、子どもがさざめくにも似た幽かな音だった。空気には濃密な緑の匂い。暗い。焚火は消えて、すでに種火すらも残っていない。晴れていたはずだが、いつの間にか雲が出たのか、空には月も星もなく、周囲は闇に沈んでいる。

 その深い闇の中を、なにかが沈黙のうちに動いていた。

 獣ではない。敵意はない。ただ河を進む水のように一つ方向へと流れていく。

 不安に駆られ、彼は左手の長手袋に手をかけた。彼の左手は呪いじみた魔法によって永遠の光を発しているのだ。その光によって照らし出されたのは、

 森だった。

 見渡す限りの木々だった。

 彼はいたく困惑した。土手で休んでいたはずなのに、いかなることか。転移の魔法にでもかかったのかと自問し、それならば焚火の跡が残っているはずがないと自答する。押し寄せる狼狽に、蠢く木々が拍車をかける。

 比喩ではない。実際に木が動いているのだ。根を昆虫の脚のように小器用に動かし、歩いている。風もないのに枝はしなり、静かに葉擦れが響く。さわさわと。

 容易に動くことも叶わなかった。彼は激流の中洲に取り残された子犬のように、ただひたすらに身をすくめ、歩く木に轢かれぬことだけを祈り続けた。


 長い時間が過ぎたように思うが、実際には短い時間だったのかもしれない。


 やがて木々の間隔が空き始め、しばらくすると最後の木が、しずしずと彼の横を通り過ぎていった。そこはまったく最初の土手だった。川上の方へと去っていく森を遠くに見送り、ようやく大きな一息をついた。息をすることすら忘れていた。

 どうにか手指が動くことを確認すると、がたがたと震えながら焚火を起こし、その光と熱にすがるようにして、まんじりともせずに朝を待った。神への祈りが通じたのか、それ以上の怪異は起こらなかったということだ。


   *


 旅をする木、という存在については、実はいくつか記録が残されている。


 彼らの外見は樹木とまったく見分けがつかない。葉や幹は広葉樹に似たものが多い。身体構造は動物のそれに近く、樹皮を切ると血によく似た赤い樹液を流す。ただし食事は陽の光だ。昼日中、じっと眠りながら光合成によって腹を満たし、夜になると歩く。その動きに迷いはなく、我々には認知しえないなにかを目指すように、ただひたすらに世界を渡り歩く。

 渡り木、と彼らが呼ばれる由縁である。

 一説によれば、彼らは我々より先に神々に生み出された人間なのだという。

 樹木同様の永遠めいた寿命を持ち、日々の食事に困ることもなく、厚い皮膚によって冬の寒さに凍えることもない、現世という楽園に暮らしている上代の人間なのだと。

 彼らは大抵、つがいか、もしくは単独で発見される。オッタルの言にあるような集団での移動というのは、他に例がない。生態についても、実のところはよく解らない。というのも、彼らはその大半が、発見された人間によって殺されてしまうからだ。

 彼らは稀に果実をつける。真っ赤な、林檎によく似たその実を食べると、老いたる者は若返り、病は癒え、傷痕は再生すると伝えられている。他にも花や鳥の言葉が解る、詩芸の才能に目覚める、深遠なる知識を得るなどといわれることもあるが、後者は他の伝承との混同か、さもなくば尾ひれであろうと思われる。

 いずれにしても彼らが実を結ぶことは稀なのだ。そもそも人間などとは生きる時間が違いすぎる。じりじりと老いていく人間には待ちきれず、やがて捕縛者は狂い始める。実がならなくとも、その真っ赤な樹液にも同じ効果があるのではないか。疑い、盲信に至り、その手に斧を持つ。そうして永遠を手に入れそこなうのだ。


 それにしてもオッタルの見たものが確かなら、それほど大勢の渡り木たちは、何処に向かい、何処に消えてしまったのだろう。彼の記憶が曖昧模糊としており、追跡調査を行えないことは、返す返すも残念でならない。




(編注:この閑話は長らく後半部分が見つからず、「輝く左手のオッタルが夜中に怪異に遭遇する話」という長過ぎる題名で呼ばれていたが、後半部分の発見に伴い、詩人のエイヴァルトがこのような寓意的な題名を付けた。無論、賛否は両論ある。

 現代において渡り木という種族は、伝説より遠く、神話の領域に棲まう存在である。目撃例はもちろん、遺骸が見つかることもない。もっとも彼らの死体は樹木とほとんど同じで見分けがつかないと言われている。……もしかすると彼らは我々のすぐ近くに、まだひっそりと生き残っているのかもしれない)


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