遠い旅に赴くという君に贈る言葉
とある石の仔が旅に出るというので、私は老婆心から、彼に人間の世界を渡るためのあれこれを教えることにした。
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まず必要なのは言葉だ。言葉が通じなければ、衣食住を得るどころか、助けを求めることすら叶わない。せめて挨拶ぐらいはできるようにしておいたほうがよい。発音など多少狂っていても問題はない。微笑みを浮かべ、現地の言葉で挨拶をするだけで、相手の態度は明らかに変わる。少なくとも無碍には扱われづらくなる。
向かう土地の情報も、できることなら得ておいたほうがよい。なにが喜ばれるのか、嫌がられるのか。しぐさは。言葉は。私ははるか東方の地で、子どもたちが良いことをしたときに頭を撫でられて喜ぶのを見、驚いたことがある(編注:王都周辺では、頭は聖なる部位であり、他人がみだりに触れてはならない場所であるとされている)。ときには指を一本立てただけで喧嘩に発展することさえある。前もって知識を得、現地でも観察を欠かさぬことは、平穏な旅を送る上で、きわめて重要だ。
なんでも食べられるのも大事なことだ。現地の人間と同じ食事を摂ることで、親近感を持たれ、好感度を高められる。これは簡単なようで難しいことだ。君は、君と同種族の姿焼きなどといったものを目の前に出されたとき、笑顔を保ったままそれを口にすることができるだろうか?
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石の仔の吸収速度は、そら恐ろしいほどだった。
言葉も、知識も、一度教えれば次からはあっさりと使いこなした。まるで一夜ごとに別人に生まれ変わっているかのようだった。顔つきさえも明らかに変わっていた。王都では賢者などと呼ばれたこともある私だが、彼に比べれば凡人もよいところであった。
そうとも。
私は賢者などではなかった。
だから、彼に贈るべきものも間違えてしまった。
彼に真に必要だったのは、小手先の知恵などではなく、人間の心の闇に触れたとき、それを笑って受け流せるような心の持ちようだったのだ。さもなくば、そうした場面に出くわさぬよう、なるべく他者と関わることなく旅をするための方法だったのだ。
言い訳になるが、私はそれに思い至らなかった。
私がそれをもう持っていたから。彼がまだ持っていないことに。