第一話
「……頭が痛い」
朝、目を覚まし、『ラグシア=シーリング』はまだ起きる時間には早そうなのだが確認したい事があり、ベッドから這い出るとカーテンを開けて外を確認する。
部屋は自分が長年過ごしてきた物なのだが窓の外は薄暗くはあるが今まで見ていた窓の外とは異なり、見なれない景色であり、眉間にしわが寄ってしまう。
頭を押さえながら自分の身に起きた事を整理するように昨晩の事を思い出す。
ラグシアには五才年の離れた兄がいた……いや、いる。
死んでくれていればラグシアはこのように頭が痛い思いをしなくてすんだであろう。
ラグシアの兄『デュメル=シーリング』は国王から魔族を率いて民を恐怖に落とし入れている魔王討伐の命令を受け、王都を旅立った。
デュメルは武芸に優れており、単純だった事から魔王討伐と言う重大な命令に選出されたのである。
そう単純だったからである。
魔王討伐と言っても本当のところは茶番であった。
この大陸には二つの大きな国があり、互いに侵略を重ねていたのだが、ある時に時の両国の権力者達は国民に秘密で二国間で一つの約束を交わした。
密約を交わした事で二国は中心にある山脈を挟んで西と東に分かれて不可侵条約を結んだ。
それはお互いの国が統治に失敗した時に敵を作り出して国をまとめる事であり、ラグシアの国の国王は語るのも恥ずかしいのだが無能と言ってもそん色のない王であった。
無能な王は日に日に大きくなる民達の国家への不満を抑えるために隣国に密書をだし、隣国の王は密約に従い、兵士と騎士をまとめ、魔王軍を作り上げて山脈を越えてきた。
突如として現れた軍隊に国民は剣を取り、戦ったのだが隣国の兵士や騎士が相手ではかなうわけがない。
魔王軍は国民を無理には追わず、ゆっくりと国へと侵略してくる。
それと同時に王と一緒に密約で甘い汁をすすっていた権力者達は協力して兵をあげ、敗戦すると言う茶番を繰り広げ、魔王軍の精強さを流布して回る。
魔王軍に恐怖した国民達は王に助けを求め、王はそれに答え、騎士や兵士を派遣し、魔王を討伐する勇者を作り上げ、勇者が魔王を討伐したふりをして茶番は終わる手順であった。
しかし、無能な王は無能なだけではなく、強欲であった。
強欲な王は単純なデュメルを勇者とし、本当に魔王を殺して隣国の領地まで侵略するつもりだった。
単純だったデュメルには権力者達の手勢も付けられていたのだが、デュメルは武芸に優れていたのだ。
王の想像を遥かに超えて監視役としていた者達を置き去りにしてデュメルは山脈を越えてしまう。
そして、山脈を越えてデュメルの見た物は王達から聞かされた魔王軍と言う恐怖の対象ではなく、肌の色は異なるが自分と同じ人間の国であった。
王から聞かされていた事とは異なる情景に呆然と立ち尽くしたデュメルに一人の娘が声をかける。
その少女が彼の妻になり、デュメルが魔王と信じていた『イオリス=ガーランド』の一人娘『ユフィ=ガーランド』であった。
出会った二人は陳腐な恋愛小説のように一目で恋に落ちてしまい、ユフィの口からデュメルは二国間の真実を知る。
単純なデュメルにとってはその約束は意味の解らない物であり、彼はユフィの父親であるイオリスにこの約束はもう無意味なのではないかと言う。
イオリスは無能な王とは異なり、賢王であり、国を上手くまとめ上げていた。
侵略した中で犠牲になっていたと思われていた者達もすべて無事であり、手厚く保護されていた。
彼はデュメルの意見に賛同を示すだけではなく、二国間の友好の証として勇者デュメルと愛娘ユフィを結ばせる事で二国間の和平交渉の材料に考えたのである。
賢王は手順を組んで過去の密約を公にしようと考えたのだが、単純なデュメルとそんな男に一目ぼれするような単純なユフィである。
賢王の考えを聞く事無く、二人で王都にあるシーリング家に向かってしまったのだ。
人の中に紛れてしまえばデュメルやユフィを見つける事はできず、二人が無事にシーリング家に到着したのはラグシアが一八才になったばかりの昨日の話である。
「……こんなはずではなかったのにな」
カーテンを閉めたラグシアは眉間にしわを寄せたまま、使い慣れたイスに腰を下ろす。
ラグシアは兄のデュメルとは異なり、身体が弱く、本ばかり読んで過ごしていた。
家の書斎だけではなく、王立図書館や許可を得て王国騎士学校の図書室にまで顔を出し、書物を読み漁っていた。
次男であるラグシアはシーリング家の後継者になる事はなかった事や彼自身、身体が弱かったため、武では成り上がる事は考えられず、文官になろうと考えていたためである。
そして、多くの書物を読み漁る中で彼は自力で二つの国の歪んだ密約を知った。
その密約を知ったと言う事は使い方によっては強力な手札であり、ラグシアは上手く使う事で自分の居場所を作ろうと考えていたのだ。
兄が魔王討伐に失敗した場合はシーリング家を継ぎ、戻ってきた時はこの手札を上手く使って権力者達の間を上手く立ち回ろうと画策していたのだが兄と義姉の登場で脆くも崩れ去った。
昨晩、父親に呼び出された屋敷の食堂で兄と義姉に面会を果たした。
兄が帰還した事に本来ならば国を挙げての盛大な騒ぎになってもおかしくないのだが、なぜか両親の顔は引きつっている。
兄上が帰ってきたと言う事は魔王討伐が成ったと言う事か……まぁ、良い。別に成り上がる方法などいくらでもある。
二人の様子は気になったものの、広間に居る兄の姿にシーリング家を継ぐと言う一つの野望は潰えたのだが割り切ってこれからの事を考えようとしていた。
「兄上が戻ってきていると言う事は魔王討伐と言う大義を達成されてと言う事でしょうか?」
「ラグシア、心して聞いて欲しい」
両親と兄に頭を下げた後、ラグシアは自分の席に腰を下ろし、兄の帰還意味を聞く。
兄から戦勝報告を聞き、大袈裟に喜ぶ振りについても準備はしてきたため、上手く演技できると言う確信もある。
その時、何かあるのか父親は眉間にしわを寄せてラグシアに落ち着いて欲しいと言うが、彼の目から見ても落ち着く必要があるのは父親の方である。
「……ラグシア、デュメルがこの者と結婚したいらしいのだ」
「それはめでたい事ですね。それが心を落ち着かせると言うのに何か関係があるのですか? 血筋だとしても魔王討伐を成した兄上なら、誰も反対できないでしょう」
「違うのだ。それがな……」
「兄上」
父親の口から出た言葉は予想していた物とは異なり、ラグシアは疑問に思う物の表情に出す事無く、兄と義姉を祝福する。
しかし、父親の様子から直ぐにこの結婚を反対している事が理解でき、その理由を兄に訪ねようとラグシアは兄へと視線を移した。
「私の名前はユフィ=ガーランドと言います」
……ガーランド?
義理の姉になるであろう女性から信じられない言葉が聞こえる。
『ガーランド』とは魔王を演じてくれている隣国の王の血筋であり、ラグシアは一つの考えたくない物が頭をよぎった。
眉間にしわを寄せながら否定される事を祈り、両親へと視線を向けるが二人もどうして良いかわからないようで眉間に深いしわを寄せて首を振っている。
「ラグシアなら気が付いているかも知れないけど、ユフィは私達が魔王と言っていた方の1人娘で俺はガーランド家に婿入りしようと思うんだ」
頭をよぎった一つの答えを否定する前に何も考えていなさそうに軽い口調で兄は魔王に婿入りをすると笑った。