.さよならは春風とともに
いたい、いたい、いたい。
あなたをおもうだけで、なみだがあふれてくるわ。
きみはそういって、ぼくのまえで泣きくずれた。
かなしい春の雪が、ぼくたちをつつんではきえていく。
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愛すことも、愛されることも、今の不器用なぼくには理解できないことで、それはとてつもなく狂おしいものだった。
きみが編んでくれた赤いマフラーに顔をうずめる。
途端、きみの香りがすべてをつつんで、泣きだしたい衝動に駆られてしまう。
いたい、いたい。
薄いひふを針でさされたときのように、こころがいたい、と悲鳴をあげるのだ。
甦ってくるのは、色褪せたはずの、きみ。
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「たつやくん、さむいね」
ふるえる声でぼくに言ってから、きみはからだをぼくにゆっくりと寄せた。
かすかに茶色いきみの髪からは、花のような、やさしいシャンプーの香りがした。
「ふゆって、さみしいな」
「どうして」
「わかんない、けど」
「ぼくがいるよ」
ぼくが茶目っ気をこめてそういうと、きみはふふっとおもしろそうに笑って「ありがとう」とつぶやいた。
それがとてつもなく、狂おしいほどにいとしくて、なんどもなんどもきみの手を撫でた。
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けど
もう、きみはぼくのとなりにはいない。
どれほど想っていても、もういちど壊れてしまったものはもとにもどらない。
かなしい、記憶。
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「あたしたち、こどもすぎたの」
もう桜がつぼみを抱いて、咲き誇ろうとしたころ、きみがぼくにわかれを告げた。
「…ぼくのことがきらいになった?」
「ちがう」
「…じゃあ、どうして」
いつもは暖かいはずの風が、肌に刺すようにつめたい。
きみは一言一句、胸の底からつむぎだすように、苦しそうにぼくをみつめた。
「たつやのことはすきよ、でも、これ以上はむりなの」
「すきなら、いいじゃないか」
「ううん。すきだから、だめなの」
一陣の風が、ぼくたちをひっそりとつつむ。
きみの髪の毛が風の中にさらわれて、青い空を背景に舞った
「たつやくんのことが、すきすぎて、いたい。痛いの」
ぼくだって痛いさ。
そう言い返そうとしたけど、やめた。
何故ならきみの顔に、ふっと寂しげなほほえみが浮かんで、哀しげな色をたたえた瞳からはひとすじの涙が、ピンク色のほおをゆっくりと伝っていたからだ。
それは息を呑むほどにきれいで、ぼくは呼吸すらわすれ、ただきみを見つめていた。
春の風が、ただ香りたつようにかぐわしく、ぼくを冬の中に置き去りにしていく。
「さよなら」
最後にきみはそういって、あたたかい指をぼくのほおに這わせて、今まで幾度となくした口付けをした。
いつもはあたたかいはずのきみの口付けはつめたくて、かなしい、かなしい口付けだった。
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そして、きみはぼくの前から消えていった。
ぼくを置き去りにした、春風とともに。
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「いたい、いたい、いたい」
心が痛い。
いたくていたくてたまらない。
あれからぼくの心は春ときみに置き去りにされたまま、進むことなく冬の中にとどまっている。
なんとか出ようとあがいてみても、つかむのは冬のさみしい大気だけで、さいごのきみの口付けさえも奪われてしまいそうであがくのをやめるのだ。
ぼくには、もう愛すことも愛されることも、すべてははるかかなたの残像でしかなかった。
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きみの残り香をとどめたマフラーに、もう一度顔をうずめる。
すると鮮やかなくらいのきみのすべてが、わすれたはずなのにぼくの脳裏をかすめた。
「…―――っつ…!」
あふれだす、嗚咽。
嗚咽とともに、あのときのきみの横顔、ぼくを呼ぶ声、ぼくに触れるゆびさき、すべてが、すべてがあふれ出して、涙とともに大地をぬらした。
それはあまりにも残酷で、なによりも美しかった。
切り裂かれる、遠い記憶。
この世のすべてのものが息をとめて、ただひっそりと声をひそめていく。
いたい、いたい、いたい。
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ぼくはもう、進めない。
止まったままで、すべてを終える。
きみとの思い出を耐え忍ぶことしか、いまのぼくには残されていないから。




