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皿洗坂益荒男  作者: 瓶八
7/8

黄泉の川原で皿洗い?!(異世界皿洗い奇譚)

前回までのあらすじ:皿洗いアイドルに刺される→益荒男意識不明の重体





人は死ぬときれいな花畑と川のあるところへいくらしい。

古今東西にそうした言い伝えがあるのは不思議だ。


シャルガゼナ・マッサラは、舟で川を下っていた。

岸辺には橙色の花畑がひろがっている。

この世のものとも思えない美しい光景だが、マッサラの行き先は死の国ではない。



  マグダリよ、あの花は何に使うのか?



強い日差しをさえぎるために差し向けられた傘の下で、マッサラは、この旅での唯一の話し相手に問いかけた。



 「はい、マッサラ様」



答えたのは、年老いた男だ。

マッサラの師であり、また臣下でもある彼をマッサラはマグダリと呼ぶ。

マグダリは現世屈指の高僧として名高い。

どんな王侯貴族でも、マグダリに尊称をつけないものはいない。

そのマグダリを呼び捨てにするばかりか膝元にかしづかせる、このマッサラという女は何者なのだろうか。



 「あの花はこの地方の名産物で染料に使います。

  また、連ねて花輪にします。

  寺を飾り、レグダリを飾ります。」



大きな篭を脇に抱えて花を収穫していた人々が、マッサラの舟に気づいて次々に手をとめ、こちらに頭を垂れる。


マッサラはそれに応えて、左手で祝福の手印を贈った。




レグダリ・ヨ・シャルガゼナ・マッサラ17世は、この大陸の大平原を潤す大河の化身神レグダリが地上に人間の形をして表れた姿であり、レグダリ川沿いに住む人々の信仰の対象である。


レグダリ神は、古の契約に基づき、人間の姿を取って川を統治するが、その人間の肉体が尽きることはあっても、魂は消滅せず、何度でも現世に表れ、川沿いの人々に豊かな暮らしを授ける。


マッサラは、この慈悲深い川の女神が初めて地上に降臨してから、数えて17代目の転生者である。


転生者と認められてから10年あまりを、レグダリの聖なる源流地であるレグダラートで過ごし、18になったこの春、雪解けとともに、河口の王都を目指し旅に出たのである。

古の契約に基づき、次代の王を選ぶために。




転生者であるマッサラには転生前の記憶がない。


幼い頃はそのことでずいぶん思い悩んだ。

どの教義を読んでも、どの歴史書を繙いても、代々レグダリには前世の記憶がある。

しかし自分にはない。

なにか重大な間違いが起きているのではないか。

自分ではない本当のレグダリが、この世のどこかにいるのではないか。

そんな想像を毎夜めぐらしては、自分の想像に恐れおののいていた。

教師たちにその不安を打ち明けても、勉強に集中しなさい、とたしなめられるばかりだった。


けれどもマッサラはもう子供ではない。

いまでは、それがなんのことかわかる。


転生という概念は、いわば高度な教育装置なのだとマッサラは考えている。

異国風に言うなら、世襲によらない帝王教育制度である。

マッサラに次ぐ身分の高さを持ち、マッサラの右腕ともいえる現マグダリ16世も、先代のレグダリ16世に転生者として見出され、厳しく仕込まれたのである。

そのマグダリ16世が、レグダリ17世を育て、マッサラもいつかはマグダリ17世の転生者を見出し知識と経験の引き継ぎを行うことになるだろう。




花を満載した小舟が急速にマッサラの舟に近づいてくる。

たしなめようと立ち上がった臣下を、よい、と制してマッサラは小舟を待つ。

船頭は頭に巻いた緑の布を取るとうやうやしく敬礼した。


マッサラが祝福の手印をほどこすと、船頭は白い歯をみせて笑い、また急速に遠ざかっていった。

小舟が進むのがあまりに速いので、売り物であるはずの橙色の花輪がつぎつぎにこぼれ落ちるが、全く気にした様子はない。

こうした大らかな川沿いの人々の気質をマッサラは好ましく思う。


レグダリと王の結婚は、川沿いに住む人々にとって何より望ましい吉事である。

とくにその花嫁行列に居合わせ、レグダリに祝福の手印を授かることを、川の民は孫の代までの自慢にするのだと、マッサラはマグダリに教わった。

いまではマッサラは、毎夜、できるだけよいレグダリとなれるようにと祈りながら眠りにつく。


遠ざかる小舟の後ろにぷかぷかと浮かぶ花々ほどはかわいらしくないが、マッサラが乗る舟の後方には船団が続いている。

二十あまりの舟に乗っているすべての物と人はマッサラ個人の財産、いわば嫁入り道具である。





一団は今日の停泊地である港に着いた。


レグダリ川の中原で最も栄えた地域であるこの領地の領主がじきじきに岬まで出迎える。

衆人の注目の中、マッサラは神々しく、埠頭に降り立った。



木炭のように黒々とした珍しいつながりまゆげ、星を混ぜたような凛々しい眼差しと鳥の羽のように力強く天へのびる睫毛、銀糸の刺繍を隙間なく縫い込んだ白い長衣に、黒の花帯を締め、背中には夜の川面のような黒髪を垂らしている。

紛うことなく、誰もが絵姿で見たことのある今上レグダリである。

歩けばからんころんと、こぎみのよい音がする。それは幻の神樹の古木を使った履物。神樹を踏みつけることが許されるのはこの世でレグダリだけなのである。



領主は橙色の花輪を直接レグダリの首にかける栄誉に感極まり、泣きながら地べたに跪いて最敬礼の形を取った。

その上へ、マッサラは、最上位の祝福の手印をほどこす。

この光景は、のちにこの町の職人によって絵にかかれ、数百年領主の城を飾ることになる。


用意されていた輿に乗り、マッサラは領主の館へ向かった。





豪華な食事である。

魚料理で有名と聞いていたわりに、魚は少ないように見えるが、それでも、大きな卓を埋め尽くすおびただしい皿の数には圧倒されてしまう。

マッサラは、領主の館で、宴に招かれていた。



 (これだけの皿を洗うのはどんな気持ちがするだろう)



自然と頭にのぼってしまった考えに、マッサラは気づき一人苦笑する。


この年になっても、まだ、こんなことを考えるのか。

マッサラは自分にあきれた。

もうすっかりレグダリとしての自覚があるというのに、今でもふとした瞬間にまだ幼かった頃の自分がひょっこり心の中に表れる時があるのだ。




マッサラは聖地レグダラートの巡礼路に連なる山深い宿場町に生まれた。


幼少時代、なぜか食器に異様な執着があった。


生みの親に聞いた話では、最初に発した言葉は「皿」だったという。


バターと茶を商う商人の娘だったのに、旅人用の食堂に出入りし、客の食べ終わった皿や調理の終わった鍋を盗んでは近くの川で洗っていた。


その日も、マッサラは、豆を焦げ付かせた銅鍋をまんまと手に入れ、自分だけしか知らない秘密の泉でその焦げ付きを落としていたのである。


そこへ、高位の僧侶の一団が現れた。


一団の中から1人の老人が進み出た。


それがマッサラとマグダリの最初の出会いだった。


驚きのあまり両手鍋を頭にかぶる少女に近づき、マグダリは跪いて尋ねた。



 「あなたの本当の名は?」



そのとき、マッサラは生みの親にもらった名前を使っていた。


しかし、その質問に答えようと開いた口から、不思議な言葉が飛び出したのである。


なんと言ったのかは自分ではわからなかった。


だいぶあとになって、シャルガゼナ・マッサラ、すなわち古の言葉で「大地を雪ぐ者」と言ったのだとマグダリに教わった。


レグダリ川の化身にして人間の姿で光臨を繰り返す破壊と創造の慈悲深き女神、レグダリ17世はこうして聖地に迎えられた。




宴が始まって間もなく、貴族ばかりの煌びやかな広間に粗末な身なりの男が乗り込んできた。

目に強い意志を宿した男は漁師であり、マッサラに不漁を訴えにきたのだという。



 「レグダリ様の奇蹟の力でなんとかしてほしい」



漁師は世にも奇怪な話をこう切り出した。



 「もう半月になります。

  夜、魚が川岸に大量に捨てられているのです。

  それも焼かれた魚です。

  売り物にはならないし、野犬が集まってくるし、片付けるのも一仕事で迷惑しています。

  このことが起き出してから、だんだんと魚が捕れなくなりました。

  今では小魚一匹も捕れません。

  それなのに、朝起きると川原には大量の焼き魚が捨てられているのです。

  いたずらにしては気味が悪いし、化け物の仕業という者も少なくありません。

  夜に漁師で見回りをしていますが、姿を見たものはありません。

  私たちではどうしようもありません。」



漁師の話をきいたマッサラは、マグダリに耳打ちした。



  アライモノ、だろうか?



 「その可能性が高いです。

  半月ともなれば事態は一刻を争うでしょう」



マッサラとマグダリはすぐさま宴を辞し、見回りの漁師たちの集まっている川原へと急いだ。





アライモノとは浄化されるべきものという意味であるらしい。

らしい、というのは誰もこの言葉の出所を知らないからだ。

呼び始めたのはマッサラである。

しかしマッサラ自身もその言葉がなんなのかよくわかっていない。

ただアライモノを見ると、アライモノという音と意味とが頭の中に浮かぶのである。

マッサラがそう呼ぶのでマグダリも真似して呼び始めた。

マグダリは、天上の神の用いる言葉として納得しているようである。


アライモノは人間に悪さをする。

最初は間接的に人の心に悪い影響を与えるくらいだが、時間を経るごとにその影響は実体化し暮らしに深刻な打撃をもたらす。

それから半月もすると人を襲い始め、最悪の場合には死人が出る。




漁師が集まっている夕暮れの川原へ到着するとなにやら騒がしい。

焼き魚の山が表れたというのだ。


そこへ行ってみると、なるほど焼き魚である。

焼きたてなのか湯気が出ている。

辺りには香ばしい、良いにおいが立ちこめている。


近寄って調べてみると、奇妙なことにどの魚にも串を入れた形跡がない。

火の中にそのまま焼べたようなのだ。

それでいて、非常に美味しそうに焼けている。

虹色の油がしたたっている。

マッサラはこんな場合にも関わらず、食事の途中で離席したことを後悔した。


漁師の中には、焼き魚をつまみあげて、うまいうまいと食べている者がいる。

それを気味が悪いからやめろ、たたりがあるぞとたしなめる者も、目では食べたそうにしている。

不漁が続く漁師たちの中には、十分に食べていない者もいるのだろう。

マッサラもこんな立場でなければ、あのうまそうな焼き魚にかぶりつきたかったのにと残念に思った。




アライモノの姿を見たという者が連れて来られた。


その者の話では、ワニの骸骨の化け物であったという。


川原を歩いていたら、川からざぶりという音がして、見ると大きなワニの骸骨が飛び出してきた、口にはたくさんの魚をくわえており、それを川原に吐き出した、そして化け物がいなくなったあと近寄ってみると、魚は焼き魚であったのだという。


それを聞いた漁師の1人は顔を歪ませると、食べていた焼き魚をぽいっと山に捨てた。

彼をたしなめていた漁師は、ほれ見たことか、と腕を組んだ。


いずれにしろ、普通の人間の目に見える程実体化しているということは、間もなく人を襲い始めるだろうという点で、マッサラとマグダリの見解は一致していた。

二人の聖人が頷き合ったとき、川からざぶりと音をたてて何かが飛び出てきた。




化け物の正体は魚焼き網(両面挟みタイプ)だった。

あれが、ワニの骸骨に見えるのか?

どう見ても魚焼き網にしか見えない。

マッサラは首をかしげた。


ただ奇妙なことには、マッサラはそのサカナヤキアミという名前の魚焼き網をどこかで見たことも聞いたこともないし、本で読んだ覚えもない。

魚の調理法と言えば、口から棒を串刺しにして、火の近くにその棒を立てるか、鍋へ放り込むか、凝ったところで、葉っぱに包んで蒸し焼くかである。


加えて、あれを網と呼ぶのもおかしな話である。

網と言えば、魚や鳥や動物を捕るのに使う、紐を編んだものである。

鉄でできた網など聞いたこともない。


更にいえば形状も網とはほど遠い。

窓枠や牢屋の鉄格子といった方がしっくりくるだろう。


その長方形の鉄格子が二枚重なって、蝶のようにパタパタと動いている。

パタパタと開閉する二枚の鉄格子の先にはそれぞれに取っ手が一本ついていて、それが開閉するワニの口に見えないこともないが、やはり魚焼き網にしか見えない。

だいいち胴体がないではないか。

しかし今はそんなことを悠長に考えている場合ではない。




サカナヤキアミの様子は尋常ではなかった。

ザバザバと音を立てて、川に飛び込み、川から飛び出すことを繰り返したかと思えば、川の上でガチガチと網を打ち鳴らしながらくるくると飛び回っている。



 「何をしているのでしょう」



マグダリの問いかけに、マッサラはサカナヤキアミから目を離さずに答える。



  おそらくは、魚を焼きたいのだが、魚が見つからなくて怒っているのだろう。

  極めて危険な状態だ。



大きいと聞いていたが、たしかに大きい。

家一軒を丸ごと噛み潰せそうな大きさの魚焼き網だ。

あんなものに襲われたら人間はひとたまりもないだろう。

くわえられて焼き殺される前に、網につぶし殺されて輪切りになってしまう。



 「スポンジとセンザイを召還しますか?」



  いや、あのアライモノはその二つは必要ない。

  まずは……



マッサラがマグダリに策を授けようとした、その時だった。




一艘の小舟が凄まじい速さで、荒れ狂うサカナヤキアミの方へ向かってくる。

小舟には男が一人乗っており、頭に巻いた緑の布をたなびかせている。

それは、マッサラが昼間に船上から手印を授けた、花輪売りの男だった。



 「あの馬鹿、本当にやりやがった」


 「どうしたんだ?」


 「俺は止めたんだけどよ、今日中に家に帰るって聞かねえんだ。

  化け物だかなんだか知らないが、自分の舟について来れる者は誰もいやしないって言って」



漁師たちの会話をきいたマッサラは無詠唱でカメノコタワシを召還すると、牛より一回り大きいそれに飛び乗りながら、マグダリィッ!と年老いた師を呼びつけた。



  あのアライモノの骨に沿ってヨゴレがついている!

  火炎の魔法で消し炭にしろ!

  カリッカリのカリッカリにな!



 「そんな!

  無茶です!

  あのようにずぶ濡れのものを!」



マグダリは叫び返したが、マッサラはマグダリに答えずに、空飛ぶカメノコタワシを急発進させて小舟に襲いかかるアライモノに向かってひとっとびに飛んで行ってしまった。

その姿が豆粒のように小さく見える程遠くになってからやっと、無茶でもやれ!という叫び声が返って来た。




  乗りなさい!



マッサラは、水の上を激走する小舟にカメノコタワシを並走させて叫んだ。



 「レグダリ様!」



男がカメノコタワシに飛び乗るや否や、水中から飛び出してきたサカナヤキアミが一口に男の小舟を捉えて一飲みにした。



 「あーあ、父ちゃんにもらった舟がぁ」



バリバリと音を立てて真っ二つにされる小舟を見下ろしながら、背中の男は暢気な声をあげる。



 (最初に会った時も思ったが、大胆不敵な男だな)



マッサラはそう心の中で評しながら、生きていればまた舟を買えるだろう、と言って、男を漁師たちのいる川縁へ下ろした。

とんぼ返りで、再びサカナヤキアミへ向かう。

マグダリの火炎の魔法によって、サカナヤキアミは真っ赤に燃えていた。

マッサラは空飛ぶ巨大なカメノコタワシを加速させて燃え盛るアライモノに突撃する。

激突する直前、マッサラの合図によってマグダリの火炎の魔法は消えた。

マッサラはカメノコタワシの腹を使って、熱々の網に沿ってさっさっと繰り返しなでるように滑空する。

たった、それだけだった。

熱を帯びた爆風とともに、辺りに黒い炭が舞う、黒い花吹雪のように。

空飛ぶカメノコタワシの上に立ったマッサラは、川に沈む夕日を背後にその爆風に黒髪をたなびかせていた。

その神々しい光景は、のちに町の職人によって絵にかかれ、領主の城の広間を数百年に渡って飾ることになる。


爆風がやんだとき、魚焼き網は消滅していた。





 「アライモノに対峙するマッサラ様はまるで別人のように活き活きとしておられる」


カメノコタワシから降り立つと、マグダリは開口一番にそう言った。


 「目には光が輝き、頬はバラ色にお染まりになる。

  普段の思慮深い面差しは消え、手足には力強さが漲り、溌剌とした気力が溢れて、周囲を明るく照らすようです。

  何故なのですか?

  またマッサラ様をそのようにさせるアライモノとはいった何者なのでしょう?」



マッサラは少し考えて答えた。



  わからない。

  けれど、アノモノたちは本来悪いものではないのだ。

  ただ、どうにかして、汚れた状態になっているだけなのだ。

  私はアノモノたちに向き合うとどうしてか、アノモノたちの苦しみが分かるような気がするのだ。

  そして私の頭の中に展開するのだ、どうしたら、アノモノたちを浄化できるのか、その方法が。

  そうして、アノモノたちを浄化することを思うと、ふつふつと血が煮えたぎるような心の高揚を覚えるのだ。

  そして浄化するために見たことも聞いたこともない道具を必要だと思う。

  するとその頭の中に浮かんだ道具が次の時には目の前に表れているのだ。

  その道具は私の心の命じるままに動く。

  そしてその道具はおまえたちのような私以上に優れた高僧たちでも誰ひとり召還することも使役することもできない。

  マグダリ、私は逆に問いたい。

  おまえはこれが何故かわかるか?



 「いいえ、恐れながら、レグダラート千年の知識を持ってしても、わかりません。

  まさにレグダリ神の神々しいお力としかいいようがありません。

  しかし、私どもの火や水や風を扱う魔法も、それぞれに親しみ、それぞれを自分の体の一部のように認識し、その原理を体得する厳しい修行をした上でなければ扱うことができません。

  おそらくは、私どもは、マッサラ様のお呼びになる天上の道具の原理を理解していないために召還も使役もできないのだと思います」



  それは私も同じだ。

  私にはあのセンザイというどろどろの薬が何でできているのかもよくわからない。

  ただアライモノのヨゴレだけではなく人体にも害があるという知識がなぜかある。

  アライモノを浄化する際も、使用量はなるべく控えて、川の水を汚さないようにしようという考えが頭の中に常にある。



マグダリはマッサラの言葉をかみしめるように、少し何かを考え込んでいた。



 「マッサラ様、私はわからなくなりました。

  私たちはこの旅で、数々のアライモノを浄化してきました。

  しかし水を使わず、火をもってアライモノのヨゴレを浄化するというのは初めてです。

  レグダリの聖なる水と悪しきヨゴレを浮かせて落とす秘薬であるところのセンザイをもって、アライモノを浄化するというのはわかります。

  しかしヨゴレを燃やして炭にするというのはどういうことなのでしょう?」



  おそらくは、水で清めること自体は本質ではないのだ。

  アノモノたちにはヨゴレのない正常な状態というものがある。

  それに戻すということなのだと思う。



マッサラは、答えながら、これは質問に正確に答えたことにならない、と感じていた。

案の定、マグダリはより具体的な質問を重ねてきた。



 「今日浄化したアライモノはセンザイと水で浄化してはいけなかったのですか?そうならば、それは何故ですか?」



  それは…



わからない、と言おうとした、しかし何か、


何かを思い出しそうな気がする、


初老の女性に怒られている記憶が、


ばしょはどこだ?しらない場所…いや、よく知っている、


懐かしい、狭い場所だ、厨房だ、酢の匂いがする、


そのとき、



 「マッサラ様!危ない!」



危険を知らせる叫び声が上がると同時に、マッサラの体に凄まじい衝撃が走った。

何かがマッサラの脇腹を貫いている。

川原のあちこちで悲鳴が上がるのが聞こえる。

マッサラは、自分を貫いている長い木の棒を見た。



  サイ…バシ…



それを自分で引き抜きながら、自らの血で汚れたサイバシを、マッサラは手の中にスポンジとセンザイを召還してぬぐう。


なぜサカナヤキアミがあるのにサイバシがないことを不思議に思わなかったのだろう。

二つは一つと言っていいくらい関係の深いアライモノなのに。


そして、体に深々と刺さるこの感覚と、温かい血が溢れる、命が警鐘を鳴らすこの痛み。


この感覚は、知っている、

私は…


そこでマッサラは意識を失った。





夜。

マッサラは寝床で目覚めた。

寝具を青白い光が包んでいる。

窓は開け放たれている。

窓の外には月が見える。

皿のように丸い月が。



 「お目覚めだったのですね」



パタン、と扉を閉めて、マグダリが部屋に入ってきた。

手には水差しの乗った盆を持っている。



 「漁師たちが喜んでいます。

  川に魚が戻ってきたと」



マグダリは水差しの乗った盆をマッサラの枕元へ起き、マッサラの膝元へかしづいた。



 「私はあの日、奇蹟をみました。

  突然表れた巨大な矢に体を貫かれ、血をお流しになった、マッサラ様の傷口が、淡い青色の光に包まれ塞がっていくのを。

  私だけでなく、何人もの人間が目撃しました。」



マッサラがサイバシに貫かれた数日前のあの日、なぜかはわからないが一晩寝て起きるとマッサラの体は元通りになっていた。

貫かれたはずの穴もあいていなければ、体になんの傷も残っていなかった。

ただし大事を取って、体を休めるため予定を変更して数日滞在することになった。



 「町の者も私どももマッサラ様のご回復を喜んでいます。

  水の寺院には今までにも増してレグダリに感謝の祈りを捧げる人が押し寄せています」



 「全ては順調に運んでいるように思います。

  しかし何故なのですか?

  毎日、そのような悲しいお顔をして月をご覧になっているのは」



マグダリはマッサラの心の動きを鋭く感じ取っている。

益荒男はこの数日あることに苦悩していた。

しかし既に自分の中で答えは出している。

あとは告げるだけだ。


 

  私は思い出したのだ、自分が何者であったのかを。



マグダリは何も言わない。

その両目にはいつのまにか、厳しい光が宿っている。

けれども、優しく言葉の先を促しているようでもある。

マッサラは、この老師が何を考えているのかがよくわからなかった。



  私が取り戻した記憶は、あなたの師レグダリ16世のものではない。

  そして他のどのレグダリのものでもない。

  レグダリ川のない、この世界ではない、別の世界に生きた記憶だ。



  マグダリよ、私はそこへ戻らなければならないのだ。

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