誰がために皿を洗う
皿洗坂益荒男は、生活のためにデパートで食器洗い用品の実演販売をはじめた。
山寺を下りたら益荒男は、憑き物が落ちたように、全国行脚への衝動はなくなっていたのである。
もちろん、ズーパー・ディッシェナーにリベンジするという目標は依然として変わらない。
ただ、今はまだそのときではない。
益荒男は自然とそう思えた。
それよりも。
自分の皿洗いが役に立つことはないだろうか。
益荒男は、山寺の修行で感じたもやもやを気にしていた。
益荒男は職業斡旋所に赴き、皿洗い熟練者を募集している仕事をリクエストした。
そうして紹介してもらった一件目がこのデパートでの実演販売だった。
ふつうは皿洗坂さんのリクエストのような特殊な条件の仕事はないんですが、と職業斡旋所の職員は前置きした。
「小売業界は今、ネット通販に対抗して、売り場のエンターテイメント性を高める努力をしているんです。
このデパートは全国展開する老舗百貨店ですが、今までにない実演販売を模索しているそうで、ユニークな専門性のある方を求めているそうです。
正規社員という訳にはいきませんが、職場環境はいいですよ。
応募してみてはいかがでしょう?」
益荒男は、すすめられるままに履歴書を送り、実技試験を経て採用となった。
益荒男の持ち場は日用品売り場に設けられたオープンキッチンだった。
エスカレーターにも近く人の往来も多い目立つ場所だ。
今売り出しているのは、タブレット状の洗剤、水で調整して、濃くも薄くもできるヴァッシェナー社の新商品だ。
益荒男はこの商品が好きだった。
タブレットをポン、水をジャー、たったこれだけです。
益荒男は二十人程の聴衆に向かって実演してみせる。
空になった市販の洗剤容器にラムネのような錠剤を落とし容器を水で満たす。
錠剤は溶けにくそうでしょう?
でもこの製品を作っている会社は入れ歯洗浄剤の部門も持っているんです。
だからほら、こうして話しているうちに……見て下さい。
もう溶けてなくなったでしょう?
感嘆の声をあげるギャラリーから、婦人をひとり手のひらで指して、洗ってみて下さい、と促す。
婦人はギャラリー側から、益荒男の隣に移動し、皿洗いをはじめる。
「泡があんまり出ませんね。
でも手応えがしっかりあって汚れが落ちやすい気がします」
そうなんです、あまり知られていないことですが、と益荒男は説明する。
多すぎる泡はクッションになってしまって、落ちにくい汚れには逆効果なんです。
市販の洗剤を原液で使うと、泡がたくさん出て、すすぐとキュキュっと鳴ってよく落ちる気がするでしょう?
でもあれは気がするだけです。
手は荒れるし、洗剤のすすぎ残しも多い。
普段の食器洗いだったら、市販のものでも10倍に薄めて使うことを私はお勧めしますね。
反対に、と益荒男は茶色に汚れた換気扇を取り出す。
こうした頑固な油汚れには濃い溶液でないと効きません。
シンクに栓をして水を薄く張って……タブレットを2、3錠撒けば三十秒で市販のものより濃い洗剤ができます。
作った溶液をスポンジで拾いながら換気扇を掃除してもいいし、面倒だという人はこうして……
益荒男は汚れた換気扇をゴミ袋に入れて、水を満たし、タブレットを数錠入れて口をしばる。
三十秒というわけにはいきませんが……
益荒男は、壁にかかっている時計をちらりと見る。
三十分もすればきれいになりますよ。
よかったら、どうぞ三十分後にまた、お寄り下さい。
なになに?
きれいなものと取り替えないかって?
疑り深いお客様はどうぞ、三十分いてくださって結構ですよ。
私も換気扇もここからうごきませんので。
ただちょっと騒がしくなるかもしれませんが、ご容赦ください。
益荒男が言い終わるか終わらないかのうちに、店内放送が流れた。
ぴんぽんぱんぽーん
お客様にご案内申し上げます。
ただいまより、三階、日用品売り場にて、達人による、皿洗いショーが始まります。
今日の演目は、7階、レストラン街の協賛で、「利き洗い物」、です。
300以上の洗い物を、瞬時に見分ける、達人の、妙技を、お楽しみ下さい。
繰り返します……
◇
ふぅ。
益荒男は販売員休憩室に戻って、古びたソファに腰掛けるとほっと息をついた。
今日のショーも盛況だった。
新商品もたくさん売れた。
ショーのあとでなじみのお客さんが声をかけてくれた。
子供が握手を求めに来てくれた。
とてもありがたいことだ、と益荒男は思う。
人に喜んでもらえるということは素晴らしい。
「おつかれさま。今日もよかったよ」
休憩室に拍手をしながら入ってきたのは、トウジョウデパートの社長、東城秀次その人だ。
自分も感激し、お客様にも感激してもらう、をモットーに実演販売員を自ら選ぶ、典型的なワンマン社長である。
益荒男もこの人に気に入られて、一発採用となったクチだった。
ありがとうございます、と立ち上がる益荒男の肩をぽんぽんと叩きながら、東城社長は、私の目に狂いはなかったよ、と機嫌良く言った。
東城社長は、多くのワンマン社長がそうであるように、自分の目で見たものしか信じないタイプだ。
フロアを巡回し、自分が選んだ販売員たちの仕事ぶりや客の反応を観察するのを日課としている。
今日も、益荒男の皿洗いショーをチェックし、その成果に満足していた。
益荒男の皿洗いショーは始まってまだ日が浅いにも関わらず、トウジョウデパートでも注目のコンテンツとなってきていた。
色々ある演目の中で今日行ったのが一番人気の「利き洗い物」だ。
汚れた皿を洗いながら、その皿にどこの店のなんの料理が乗せられていたかを推理して叫ぶというものだ。
馬鹿馬鹿しさに加えて、確かな技術に裏打ちされた仕事の美しさや、時間や皿と勝負する益荒男の豪快さが見物として面白いのだろう、早速ファンもついている。
実際、実演販売を見ていた客の半分以上はそのまま残った。
今日のショーの場所取りを兼ねて実演販売を見物していたのである。
実演販売のギャラリーが多ければ、一般のお客さんの注目も引きやすく、足を止めやすくなるから、店側としてもありがたい。
また、洗う食器類も、デパートのテナントのレストランから調達してくるから、レストランの宣伝にもなり、洗い物も片付けられる、デパートにとっては何重にも助かるイベントになっている。
「皿洗坂君、こんどテレビに出てくれないかね」
社長、それは食器洗い対決でしょうか。
益荒男は身構えた。
もしもズーパーデュッシェナーとの再戦なら自分はまだその実力はないから断らなければならない、と益荒男は心配した。
「ちがうよ。
朝の情報番組だ。
主婦向けに、若い男が家事をレクチャーするコーナーの食器洗い担当だ。
少し大変になるが、生放送に出た後で、デパートに来て働いてもらえないか。
手当ははずもう」
やります、と益荒男は答えた。
自分の皿洗いが人の役に立つのなら、と益荒男は心の中で付け加えた。