食洗機との対決(洗え益荒男)
益荒男は激怒した。
必ず、邪知暴虐の食洗機の導入は阻止しなければならぬと決意した。
益荒男には大将の心がわからぬ。
益荒男は、ただのアルバイトである。
店の掃除をし、米を測り、納豆を叩き、穴子をあぶり、お茶を入れ、注文を聞き、寿司を運ぶ合間をぬって、皿を洗うことで丸鮨と己の生活を支えてきた。
皿洗いの技術に関しては人一倍に自信があった。
益荒男には、父も母もいるが、家を出て以来連絡を取っていない。
この三年、丸鮨の従業員を家族と思い、皿洗いを友として暮らしてきた。
営業と後片付けの終わった店内のテーブル席にはまかないが並べられており、それを囲む従業員たちはうつむいて誰も何も言わない。
今日は土曜日で、今は深夜一時であり、みんなが疲れているのは当り前だが、けれども、なんだか、疲労のせいばかりではなく、丸鮨全体がやけにひっそりしている。
さては、みんなして謀ったな。
普段は鈍い益荒男も、さすがに状況を察知した。
手近な若い見習いをつかまえて、何かあったのか、みんな俺の皿洗いの腕前を喜んでくれていたはずだが、と質問した。
若い見習いは、首を振って答えなかった。
今度は、さきほどから益荒男のわきに立ち、益荒男に厳しい眼をむけている大将にむかって、こんどはもっと語気を荒くして質問した。
大将は答えなかった。
益荒男は両手で大将をゆすぶって質問を重ねた。
大将は沈痛な面持ちで、益荒男から顔をそむけると、低い声で短く答えた。
「最新の食洗機はお前よりすごい」
「なぜわかるのです」
「ここにドイツのヴァッシェナー社のカタログがある。ズーパー・デュッシェナーという業務用食洗機の商品案内を読めばわかる」
「たくさんの皿を洗うのですか」
「洗う。20枚の皿を30秒で洗うことができる。10秒で乾燥もする。」
「驚いた。しかし大将は乱心か。食洗機は鮨屋の業務には向きません」
「いいや、心配はいらない。木製の飯台、漆塗りの丸桶、ガラスの前菜皿、素焼きの徳利、ステンレス製のボウル、プラスチック製のタッパー、ぜんぶ一度に洗うことができる。搭載のコンピューターが器の材質と汚れの成分を見分ける。傷をつけることもないし洗い残しもない。一時間あたりの電気代はお前の時給の百分の一以下だ。乾燥の後は赤外線で除菌もする。」
聞いて、益荒男は激怒した。「無茶苦茶な食洗機だ。とても信じられない。」
益荒男は単純な男だった。
翌朝、日がのぼるや否や、柔道着に古下駄をひっかけ、銀座にあるヴァッシェナー社日本支部本店のモデルショールームにはいって行った。
日曜日でショールームは休みだったため、たちまち彼は駐在の警備員に取り押さえられた。
調べられて、反射的に警備員を投げ飛ばしたりと暴れたあと益荒男の懐中からはスポンジとゴム手袋が出てきたので、ちょっとした騒ぎになった。
益荒男はパトカーに引き立てられる直前、テレビカメラの前に引き出された。
「スポンジとゴム手袋で何をするつもりだったのですか?」
民放の若い男性アナウンサーは、早口で、けれども明確な批難の意思を込めて問いつめた。
「食器洗い機と勝負をつけにきた」と益荒男は悪びれもせずに答えた。
皿洗坂益荒男と食洗機ズーパー・デュッシェナーの世紀の対決は民放のテレビ中継をもってお茶の間に配信されることがきまった。
消息不明だった柔道界の若きエースが、皿洗いに身をやつしており、生活とプライドをかけて食洗機と勝負する、という数字の匂いのする物語にテレビ局が飛びつき、ヴァッシェナー社にかけあって実現した企画である。
「おもしろいお人だ」ヴァッシェナー社社長シュミット氏は番組の冒頭でいじわるく微笑んだ。
「人間の分際で、我が社の食洗機に挑もうとするとは」
「なにを!」と益荒男はいきり立って反駁した。
「人の技術を畏れないのは、最も恥ずべき悪徳だ。ヴァッシェナー社は人間の探究心と向上心をも疑っているようだ」
「疑うのが正当の構えなのだ、と私は経験から知っている。人間の技術はあてにならない。人間はヒューマンエラーをする。人間の肉体には限界がある。それに人間は怠ける。常に高みを目指しつづけるのは苦しいので適当なところで満足しようとする。人間の探究心を過信してはならない。」シュミット氏は落ち着いて答え、カメラに向かって笑顔を作った。
「しかしある意味では私も、探求をする1人の人間なのです。私は機械の可能性を信じている。」
ズーパー・デュッシェナーが勝った場合には、ヴァッシェナー社から丸鮨へズーパー・デュッシェナーが贈られ、益荒男が勝った場合には、丸鮨に食洗機が導入されることは見送られることを司会者が説明し、戦いの火蓋は切って落とされた。
結果は食洗機の圧倒的勝利であった。
益荒男は負けた。
彼はテレビ局を出るとまっすぐ家に向かい、荷物をまとめた。
家と言っても、雨風がしのげる四畳半のぼろ間であり、荷物と言っても、上京した時に肩に担いでいた着替えだけである。
そのまま不動産屋に出向いてアパートを解約し丸鮨に向かった。
丸鮨で辞める旨を伝えると、店の者たちは慌てた。
なにもやめることはない、寿司職人の修行をすればいいのだから、と益荒男を引き止めた。
店をやめてどうするつもりか、と聞いた者があった。
へい、皿洗いの修行の旅にでます、と益荒男は答えた。
丸鮨の従業員たちはますます慌てた。
益荒男よ、おまえが負けたなら誰もあの機械にはかなわない、皿洗いの未来はヴァッシェナー社に任せればいいではないか、と説得した者があった。
へい、ごもっともです、と益荒男は答えた。
でも、ここで諦めたらシュミットの社長さんの言ったことが本当になってしまいます。
それはどうにも悔しいんです。
ズーパー・デュッシェナーを倒せるくらい強くなってみせます。
その時にはまたこちらで雇って頂きたいと思います。
大将、みなさん、今日までありがとうございました。
益荒男は、深々と一礼すると丸鮨の手前のバス停に停まっていたバスに乗り込んだ。
益荒男を乗せたバスは、真っ赤な夕日に溶け込むように走り去って行った。
そのバスを丸鮨の面々は手を振ることも忘れて呆けたように見送った。