一章6「焚き火あとの火種は危険が危ない」
結局、予定していた分の業務は終わらなかった。
昼時間になり、魔王が食事もとらずに「ちょっと外に出てくる」と席をたつと、見目麗しい秘書が呆れたように彼を見た。
「どちらへ?」
「あー、ちょっと裏の湖の上まで。座りっぱなしで腰が痛くてかなわんよ」
「……お一人で、ですか?」
「ああ、うん。一人さ。もちろん」
少なくとも、魔人は一人で違いない。
内心で屁理屈をいって言い訳しながら、それを口にするほどの度胸はない。じっと見つめてくる美貌に、見透かされる思いで沈黙する。
秘書はふう、と小さく嘆息した。
「なるべくお早くお戻りを。緊急のものはすんでおりますが、業務が滞ってしまいます」
「わかった。そうする」
相手が美人だからこそ迫力ある重圧から、逃げ出すように執務室を出る。
シユは掃除をしていると言ったが、作業している魔物たちに混ざっているとは考えにくい。非力な人間で、しかも少女だから邪魔にしかならないはずだった。
それは本人もわかっているだろう。どこか迷惑にならないところで仕事にもならないような雑務に細々としているのに違いなかった。
となればどこにいるかの検討はつけにくい。
城内は広く、汚れ仕事はそのいたるところに散らばっている。
魔王は番兵に立つ魔物に所在をたずねた。
「はッ、シユたんは現在、城の外にて瓦礫の片付け中であります! 重いものを一生懸命運ぶシユたん、萌え!」
即答され、思わず渋面になる魔王に、相手は不思議そうに首をひねった。
「何か?」
「……名前を聞いていいかね」
「はッ、城内警備三班所属、アレックスであります! 『生愛会』ナンバー03489!」
「…………そうか。君、家庭はあるか」
「はッ、先月、幼なじみの魔狼族の彼女と式を挙げさせていただきましたッ、萌え!」
「………………おめでとう。あまり奥さんに迷惑をかけないようにな」
頭痛をおぼえながら魔王はその場を後にする。
最近、城内におかしな流行があることには気づいていた。
それも彼の頭を悩ませている一因である。……生愛会? また桁が増えているのはいったいどういうことだ。
外に出ると、魔界らしからぬ透明な日差しが魔王の全身に降り注いだ。
城周りを歩いて、すぐに目当ての人物を見つける。
ぼさぼさでぼろぼろの少女は、壊れた備品をまとめて焼却している場所にたたずんでいた。
建物から距離をおいて高く舞い上がる炎に、少しずつ備品を投げ込んでいる。気配に気づいて振り返った顔が煤で汚れていた。
「すみません。もう少し、かかってしまいます」
魔王はうなずいた。
瓦礫の山はいくら少女が往復しても一向にその量を減らさない。
黙々とした作業を眺めるままいくらか時間が流れ、
「もう。いつまでやってるのさ」
軽い感じの声とともに、唐突に地面から炎が湧き上がった。
生き物のようにうねり、立ち昇って巻き込んだ瓦礫の山を焼き尽くす。
炎は少女の足元まで伸び、はかったようにそれ以上はいかず、直前で赤い舌をひるがえらせてそのまま別の瓦礫の山へと飛びかかっていった。
火の粉が飛び、熱風があたりに吹きつける。
魔王が振り返ると、そこに雄々しいたてがみの魔獣がいた。
ほとんど真っ白にちかい撫でつけるような体毛に、燃えるような炎が逆立っている。
「そんなちまちまやってたら、一日たっても終わらないじゃない」
幻獣種のその魔物は、獣の口から流暢な言葉をつかった。
「魔王様も、見ているだけじゃなくて手伝ってあげたらいいのに」
魔王はむっつりと黙って答えない。
少女も黙って、這い回る炎を眺めていた。
周辺のものを焼き尽くし、満足したとばかりに炎が鎮火したあとには、燃え焦げた残骸と黒ずんだ地面が残った。
振り返った少女がぺこりと魔獣に頭をさげる。
「キーリさん。ありがとうございました」
「ううん。いいからさ。早くいこうよ、湖の丘にいくんでしょう?」
「まて。どうしてお前までついてくることになってるんだ。キリフォクイェル」
魔王が顔をしかめた。
若い幻獣はまだ若い、愛嬌のある顔をかしげて、
「あれ。ダメ?」
「ダメだ」
「えー。でもでも、スーヴェさんから頼まれてるんだよ」
「スーヴェリージェくんが?」
「うん。魔王様の護衛をね。勇者の襲撃があったばっかりっていうのに、魔王様を一人で外にいかせられるわけないじゃない」
そう言われてしまえば、魔王としてもなにも言い返せない。
もとより公人である以上、自由を満喫できることなどありえなかった。影からこっそり護衛してくれるのではないかなどというのは、彼の勝手な願望だった。
「……わかった。なら、さっさといくぞ」
「水をかけてきてからでも、よろしいでしょうか」
少女が言った。
燃え盛った炎のあとが地面にくすぶっている。近くに燃えるようなものは残っていないとはいえ、消火のあとにもしぶとく火種は残るから、危険だった。
「あ、だいじょぶだいじょぶ。あとは彼らがやってくれるってさ」
幻獣が言った。
「おまかせください!」
ハモった声の先に、大勢の魔物たちが整列している。
魔王が嫌そうに顔をしかめた。
「……火の片づけに、その人数は多すぎるだろう」
「いえ、我々はジャンケンで勝ちました!」
よく見れば、居並ぶ集団の横で、がっくりとうなだれている数人。
魔王は少し考えて、火の番は彼らが押しつけられたということだろうと気づいた。
「あー。つまり、お前たちは」
「湖への行幸、謹んで我々もお供させていただきます!」
「いや。すぐそこの裏までいくのに、なにもそこまで――」
「心配ですから!」
誰が、というのが見え透いていて、魔王はやれやれと頭を振った。
魔物たちの群れは熱い視線を奴隷の少女に向けている。
少女は感情のうすい表情をきょとんとさせて、その場の成り行きを見守っていた。
「……お前たち、いくら休み時間だからって、やることはあるだろう。修繕作業に励んでいる連中が、今も必死になって」
さすがにここまでぞろぞろ引き連れて休憩もなにもあったものではない。
魔王は、彼にしては珍しく粘ってケチをつけてみるが、
「城仕えの総員で勝ち抜きジャンケンをした結果ですから、誰も文句はありません!」
「いや仕事しろお前ら」
「シーツも干してきましたが、なにかッ!」
はあ、ため息をついて、何もかも面倒になった魔王が手を振る。
「わかった。もういい」
「最初からそう言っておけばいいんだよ、この出涸らし魔王!」
「そこはハモっちゃだめだろ。ていうか声にする時点で大問題だぞ。ほんといい加減にしとけよお前ら」
そういうことになったのだった。