一章4「色々と事情、あります」
会議のあとには、膨大な書類の決済が城主を待ちかまえていた。
被害内容の大要と詳細。人的、物的被害からその復興に必要とされる費用のおおまかな概算まで、魔王軍事務方の仕事は昨夜のうちから手早く行われていた。
守備隊長の発言どおり、昨日の勇者一向の奇襲がもたらした被害は甚大だった。
城内につめていた魔物たちで掃討された数は三桁にのぼる。踏み込まれた部屋は床までひっぺがえして家捜しされる念のいりようで、足の踏み場もないほど荒れに荒れまくっていた。
そこらじゅうで派手に破壊魔法を使われたせいで内装のあちこちが吹き飛び、古くに建築されて今では歴史的価値さえある魔王城の外観は、著しく損なわれている。
城の内外では魔物たちが修復作業にとりかかっていた。しかし、人的被害の影響が命令系統にも乱れを残していて、作業体制は決して十全とはいえなかった。
勇者の襲撃そのものなら、決して珍しいイベントではない。
世界に平和をもたらそうと猪突猛進の突撃をはかる勇者達を待ち構えるというのは、なんといっても魔王という職業の主業務である。
いくら叩いても叩いてもわらわらと這い出してくるそれらは、そのほとんどが魔王城に辿り着くまでに命果ててしまうとはいえ、なかにはそこを切り抜けてくる猛者もいる。
だからこそ、魔王軍には常に親衛隊がつめているのだが、その親衛隊にもまったくの問題がないというのも、先の会議ででたとおりの事実だった。
魔王軍で勢力を誇るのは、六鬼将とよばれる六体の魔人・魔物たちである。
彼らはそれぞれの領地と、類族や配下を従えて魔界のそれぞれに君臨しているが、形式上、彼らの上にたっているとされる魔王の直轄地領は、実は魔界のなかで驚くほど小さな範囲にしかなかった。
それ自体が魔王の影響力が乏しいことの証明でもあるのだが、それだけではない。
魔王の直轄領がそれほどまでに縮小されたのは、先代の魔王が傀儡としての役割から脱却しようと、独自の考えをしめした結果だった。
竜族の係累から誕生したその魔王は若く、強く、そして野心的だった。
彼は今の停滞した魔界の在り様に異議を唱え、本当の意味で魔王を中心とした中央集権的な魔界軍の組織体制の確立へと動き出した。
若く聡明な魔王のフレッシュな言動は魔界の住人たちから確かな支持をえ、一時、魔界には確かに新しい風が吹きかけた。
そして、六鬼将につぶされた。
自らの力を誇示するため、人間界まで外征にでた魔王が殺されたという衝撃的な事実が、実際に彼らの手によるものという証拠はない。
しかし、誰もがそれを疑ってしまうほど、彼らの対応と事件の前後には不審なことが続いた。
まず、一対一なら六鬼将とも並ぶとまで称された魔王を、いったいどこの誰が倒したのかが問題となる。
下手人として真っ先にあがるのは人類の希望、数ある勇者どものどれかということになるが、このあまりにもあっけない魔王死亡という出来事は、人類のなかでまったくニュースにならなかった。
魔王の殺害は、彼らが宿願としてかかげる一大事である。もしそれが願ったならば、国をあげて喧伝して当然だった。
しかしそれがない。
それどころか、魔王が死んだということすら人間どもは知らないというのが、魔王軍情報局が検討に検討をかさねた末にだした結論である。
魔王殺害の報を知った六鬼将たちのあまりに素早い対応も、疑念の元となった。
彼らは強い動揺を隠しきれない魔界全軍に向け、緊急の領鬼会の開催と魔界、人間界の境界線への緊急派兵を決定したことを告げ、さらには主不在となった魔王城を含む魔王直轄領を六鬼将で一事預かりとし、事の真偽を確かめて事態の沈静に努めた。
迅速な処置だが、見え透いてはいた。
彼らが若く力のある魔王の台頭を恐れ、その弑逆をはかったというのは、すぐに魔界中で噂されるところとなった。
六鬼将たちも恐らくそれを耳にしなかったはずはないが、誰一人としてとりあわなかった。
反応をすればかえって信憑性を強めるだけ、という考えだったわけではない。そのような噂が流れたところで全く痛くないとわかっていたからだった。
結局のところ、魔界で問われるのは力である。
若い魔王は死んだ。
それはつまり彼が弱かったという、ただそれだけのことだった。
改革がはじまったばかりの魔界の実権は、その時点でいまだに六鬼将たちが握ったままだった。
魔王のシンパはもちろん騒ぎ立てたが、先に大将をやられてしまってはそれ以上抗いようがなかった。後継者として周囲から盛り立てられるだけの人材がいなかったという理由もあった。
六鬼将たちはやがて正式に魔王死亡の事実を認め、痛恨の意を表するとともに、亡き魔王様の意思を継いで魔界は一致団結すべしと同胞たちに呼びかけた。
彼らの手によってすぐに次代の魔王が選出された。
王叙任の晴れ舞台にあがった人物もまた、彼らの意図を明確にあらわした存在だった。
魔人の出であるその人物は若くもなく、力も魔界のなかで決して秀でてはおらず、そのさえない風貌には上に立つ者としてのカリスマが圧倒的に欠落していた。
改革への意欲もなければ、自らなにかをしようという野心も持ち合わせてはいない。
疲れきって濁った眼差しを下に居並ぶ無数の魔物たちに向ける中年の魔人が、六体の鬼将の手によって戴冠を受ける。
魔王クラウジフルの誕生だった。
「指揮系統の確認については、これまでに八割ほどは回復しています。今回の襲撃では特に下士官クラスへの被害が大きかったため、臨時昇進という形で現場レベルの収拾が可能だったのはせめてもの幸運でございました」
妖鳥族の女性が流麗な調べの声を奏でた。
侍女長と秘書を兼任するその魔人は、淡い灰色の翼に蒼味がかった頭髪を伸ばした、ぞっとするほどに美しい外見の持ち主だった。
それも当然で、彼女は由緒正しい出自を持ち、本来ならば侍女などという役柄にいるべき人物ではない。彼女は野望を抱いたまま若くして死んだ先代魔王の婚約者だった。
その相手がなぜ魔王の侍女役などをやっているかというのは、一つに六鬼将たちが先代魔王のシンパへ自らの立場を理解させるための、いわば見せしめのようなものだった。裏に隠れられるよりは、表舞台に立たれていたほうがなにかと都合がよいということもある。
先代魔王の死に際し、血の涙をながして狂乱したという麗しい魔人は、今はそうした名残を想像するのも難しいほど、玲瓏な立ち姿でいる。
儚げで、触れてしまうのもためらってしまうような危うい気配があった。
「幸運、か」
魔王が皮肉げにつぶやいたのは、それを言った相手への皮肉ではない。
ちらりと切れ長の視線を女性が向けた。
「――六鬼将様から出向の各仕官方には、お一人として犠牲はありません。幸運でありました」
小さな棘を含めて繰り返す相手の心情をおもんばかって、魔王は相手にわからないよう苦笑をひらめかせた。
魔王直轄軍である護衛軍は、その仕官や装備を六鬼将からの供給でなんとかまかなっている現状である。
直轄領からの徴兵で固まる兵卒に犠牲が集中し、彼らの同胞である仕官たちの犠牲が皆無だったことは奇跡のような幸運だった。――誰かがそう仕向けたとしか思えないほどに。
目的は危機感の扇動、あるいは直轄軍の戦力を推し量るためか。だとしたらあまりの無様さに今頃は呆れているところだろうな、と適当に考えていて視線に気づく。
無言のまま彼を見る侍女に、魔王は肩をすくめてみせた。
「幸運なら、ありがたいな」
彼を見る視線に力がこもったが、魔王はそ知らぬ顔でそれを受け流した。
「……現在の作業段階ですが、城内の破損場所の確認及び、すぐに必要と思われた応急処置は既に完了しております。二班体制の修復作業へと移っておりますが、人手はともかくとして、資材の買いつけ先の目処がたっておりません」
無理やりに視線をはがすようにして、女性が続ける。
「侵入者は王城襲撃に至るまで極力戦闘を避けてきたようではありますが、それでもやはり途中での被害は出ております。また、その侵攻ルートと思われる炎鬼将様、雷鬼将様間の領地でも相応の被害がでているということで、お二方ともに食料や資材を方々から集められているようです」
「……ああ、なるほど。大手をふって戦の準備が出来るな。またどこかに攻め込むつもりでもいるのか」
「――いかがいたしますか」
女性が持ち上げた眼差しに、わずかに期待のような光がうかびあがるのをわかったうえで、魔王は言った。
「もちろん。放っておくとも、味方同士でやりあうならともかく」
ぎゅっと女性が下唇を噛む。
自分が彼女に悪いことをしているような気分になって、魔王はそっと目をそらした。机のうえの散乱する書類へのサイン作業に戻る。
「今ある資材だけだと、どれくらいだい」
「恐らく。五日ほどがリミットかと。石材や木材はともかく、釘などといった小物から不足は目についてくるでしょう」
「金子は?」
「……計上された予算内で収まります。しかし、以前より予定しておりました不作分の食料買いつけのことを考えますと――」
「足が出る、か」
魔王軍の懐事情は常にかつかつだった。魔界の領土は広いが実りは少なく、そもそもが魔物という生態が農耕生活に根を張るような存在ではないからだった。
奪うことがまず彼らの基礎経済の源にはあった。
大地から、そして人間から。
さらに、魔王直轄領は一時的に六鬼将たちに接収され、魔王クラウジフルが戴冠して彼の元に戻されたときには幾つかの領地を六鬼将たちへ“自主的に”譲り渡すことにされてしまったため、王ではあっても貧困な状況に始まり、それが今まで続いている。
「まあ、ないものはないのだから仕方ない。優先順位の高いところからやって、隠せるところは隠したままの手でいくしかないな」
「はい。……しかしそれでは、材質も意匠も、以前の通りというわけには参りませんが」
「かまわんよ」
あっさりと魔王は言った。
「城にいる連中が安全に生活できることが一番だ。私のところなんて手つかずのままで問題ないし、……ああそうだ。城の上層のほうに、今は使っていないところがたくさんあるじゃないか。そこから資材やなんかを調達すれば――」
言いかけてから、魔王はしまったと気づいた。
彼の代になってから使われていない城内のあちらこちらには、先代魔王の生活の後が色濃く残っている。その婚約者だった女性の前で、いかにもうかつな発言だった。
「……どうかお気になさいませんよう。魔王様のお気持ちだけで、嬉しく思います」
控えめに頭をさげる女性に、渋面でぱたぱたと手を振る。
「あー。いやいや。今のはなし。とりあえず、現状の資材でなんとかやり繰りする算段をつけてみてくれ。追加の資材の発注先については、――まあ、あとで考えてみよう」
「かしこまりました」
社交的な微笑を浮かべた女性が、ふと眉を細めた。
「――魔王様」
外からの念話を受けて、ささやく声に緊張と、それ以外の感情が含まれている。
「面会のご希望が入っております」
「面会?」
仮にも魔王であるから、訪問客と会うのにはそれなりの手順が必要になっている。この時間に誰かと会うなどという予定は入っていなかった。
「はい。氷鬼将、……トワリニグル様が。魔王様にお時間をいただきたいと。既に隣室にてお待ちでいらっしゃるとのことでございます」
それを聞いたクラウジフルはおもいきり顔をしかめた。
食事に嫌いなものが出てきた子どものような反応に近かった。