―Ⅰ― 帯剣の宴
刻名の剣。響きは確かに綺麗で、好きだ。けれどそれを除けば、後に残るのは嫌な結果。
またも名前の事を言われて、在人は心底不機嫌だ。それを香奈にも悟られ、苦笑されて、とりあえず機嫌を元に戻そうと努力する。香奈に変な気を遣わせたくもなかったし、遣われたくもなかった。
大体、名前なんて今に始まった事じゃない。不幸が起こるかもしれないと怯えれば敏感になるように、きっとあたしのだって気にし過ぎだって分かる。
適当に菓子を摘みつつ、在人は香奈の結果を見て失笑した。香奈の内容もきっちり当てられていたのだ。 ランキングが下にあるにしては、あの意味不明な質問でよくもまあ、こんなに人の本質を当てられるものだ。きっとほとんどはでたらめで、たまたま自分たちが当たっただけに過ぎないのだろうけれど。
テレビの電源を入れながら、付け損ねていたゲームの電源を入れる。香奈が大好きなRPGものは、どうも在人からすれば洞察力や直観力をもう少し使ってもいいのではと思える程にちゃちに感じてしまう。
別に香奈の趣味を否定するわけではなく、純粋に在人が遊ぶには役不足なのだ。初回のプレイで六十時間はかかる内容を、マップの行き止まりにはまる以外はすんなりと解いてしまう在人には三十時間を少し超える程度。シナリオが訴える内容や、世界観の作り方などは彼女も気に入っているし、矛盾を掘り起こすのは作者に失礼だろうと、心のうちにとどめておくだけにしている。
手芸でもそうだ。同じアクセサリーでも、出来栄えは一分一秒でも違えば全く変わってくる。同じパティシエですら完成度が完全に同じお菓子を作れないように(在人から言わせれば大量生産品は邪道である)、オリジナルはどんなに頑張ったって一つしか作れない。
そのオリジナルのいい点悪い点は、結局つまるところ、製作者にしか決められないのだから。
そして今回持ってこられたRPGは、在人が手芸から一転せざるを得ずに適当に決めた趣味にそのまま当てはまった。在人は目を丸く輝かせる。
「『新・武器職人RPG』!? うっそ、香奈持ってたの!?」
「うん、この間買ってもらったんだー。わたしは普通だったんだけど、在人やるかなーって」
「なぁに言ってんの、これ自分で武器作って商売するどころか、作った武器で洞窟に潜って財宝とか鉱石とか見つけ出していく、王道の職人ゲームじゃん! うっわーいいの、借りちゃうよ、また二十時間制覇狙っちゃうよ!?」
香奈に素早く振り返りつつも、すぐに目は新たに家にやって来たゲームの取扱説明書を素早く頭に叩き込もうと最高速度で動き続けている。香奈の声はどうやら笑いを含んでいるようだ。
「いいよ、いいよ。そう言うと思ったから持ってきたんだもん。本当、これでゲームマニアじゃないんだから不思議だよねー。ちなみにこれ、お兄ちゃんが誕生日に買ってくれたの。ひどいよねぇ、わたし格ゲー以外興味ないのにぃ」
「あーうんそうだったねーでも香奈格ゲー出来る理由って適当にボタン連打すれば勝てるからじゃんってあーっ!? うっそだマジ!? 新要素すっごいいい! でもこれ簡単に進めるじゃん、この機能は全年齢向けにするためだけにつけたなビックベルターめ! ああもうなんで職人の方向性にもっと幅を持たせる努力しないかなぁ、そこがまた王道で好きなんだけど!」
回る、回る、回る。
何が回っているのかはよく分からなかったが、とりあえず取扱説明書を全て読み終えて満足した在人は、ようやっと目を上げた。途端に香奈と目が合う。
その顔はいかにも(頭が)煮詰まりすぎて沸騰を通り過ぎ、既に水は完全に気化して固体になってしまった上に具の形も分からなくなった肉じゃがを思い起こさせた。
「どったの?」
「在人、口回りすぎ……あと意味不明……」
「え、新要素の『覇天の技』と『マイスターサーチ』だよ。『覇天の技』は基本的に戦闘中、それも『バーサークゲージ』MAXでしか使えないんだけど、素材を探す時に、自分が上げている職人進路のレベルに応じてボーナスが付加される『マイスターサーチ』発動中、前作から続いてる『集中』ゲージがMAXだったら『覇天の技』を使う事が出来るんだよ! しかもマップ中敵に当たるんじゃなく、素材の位置を一定時間・範囲限定だけど見つけられるって便利じゃん!? けどこれ本当に楽に進めるようになっちゃうから、リピーターとしてはやっぱり職人の幅をもう少し広げる方に力を注いでほしかったかなー。資材集めはやっぱ――香奈? かーなちゃーん?」
変だ。
水分だけでなく、最早残った肉じゃがの具ですら気化しそうなイメージを何故か呼び起こすような親友の表情が見える。
首を傾げる在人に、香奈は目を覚ましたように体を一度震わせ、ゆっくり、ゆっくりと薄い笑みを広げていく。
「あーちゃん? 熱狂的ファン度までアピールしなくていいから、とりあえず進めてくれていいよ? ゲームを」
「あーちゃん言うな!」
「いいからさっさとやれ」
……ああ。
香奈、あたしの説明(訂正、口車)についてこれなかったのか。
途中まで柔道部の気迫に圧され、しかしケースを手に持つと顔が自然と緩んで笑みを作ってしまう。隣でジュースを注いでいるらしい香奈のため息が聞こえてくる。
「武器マニアもここまで来ると、製作者さんも冥利に尽きるんじゃない?」
「まだまだ、始まってもいないんだからプレイヤーとしての感想はこれからですよーっと。うっわーグラフィックすげぇっ! えっ、これ前作の主人公だよね、出るの、出ちゃうの!? うっそ嬉しいハーディだよハーディ! わーっ、うぁうっ!?」
オープニング早々、今までのシリーズの映像を超える綺麗かつ重厚なグラフィック画像を見て吠え、後頭部を殴られる。
「うるせーんだよ永久アルト担当代表男女」
「っ、ごめん……」
弟の声がして、在人は渋々謝った。去っていく足音を聞きつつ、むすっとして振り返る。
人の至福を(正しい理由で)邪魔した弟は、本当に自分と正反対だ。
つり目もよく似合うし、髪だってまだ柔らかいし癖もない。小学六年生のくせして自分より身長もあるし、ちゃんと名前も男の子らしくかっこいい。夢を一直線に翔る人という意味で翔矢。
相変わらず可愛げのない元チビめ……けどもてるんだよな、こいつ……。
「あーあ、怒られたねぇ」
「……まあ、いいよ。さすがにあたしも悪い」
思う存分吠えちゃってたしなあ。きっと家から漏れる程度の音量で。
どうせあの悪口だけに反論したって、両親はあたしじゃなくて翔矢の味方をするんだ……。
瞼を通して入ってくる光が、いつもより眩しく感じる。
太陽からの白っぽい光でもなく、ただ赤い光が――
「……ん……?」
一瞬、変な音が聞こえた気がした。
目を開ければ確かに朝日が差し込んできている上に、時計の時刻はきっちりと朝八時を示している。
普段聞こえた試しがなかった音をもう一度聞こうと耳を澄ませつつ、けれどやっぱり聞こえて来る音は静かな我が家に侵入してくる雀の鳴き声と、一軒家の二階住まいな在人の部屋のベランダに止まって鳴いている鳩の声ぐらい。
「……みんな寝てるのかな……あ、そっか八時ならみんな仕事かがっこ……」
…………………――――――!
またも叫んでしまった。
「すいません、寝坊しまし……?」
教室の柱や扉の枠が揺れんばかりに開け放った入り口の先、教卓に緊張の視線を向ける在人は、思わずぎょっとした。
「また寝坊したの、八月朔日?」
快活で、髪を短く切った女性担任の腰を凝視した在人に、その担任からかけられた声は全く聞こえていない。
頑丈なベルトのようなもので固定された細長いもの。目測で一メートルはあるだろうか。一応革らしいもので大部分は隠されているが、これでも他称武器マニアの在人は、むき出しにされた部分に巻かれた布の擦り切れ具合や、むき出しにされたその場所から横に突き刺したような棒でピンと来た。
剣だ
細身で元は歩兵用として開発され、下馬の際の主戦武器にも用いられた、昔の突き専門の長剣。エストックと同じノッカーの異名も持つ、対鎖鎧武器のタックだろう。
『武器職人RPG』にも登場していたし、その解説に載っていた長さの範囲や、鞘だろう部分の厚みをおおよそ差し引いた刃の幅も、それぐらいではないかと思える。柄の飾りが少ないし、長さもぎりぎりだから他の剣の可能性もあるが――
それにしたって何故、平和主義国の国民かつ聖職者呼ばわり必須な教師なんかが剣を?
こんな堂々と腰に差してたら皆気づくはずなのに――っ
「八月朔日? どうしたの、そんなに私の腰魅力的?」
「はっ!? 何あたし以上に寝ぼけた事言ってんすか――ご、ごめんなさい、目を見張るほど美しいですから、ぎりぎり出席扱いの時間なんだから見逃してくださいってばせんせぇーっ!」
おかしい
誰も先生の腰の獲物を見ていないはずがないのに。
周囲の連中にからかわれつつ席につきながら、在人はしばらく考えこんだ。
――そもそもあれが真剣かどうかも分からない。刃がなければ、中学生でも扱いはガラクタも同然のはず。
大体先生がいきなり剣を持ち込むだなんて、教育委員会に訴えられるだろうに。
在人は出席確認を聞きつつ、しばし黙り込んでいた。
今日、香奈は珍しく学校を休んでいた。
「――あいつもか……」
クラス全員の腰や背中を確かめてみた。そして変人扱いされて内心だけでなく口でも「あんたらよりはマシだ」と吠えた。
けれど見れば見るほど、むき出しのものやそもそもベルトで固定されているかも怪しいくらいほとんど揺れない剣に、在人はただ頭を抱えるだけ。
剣の化け物でも憑いてんの? この満鈴市民は……。
最近引っ越してきたばかりの在人には首を傾げるしか出来ない。水山中学校の全生徒全教師(ついでに事務担当教師や学校訪問者)の腰や背中を午前いっぱい使って見て回って、ほぼ全員が剣を所持していたのだ。所持していない子にほっとして話しかけようとして、背中に違和感を覚えて、よく見ると剣があった時には絶望した。
つい昨日まで存在していなかった剣。急に持ってくるにしたって、全員というのにはさすがに無理がある。刀剣類に興味がないはずの女生徒も余さず持ってきているなんて、変だ。
普通RPGやっている奴でも実在するとは知らないだろう、揺らめく炎のような刀身のフランベルジュに似たものや、メジャーなナイフらしきものに、欧米にでも行った事がないと間違いなく知らない気がする、本来はパイを切るためのキドニー・ダガー。形状が猪の牙に似たボア・スピアー・ソードなんて、在人が半ば偽の趣味のために購入した『通な人のための武器辞典』に載っているぐらい、現在では割とマイナーなものもあった。
ほとんどの刀身は、むき出しのものだけ見てきたがおそらく刃は潰れている。真剣ではありそうだったものの、鈍器になる程度だ。
ただ、きつい性格との噂が耐えない連中に限って、刃が潰れていなかったり、在人ですらも何だこりゃと言わざるを得ない、へんてこな剣もあったりしたが。
自分だけ持っていない。それが逆に浮いて見えて。普通なはずなのに、普通に感じられない。
……なんだか、悔しかった。
誰でも当たり前のように、普通ではないのに普通のように持っている。
最初の怖気も、畏怖も、全部かなぐり捨てる勢いで、ただ悔しかった。
何にも持っていないのは、昔からだと分かっていたのに。
剣なんて持っていない。昨日の心理テストすら、今日のための慰めに思えてきた。
「八月朔日さん、どうしたの? 体調悪そうだけど」
「……何でもない。大丈夫だよ、ありがとう」
少し話す機会が多い、おとなしめの顔立ちな新谷祈に心配され、曖昧に笑って見せる。
……祈ちゃんまで、小さい短剣持ってるんだ……
宝石のように透き通った刀身。柄は薄く青みを帯びた銀のような、不思議な色。布は擦り切れず、真新しく替えたかのようだ。
刀身の内側には沢山の傷が見られ、けれどその傷が、水晶の内部の傷のように太陽の光を煌かせているようにも見える。
……羨ましい。けれど、望む資格なんてない。
あたし自身は剣すら持ってない。望んだって、長女なんかに、こんな男女なんかに何が与えられるんだろう。
――心理テストみたいなかっこいい名前の剣なら、嬉しいのに。
「……あ、もうすぐ帰りのHRだよね? 鞄とってくるね!」
「あ、うん。体調気をつけてね」
「だーいじょーぶだいじょーぶ! 風邪引いたら弟にでも移すから!」
時計をちらりと見やり、随分前に確かめた気がする時刻をわざと声に出して。
在人は顔だけ笑顔を保ったまま、祈から逃げる道を選んだ。