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―Ⅹ― 光灯る道

 聞き慣れた音色が四つ。もう一度違う順番で鳴ろうとしているのが聞こえる。

 在人あるとは本気で顔を真っ青にして速度を速めた。

「うわああああああああ間に合えええええええええええっ!!」

 カーンコーン……。

 最後の音と同時、門が閉まりそうになるのを猛烈なダッシュでとどめさせ、無理やり体をねじ込むようにして入れて――肩から提げた鞄だけ引っかかって、肺から一気に空気を押し出され、息が詰まる。

 丁度それをタイミングよく後ろから見ていたらしい、ぎりぎり遅刻生の枠に入れられた生徒達が呆然と見ていた。校門を閉める作業を確認していた先生も唖然としている。蹲った在人は震える一方。

 胸を押さえて。

八月朔日ほづみ……お前遅刻のためだけにそこまでするか」

「ちゃ……ちゃいますってか……いったぁ、胸いったあっ!!」

 まともに成長してすらくれないのに、痛みだけは一人前に伝えてくれる胸を睨みつけつつ吠えれば、後ろからも前からも笑い声。頭を叩かれ、涙目で見上げれば、学ランよりも黒い目と髪の男子がにやりとした顔を向けてくる。

「黒」

「……はひ?」

 ぽかんとして聞き返して、しかし徐々に顔が赤くなって――

「こっの、ド変態が!!」

「全力疾走したお前が悪い。あんなに走ってたら意識しなくても見えるだろー」

「だああああああああもうこの中学生にあるまじき親父発言腹立つっての! 毎度毎度っ、二年なって遠慮抜けたらエロ親父かあんたは!! 大体何律儀に教えてくれちゃうわけ!? その口ファスナーつけて塞ぐ!!」

 大声で笑い飛ばされ、むかついて殴ろうと腕を振るうも、避けられる。悔しさに腕を震わせていれば、またさらににやりとした笑み。

「じゃあな、まな板」

「んっの……親父頭のマセガキがああああああああああああああああああああっ!!」

「ほらー、遅刻した人たちこっち来てくださ――」

 ダッシュ。

 教師の代わりに遅刻用紙を取りに行っていたらしい二年生の少女が、学校の正面玄関から紙を手に戻ってきていた。

 その目の前を全力で逃走する、その年の割にはまだ低いのではなかろうかという少年と、その少年よりさらに小さな少女が猛烈なばく進で追跡。

 登校時間が過ぎてやっと収まった土埃を、たった二人でもうもうと立てて去っていくその姿を見送りつつ。普段ポニーテールな茶髪の少女は静かに息を吸い込んだ。

「……せんせーい。在人と薙原なぎはら遅刻でいいですよねー」

「かまわんぞー。つけとけ、糸山」

「ラジャー」

 見事に、在人はその日遅刻扱いとなったのだった。


「えっ!? 間に合ったじゃん、なんであたしまで遅刻!?」

 勝手に名前を書かれた紙を見せられ、見慣れた筆跡の主を思わず見上げる在人。愕然としていたためか、香奈が溜息を投げて呆れ顔を見せてくる。

「鞄引っかかってたから全部入ってないって事で。それ以前に、普通なら危ないでしょあんなに驀進ばくしんしてたらっ」

「間に合ってたじゃん、しかも鞄体の一部じゃないじゃんっ!」

「荷物の一部ではあるよね、そ、の、ひ、と、のっ!」

 入らぬ所で真面目になる香奈にむすっとした顔を向けつつ、在人は溜息をついて伸びる。

「また放課後掃除? 嫌になるなぁ……」

「あと、薙原も遅刻カウント済みだからねー」

「うげえっ、マジ!?」

 二重に声が響き渡り、在人は素早く声が被った相手を睨みつける。当の薙原拓人なぎはら たくとだ。

「看視担当の先生の所まではわたしが連れてくから、どっちも逃げないようにね。背負い投げや押さえ込みされたくないならなおさらだよ?」

 そんな、いつにも増して可愛く小首を傾げられても、台詞の中の柔道の技には顔が引きつってしまう。

 正直在人は、結構前に空手を習っていただけに受身は普通に取れるのに。

 たしか薙原も小学校の頃は運動部所属と聞いていたけれど。受身ぐらい取れるはずなのに、向こうを見れば相手もやや固まっているではないか。

 女子柔道部の、次期部長候補の香奈のお言葉ならそれも当然か。

「あ、そうそう。明日合唱コンクールの自由曲選出があるんだって。だから今日中にパート担当者を決めてしまいたいって話、実良みよから回ってきてたよ」

 三週間ほど前仲良くなったばかりの古町実良こまち みよからの伝達に、在人はやや顔をしかめる。

「出たくないなぁ、練習……」

 歌は好きだ。けれど頭をよぎるのは、あのからかいの事で――。

 体育大会が終わった後から、結局は形ばかりとなった和解もあって、あまりクラスでの行事には参加したくない。別に誰も悪くないとは思うけれど、しこりの残ったままのクラスでまた一悶着起こす事にでもなったら、また吐きそうで嫌なのだ。

 ――そういえば、宿泊訓練の時も吐きそうになったっけ。うわーなつかし。あの時住永先生と話してなかったら今ここまでふざけてないよなー。

「大丈夫大丈夫、対策済みだよ」

 香奈がやけにご機嫌そうで、在人は複雑な思いになった。

 自分の言った意味が分かっていないのだろうか。でも去年、確かに香奈は目の前でその現場を目撃していたはずで……

 そう思った途端、在人は不意に口を押さえる。

「ど、どうしたの?」

「……ううん、何でもない。平気平気」

 ――なんだろう

 一瞬、ひどい吐き気が襲ってきた。

 顔色が完全に変わりきらないうちに、表情を貼りつけ直したから怪しまれなかったようだ。そのまま悟られないよう深呼吸していると、那賀を見つけて思わず睨みつけた。

 あいつが何かやろうものなら、今度こそ叩かなければ気が済まない。

 同時に、香奈にも言わなければいけない事があった。

「席につきなさーい」

 住永先生の声で席につきつつ、つい先週の席替えでなんとか前後の席になれた香奈の方へと、前へ身を乗り出す。

「香奈、この間の件だけど……」

「剣の話だよね。今も見えてるんでしょ?」

 在人は見えない事を承知で頷いた。

「先生のは突き専門のタック。新谷あらたにさんはクリスタル製みたいに透き通って、中に傷がいっぱい入った短剣。香奈も普通のだけど短剣。那賀は同族殺しの短剣ソード・ブレイカー。あと、翔矢は隠し身の短剣パリーイング・ダガーっていう、護身用の剣だね。実良は騎手の刺剣エストック。こっちは乗馬した騎士が使ってた、突き専門武器だよ」

 素早く、かつ小さく口にすれば、香奈はすぐに頷いてくれる。

「うん、メモに走り書きした内容だったから覚えてる」

「――それ。そのメモ。いつ書いたっけ?」

 先生が今回の合唱コンクールで、各パートのリーダー選出で色々と話をしている。在人の質問を一度止めてきた香奈は、少し躊躇して手を上げる。

「糸山、どうしたの?」

「先生、その……女子パートの低音、言いにくいかもしれないけど女子低音じゃだめですか? それか短縮して女低とか」

 途端に男子側から馬鹿にしたような笑いが聞こえてきた。思わず席を立とうとして、けれど後ろにいた女子に慌てて抑えられる。振り返れば、あのおとなしい新谷祈が青い顔で必死に腰にしがみついてきている。

「えっ、ちょ」

「お、お願い、これ、私が言い出した、事、なの……!」

 ――え?

「理由、聞いてもいい?」

「八月朔日さんの名前と間違えちゃって、八月朔日さん去年辛い思いしてました。同じクラスのメンバーなのに、一人だけ辛い思いさせていいのかなって」

 男子たちはまだ笑っている。筆頭はやはり、学校に戻ってきたばかりの那賀だ。明らかに煽っている。挙句にやにや顔で香奈を小さく指差し、声に出さないまま何かを口に表しているではないか。

 出しゃばり

 何言ってんの意味不明

 自意識過剰じゃん――とか、そんな所……?


 ふざけんな


 もう我慢ならない。祈を振りほどこうとした瞬間、香奈に頭を叩かれて舌を噛んだ。

「だって、在人の名前の意味、すっごく素敵なんだもん! 『今と未来にる希望を見つけて、人に安らぎと光を与える子』って、そんな素敵な意味なのに、それで辛い思いするなんて変でしょ!? 在人のお父さんとお母さんが与えてくれた名前の意味、お父さんとお母さんが大切に考えてくれた名前で辛い思いも馬鹿にしてほしくもないです!!」

 クラスがしんと静まり返った。

 在人も言葉が出ず、呆気にとられてしまう。

「わたしだってあるよ、名前の意味! 『どんな香りを育むだろう、たくさんの香りに惑わされないで、どうして自分の香りがそうなったんだろう。そうやって考えて気づいた自分の香りを、ずっと大切にしてほしい』って、ちゃんと意味があるんだもん!!

 みんなだって自分の名前で馬鹿にされるなんて、そんな〝小学校低学年レベル〟みたいな事、されて嬉しい? みんなで一緒に頑張るための合唱コンクールで、そんなつもりなくても苦しんでる子がいて、本当に金賞って取れる!?」

 静かだった。

 先生すらもただ黙って、聞いているようで。祈も泣きそうな顔で、必死に自分の腰にしがみついてきていて。

「在人だって女の子だよ。人間だよ。辛い事どれだけあっても我慢して、どれだけあっても誰にも言わなくて、意地っ張りで自分の事に興味がなくて、人の名前覚えるのもすっごい遅くて、口下手でなんか空回りしてる事多くて、男女って言われてもそれ受け止めて、むしろみんなが笑えるようにって悪乗りしちゃって、でも本当は女の子らしくしたいって思ってるところもあって、そんな子だよ! 自分の事より人の事考えちゃって、自分出すの忘れちゃってる子だよ!

 みんなで一緒に頑張りたい事を、一人が我慢してて出来ると思う? みんな我慢してる所あると思うよ。だから誰にも我慢が偏らないやり方考えたいの。時間ないだろうし、合唱コンクールの時間考えてると暇ないとかって思うけど、でも考えたいの。不登校になっちゃった子も含めて全員でやりたいの、お願いします!」

 力強く下げられた頭。ひたすら呆然としていたのは、在人だけではなくて。

 那賀の周囲だけは雰囲気が多少違ったけれど、声は聞こえてこない。

 窓際の席で、ただ成り行きを見守っていたらしい実良が笑顔で頷いたのが見えた。

「いいんじゃないかな、女低。漢字変えたら女帝でしょ? ギャップあって面白いし。実良も名前間違われるの嫌なの、分かるなー」

「あっ、それウチもウチも! なんで麻里まりって名前なのにマリモって言われなきゃいけないわけ? って腹立ってたんだよねーっ、あれ超ムカつく!」

 イケ軍の女子だ。見事に実良と対角線上だったのにも関わらず、大声で主張しているではないか。

「あとさ、あとさ。友達の名前とかで馬鹿にされんのムカつくんだよねー。八月朔日さんみんなから名前間違われても、突っ込むだけで泣いたり怒ったりってあんましてないよね、凄くない?」

 まるで自分の事のように言う女子に、在人はただぽかんとするだけだ。周りの女子も賛同してくれているようで。

「新谷さんが学校来れるようになったのって三組の時、確か八月朔日さんがあたし達に『それでいいんだ?』って言ってくれたからだよ? あれから新谷さんに声かけに行けるようになったんだしさ」

 祈の顔が真っ赤になっている。同時に体が強張っていて、在人は思わず肩を優しく叩いて落ち着かせた。

 ――いつか、誰かにそうした事も、そうされた事もある気がする。

「糸山さんの案採用でオッケーな人ーっ!」

「あっ、ちょっと待って、この案出してくれたの、祈ちゃんなの!」

 香奈が急いで訂正すれば、祈の顔の赤みが一気に広がったのが分かった。全員から注目され、今にも気絶しそうだ。

「そうなの!? 凄いよ、新谷さんだったんだ! 糸山さんも代わりに言うなんて勇気あるよーっ!」

「え、ええっ!? わたし去年学級委員に推薦したの藤堂とうどうさんでしょ!?」

「ふっ、忘れたわそんな昔! なーんてね」

「決まってない決まってない」

 笑いの渦。

 男子の方は、あまり笑っている人は見かけられなかったけれど。

 イケ軍の女子がシケ軍に扱われていた女子達にも意見を仰ぎ、ぼそぼそと呟いているのを聞き取ってしきりに頷いている。強く聞きすぎている女子には、実良が和らげているのが見えた。

「えーっとね、鳥飼とりかいさん達がね、『男子でも歌いやすい曲だったら参加しやすいのかな』って。――あ、そうだよ。今合唱コンの話だっけ」

「忘れてた!?」

 思わず突っ込んだ在人を見、イケ軍の女子が笑い出す。思わず脱力する在人は、男子の側を改めて見て――思わず戸惑った。

「おーい、八月朔日。お前そういや音域アルト――じゃないすいませんお前ら怖いよその顔。えーっと、八月朔日って女低の方だけなのか、声」

「えっ、い、いや、元々ソプラノ……」

 急な質問に戸惑いつつ答えれば、薙原は手の平に拳を打ちつける。

「なーっとく。新谷ー、お前八月朔日がソプラノ得意だって知ってたのか」

 名指しされて体を強張らせた少女は、怖々頷いている。

 薙原が口笛を吹き、男子たちが彼を見ている。男子グループの中でも比較的女子にも話しかけている連中を引き連れている彼だからか、薙原は祈ににっと笑っている。

「さっすがじゃんかよ。我が妹」

 しばし、全員声を失った。

「妹おおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

「ちっ、違うの従兄妹いとこなの、同い年のっ!」

「あ、あれ、教師にそれ伝わってないわよ!?」

「先生も知らなかったんですかっ!」

「まあ、俺んとこ母さん駆け落ちしてたっつってたしなー。母さん伝えてねーんじゃね?」

 ノリが軽い。自分の事であるはずなのに。

 薙原の言葉に絶句するクラスメイトは、ただ愕然としながら一つの考えにしか辿り着けない。

 せめてお前らだけでも教えろよ……!

「まー、とりあえずアルトパートは女低でいいんだろ。んじゃ八月朔日、お前ソプラノ行けば? あ、俺男子パートのリーダーするから。推薦狙うためな」

「薙原……あんたね、ありがたいけど言葉選びなさい? 先生見直したって言おうとしたの、撤回しちゃったじゃないの……偉い事に変わりはないけれど」

 呆れた声を聞き、男子からも野次をくらった薙原は、しかしにっと笑っている。

「口を直さないのが俺流。よくね?」

「せんせーい、こいつ頭打ってるみたいなんで保健室ー」

「あーうん考えとくわ」

「えっ、うそんっ!?」

 どっと笑い出す声を聞き。在人はしばし顔の笑みが固まっていた。

 やがて溜息をつき、緩んだ頬は、気力しきった笑みを作る。

「んで、合唱コンの自由曲、どうすんのよ……」

 聞き取った一同が、再び固まったのを見て。在人は思いっきり吹き出した。

 そして授業一時間、さらには帰りの会まで、丸々討論と笑いに包まれた教室となったのだった。

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