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―Ⅸ― 朧色

「あーる、まだ帰ってこないね……」

「うん……あっ」

 気づいてもらえたようだ。走ってきた在人は、息を整えつつ苦い顔。祈も美優もほっとしている。

「ごめん、時計見つかんなかった。下で雨が降り始めてるよ」

「えっ……」

「あ、でもまだ小雨程度だから、下りようと思えば下山はできるよ。さっき先生に確認取ったし。怒られたけどさ」

 勝手に道へと引き返したのだ。当然のように肩を竦めれば、祈が申し訳なさそうにしている。近づいてきた担任が、彼女へと時計を渡してくれた。

「これでしょう? 落とした時計。後ろのクラスの先生が受け取ってくれてたわよ」

「あっ、ありがとうございます……!」

「八月朔日も、先に先生に言ってからでもよかったでしょう。道には一緒に見に行く事もできたのよ?」

「すいません。それで下山は? これ以上雨降ったら、坂下りてくんじゃ危ないだろうし」

「一応、話はしたんだけどね」

 やや困った様子だ。何かあったのかと首を傾げかけたそば、住永先生は周辺を見渡している。

「確かに雷雲らしいものは見当たらないけど……この霧でしょう、下手に急がせるほうが危険っていう話も出てるのよ」

「山の天気が変わりやすい以上、これ以上ここで待ってるほうが危ないって! 雨雲だけだって思ってみてたら、大雨が降る可能性だって――降水確率だけで山見てたら話になんないんですよ」

「えっ、雨?」

 先ほどの瀬崎とかいう男子が驚いている。薙原もこちらに真面目な顔を向けてきた。

「どんぐらい?」

「まだ小雨程度だけど、ここ山頂でしょ。下りる頃には雨酷くなっても不思議じゃないよ」

「下りるべき、だな」

 目を丸くした。即座に伝えてくる男子が、山に詳しいとは思えなかったのだ。

 住永先生も困ったような顔をしている。

「判断は煽ってるんだけどね……もう一度行ってみましょう。山に詳しい先生、いるはずだから」

「住永先生!」

 早速呼ばれている。少し待つよう言われ、在人は憤然とした顔のまま渋々頷いた。下へと見下ろし、焦りが滲む。

 霧が、先ほどより濃い。下手に移動してもまずいのは知っているが、山頂に留まるのも危険だ。

 遮るものがほとんどないこの場所に二百人弱。雷雲が発生した際が洒落にならない。

 美優と祈も不安そうだ。

「山の天気が変わりやすいって、ホントだったんだね」

「当然。途中まで薄い霧だったから、先生達も油断したんだとは思うけどさ。とにかく下山しないと、崩れた道もあるんでしょ。落ちたら洒落になんないよ」

「全員集合ー!」

 号令がかかった。途中だった食事を思い出して涙が出そうになったが、一つ二つ摘んですぐ片付け、向かう。一番底になっていた薬袋と場所を入れ替え、リュックサックの側面に添わせるように突っ込んだ。

 薙原が近づいてきた。自然と距離を離してしまい、傷ついたような顔をされてはっとする。

「な、何?」

「……い、いや……お前だろ、雨気づいたのって」

「そうだけど、それが?」

「……なんでもねえよ。山登り好きなんだな、八月朔日」

 平然と頷いた。複雑そうに顔をしかめられ、軽く手を上げられた。

 さっさと整列しに向かう姿をぼんやりと見送り、しばし在人は怪訝なまま。

「やーたらと突っかかってくんの、なんで?」

「あーるー! 早く、こっちこっち!」

「い、いやあーる言わないで!? 分かった行く!」

 周辺の目が、自分にやたらと向けられていた。


「八月朔日さんさぁ、転入生? 前の小学校どうだった?」

 知らない女子に話しかけられ、在人は面食らう。生返事も失礼かと思いつつ、苦い顔しかできない。

「あー……まあ、普通? どこにでもいるガキンチョじゃない?」

「変なの」

 趣味が手芸だの菓子作りだの、この名前で誰が言える。

 顔が引きつりそうになったが真顔を保ち、「そんなもんでしょ」と返した。あっさりと去っていく姿に、気味悪さが拭えない。

「なんかやらかしたっけ、あたし」

「あーるに注目注目? そうだよねぇー、あーるかわいいもんね」

「ちょっ、かわいくないって! 一番縁遠いんだけどその言葉! 加島さんの目ぇ疑うよ!?」

 慌てて否定したものの、美優は楽しそうに笑っている。戸惑いつつ、「マジかわいくないってば……」と口の中で転がる言葉。祈が不思議そうに首を傾げていた。ぽかんとした在人は、はっとした顔で下山の道を見下ろす。

 一学年で歩く道のりは、先ほどとクラスの順番が真逆になっていた。中間のクラスだった在人達は、特段着く早さが変わる事もない。何度か深呼吸する彼女の喉に入り込んでくる湿気に、苦い顔になった。

 霧の中だと深く息を吸い込んだ気になれない。まともに自由行動で一人になれる場所は、山頂以外なかったというのにこの始末だ。

 あーもー……きっもちわる……

 ポツポツと降る雨のせいか、元々の霧のせいか、既に滑りやすい場所ができているようだ。数人が道路に掘られた浅い凸凹を頼りにゆっくり下っているのが見えた。山歩きに慣れていないくせに走る男子の中には、滑りかけて周りに笑われている姿も見受けられる。

 馬鹿だ。それでごろごろ転がっていったら笑い話では済まないかもしれないのに。

「斉藤、こけるなよ! タイヤみたいに丈夫じゃないだろ!」

 なんで同じ事を考えてる奴いるんかなー……って、やっぱりさっきの薙なんとか。えーっと薙原? うんやっと覚えた。

「平気平気! お前教えてくれたじゃん山下りるコツ!」

「ばっか、それで迷子になったら俺まで言われんだろ! 一応悪戯はしても真面目な俺の成績下がったらどうしてくれんだよ、『よくできました』評価は卒業なんだからな!」

「ははっ、お前普段から不真面目じゃん」

「言いやがったな! 本当だけど……あ?」

 また、目が合った。

 前方から聞こえる怒鳴り声に溜息をついた途端、走っていった男子がぴたりと止まって、笑いながら薙原に在人のほうを示してきたのだ。

 薙原が振り返り、立ち止まってぽかんとしている。

 在人は渋面を作った。

「だから、毎度、あによあんたら」

「……いや待って、さすがにこれ俺じゃねえし。なあせざ――」

 斉藤を指した薙原の隣。親友が声をかけても、瀬崎は腹を押さえつつ肩を震わせている。

「いや、続きはおれじゃなくて八月朔日にどーぞ?」

「はっはー冗談きついぜジョニー。『天気いいですね』とでも言えってかこの悪天候で」

「はははーそいつは違うだろビリー。そういう時は『一緒にお茶でも飲みませんか』ぐらい」

「ホルスター抜くぞ水筒という名の」

「鈍器止めてマジ痛い」

 周りの女子達から、くすくすという笑い声が聞こえた。

 それでもジト目と乾いた目で笑う男子二人は気に留める様子はない。美優が大笑いし、祈が恥ずかしそうに薙原達から視線をそらしていた。

 在人は二人と共に薙原と瀬崎の隣を過ぎながら、ちらりと横目で溜息を一つ。

「馬鹿やってると、こけるよ」

 ……。

 …………。

 ……………………。

 沈黙する男子二人に、一部始終を見ていたほぼ全員が吹き出した。

「……超」

「辛辣ー……」

 坂からも笑いからも転がり落ちなかった代わり、笑いを崖に落とした気分らしい二人に、在人は肩を竦めた。後ろから軽く誰かに突かれ、驚いて振り返ると女子が謝ってきて、別に気にしていないと返し、美優達と山を降りる。薙原が祈へと声をかけ、笑って頷いた後、落ちていた速度を戻そうと近づいてきて「あ」と声を漏らした。

「八月朔日さん、リュック空いてるよ?」

「へ? さっきちゃんと閉めたけど――うぁっちゃあ」

 空いている。見事に。うっかりしやすい性格である自覚はあるが、これほど綺麗に空いているのもなんだかはずかしいものだ。一度足を止め、荷物が落ちていないか改めて確認しつつ。美優達が立ち止まって待ってくれている事に申し訳なく感じながら、ふと手が止まる。

 確かに荷物はどれも落ちていない。荷物点検に使うしおりに記載されている大事な内容は一通り入っていた。落ちていないのに、なんだか不自然だ。

「――ごめん、加島さん、新谷さん。折角待ってくれてたのに。先行ってて、すぐ追いつくからさ」

「あ、うん。下りる時気をつけてね?」

 声をかけられ、在人は笑って手を振った。なんだかくすぐったく感じ、目を落としてふっと笑んでしまう。

「なんでこんないいクラスに転入してきたかね、ホント」

 まだ序盤だけど、思わず口を突いてしまう。どんどんと降りていく同級生達や担任の教師達を見送り、改めて探り直した。

 ――ない。酔い止めの薬が。正確にいうなら、頓服薬が。

 小学校で起きたあの出来事がまったく分からないままの、あの二年間。お守り同然で入れ続けていた薬が、ない。

 うっかり落としたにしては性質が悪い。荷物が空いたままなんて恥ずかしい状態を自分で作ってしまったのは確かに自業自得だけれど、腑に落ちない。

 ぶつかった時にでも落としたのか、山頂で弁当を出す時にうっかり転がり出てしまったか――。

 最後尾の先生すら、もうすぐ近づいてくる。今から戻ろうとしてもばれるだろう。――なら。

 目立ちたくはなかったし、すぐに戻れば問題ないはず。カーブの多い坂道を利用し、もうすぐ近づく最後尾からやや手前のグループの後ろに回りこみ、何気ない振りをして急カーブに差し掛かり、素早く物陰に隠れた。道路をやや外れた崖の道だったが、ガードレールの柱をきちんと握り締め、万が一にでも落ちないように気をつける。

 最後尾の先生は既にクラスの男子と仲良くなっていたのだろう。笑いながら話しており、こちらには一切気づいていないようだった。

 過ぎ去った同級生らを見送り、ひょいともとの道に戻って手足を解す。

 走って戻りつつ、途中何か残っていないかと苦い顔になった。

「――なんで都合よく落とすかなー……うえぇ、きっしょくわる……頓服飲まないと、今日中に吐きそうじゃん」

 突き落とされそうな錯覚すら感じ、嫌気が差して首を振った。山頂手前まで行きかけて、在人はぎくりとする。

 ――そういえば、あの時薬袋はリュックサックの底にあったはず。弁当を一番底に入れるために移動させて、どこに入れた?

 リュックサックの側面近く――!

「……開いてたっていっても、出なくない?」

 沈黙が辺りを覆う。ぱらぱらと降る雨音は小さく、静かに在人の焦りを笑うかのように降り積もってくる。

 激しく走ったりはしていない。出るはずがない。あの後きちんとファスナーを閉めた。手が覚えている。

 じゃあいつ――

 人とはかなりぶつかった覚えがある。あの時? それぐらいじゃ出る事はない。残りの荷物に押されて、そう簡単に上に上がる事はないし、現に一番上にしていた筆箱は飛び出てすらいなかった。

 ――誰かに抜かれた……?

「……ははっ、人疑うしか能がないってどんだけ疑心暗鬼の自己中だよ」

 笑って、笑いがすぐ静まって。

 吐きそうで堪らなくて――

「……っ」

 茶を口に含み、口を袖で拭った。

 頓服がないのは怖い。怖いけれど、これ以上時間は割けない。いい加減早足で降りなければ、いずればれる。

 頂上付近で生徒を取り残したなどとなっては、先生側も自分も後が面倒だ。途中脇道で植物を見つけて見入っていたとでも言い訳するにしたって、この地点は一番先生達が注意して生徒が居残っていないか確かめるはず。

 息を吸い込み、吐いた。胃の中のものが競り上がってきたが、無理やり飲み込む。

 焦るな、焦るな

 明日にはカレー食うんでしょ。今吐いてちゃおかゆしかもらえない。それで一日乗り切れなんて言われたって無理。頓服なんて結局服用しなかったし、そもそも薬嫌いじゃん。ゼリーに包んだって嫌がるじゃん。何お守りにしてんの?

「……降りるよー……」

 もう一度、深呼吸して。

 早歩きではなく、もう駆け足に近いレベルで下っていった。

 もうそろそろ先頭が到着している頃だろうか。引き返したのは十分ほど前だから、今のペースで行けば十五分ぐらいで最後尾に着くかもしれない。途中休憩を挟む形で歩いたとしても、そのぐらいのはずだ。

 足音が反響し、幾重にも聞こえる感覚がする。周りに数人付き纏っているようで吐き気がする。

 ――だめ、歩くべき? ……騒ぎになられるのもいやだしなあ……

 どうしても先生を前にすると嫌になる。どんな先生であろうが、視線を逸らしたくなる。

 吐きたい。堪えてばかりではなくもう吐きたい。家にもいたくないけれど帰りたい。一人になりたい。

 今一人なのに、またあの大人数の中に自分で足を突っ込まなければいけないなんて……

 ああもう、寒い……

「八月朔日!」

 びくりと肩が震え、周囲を見渡した。走っていたはずの足はがくがくと震え、そのまましゃがみ込んで坂に腰を下ろしてしまう形になった。

 急カーブの向こう側から、見覚えのある女性の先生があちこちに首を回してやってきていた。自分の姿を見るなりほっとした顔になっている。

「八月朔日、あんたはもう……! どうしたの、具合悪くなった? 体冷えてるじゃないの」

「す……すえまつせんせい?」

「住永です。もう二週間は過ぎてるのに、さては人の名前覚えるの苦手でしょ?」

 見抜かれた。

 おかしそうに笑う先生は、「歩ける?」と声をかけてきた。後ろめたく感じつつも頷き、立ち上がろうとして膝が笑っている事に頬が熱くなる。

 馬鹿みたいだ。自分で決めて走ってきて、こんなのって。

 何やってんの? 何したいのあたし

 薬見つからないし一人で気持ち悪くなって、何したの?

 何ができたの? 何か変われた、進展した?

「……すみませんでした」

「あら、素直。何か理由でもあった?」

「……見苦しい真似する気はないです」

「ええっ? ――あははっ、言い訳が見苦しいと来たか!」

 住永先生が思いっきり笑い飛ばしているではないか。在人は煩く感じても口に出さないようにするのが精一杯で、嫌気の差した顔になった自分の表情筋を呪った。

 一緒に山道を下る中、先生は何気なく肩に手を置いてくる。

「言い訳なんて今してなんぼよ。どうせ怒られるなら今のうちに本音言ってしまいなさいな。まだまだこんなに小さな体に言いたい事押し込めてちゃやってけないでしょ」

「別に小さくなんか!」

「あははっ、そうね。中間は小さくなかったか」

 戸惑ってしまった。

 なんだか引っ掻き回されてるというか、上手く捌かれてしまっているというか。

 住永先生が優しく肩を叩いてくれ、視線をさ迷わせる在人。

「何か落し物した?」

「――頓服薬……山頂に落としたわけじゃないし、リュックが開いてたの、下山中だって分かってる、んだけど……」

「そう……頓服か。道端にそれらしい袋は落ちていなかったわね。誰か拾ってくれてるといいんだけど」

 そんな不確定要素にすがるなんて、嫌だ。

 拳が固まりかけた時、住永先生が顔を覗きこんできた。

「聞かれたくない事だったらごめんなさいね。もしかして、体がどこか悪いの?」

「悪くはないです。たまに……吐きそうになるだけ」

 先生の手が、優しく、強く抱き締めてきた。

 驚く在人に、住永先生は優しく笑んでくれている。

「そっか。きつかったね」

 理由を聞く事は、一切してこなかった。

 ただ、それだけの言葉だったのに。

 茫然としつつ、目を落として。

 何故か視界に、雨が入り込んだかのようなぼやける場所ができて、広がっていって。

「酔い止めが効くかは分からないけど、先生持ってるから、よかったら後でそれ飲んでみて。誰か別の生徒が薬拾ってくれてるかもしれないから、先生達に連絡を回してもらいましょ。一人で頑張りすぎよ、八月朔日」

 肩を優しく叩かれて、暖かくて。

 腕に感じる先生の温もりを感じる度、口が何故か尖ってしまう。

 子ども扱いされているのは、当然の事だとは思うけれど。

「……先生なんかずるい」

「あははっ、あんたはプライドが先に走ってるタイプでしょ」

「は、走ってなんか」

「そう? 甘えるの苦手なタイプに見えたけど?」

 ぐっさりと心に何かが刺さり、そっぽを向いた途端に笑い飛ばされた。頭を撫でられ、顔が赤くなる。

「いいのよ。子供のうちは。突っぱねるも甘えるも、あんたの選択」

 目を見開いた。

 次に瞬きした時、視界がいつも以上に、綺麗に広がっていて。

「でもね、あんたが過去にした選択に縛られるのは違う事。あたしはあんたの事まだよく知らないけど――いい、八月朔日。意固地になるより馬鹿になりなさい」

 思わずぎょっとしてしまった。

 うっわ

 それ先生の台詞でいいの。

「先生に黙って走っていくぐらいだし、お利口にいくのあんまり好きじゃないんじゃない? でも、あんたはしていい事と悪い事を、その歳の割にきちんと区別できてるほうだと思ってるのよ。先生はね。だから先生は、友達のために動ける八月朔日にアドバイスするの」

 友達?

 ……そう、見えたの? あたしと、新谷さんが……。

 それで、いいの?

「今だけでいいわよ。最っ高の馬鹿になって、最っ高に笑える学校生活送りなさい。保障するわよ、そっちのほうがあんたは後悔しないってね」

 驚いて顔を上げた。先生のからかうようなウィンクが、あんまりにも下手すぎて吹き出してしまう。

 初めて顔を合わせて、まだ二週間しか経っていない生徒に、なんて事を言う先生だろう。

 普通ならここまで序盤に言うなんて、無茶苦茶だ。生徒の事を信頼しすぎている。それこそ馬鹿なのは先生のほうだと断言できる。

 ……確かに、プライドばかりが先に立ってるけど。甘えるのも下手だし、よく親戚からも言われた。昔はこうじゃなかったと聞いている。

 昔からお利口だと言われて、昔からいいお姉ちゃんだと言われて、周りの子より大人だと言われた。そう聞いている。親が自慢げに言っていたのも聞いている。

 それを当てずっぽうに近いのに当てられるなんて、なんだか笑うしかできなかった。

「先生、教員暦何年?」

「あら、いきなり先生にタメ口? 十二年ね。あ、もうそんな年か」

「そりゃー当てられるか」

 いきなり嫌な先生に当たったような、いい先生に見つけられたような。

「先生に言わずに自分ひとりで行動してるぐらいだから、そんな気がしただけよ?」

「うーわー……あー、すいませんでした」

「あははっ、素直でよろしい!」

 頭を優しく叩かれ、返答に詰まった。

 なんだか、昔誰かにこうしてもらったような気もするのに、思い出せなくて。

 ほっとした途端に気づいたのは、吐き気が嘘のようになくなっていた事だった。



 めいいっぱい怒られた。教頭先生と学年主任に当たる先生から。

 おかげで早くも教師内の中間管理職メンバーに顔を覚えられ、クラスの女子からも「八月朔日さんどうしたの!?」と散々に話しかけられ、また吐き気が戻ってきた。

 戻ってはきたけれど、夜静まり返った大部屋の中、二段ベッドの下で星空を見上げていた在人はふっと笑んでしまう。


 最っ高の馬鹿になって、最っ高に笑える学校生活送りなさい


 馬鹿になるのは、嫌いだ。嫌いだけど、まさか生徒の手本になるべき先生から、それも女の先生から言われるなんて。不意打ちだ。

 まるで見抜いたかのように、あっさりと言われてしまって言葉にできなかった。

 馬鹿の意味が、愚かという意味ではないと、読み解く事はできた。

 愚かではなくて、例えるなら――

 当てはまる言葉があるとするなら……

「……気のせいって、思いたいけど……」

 ぽつりと零して、口が歪んだ。

 笑いが、とめどなく零れてくる。

「青い春やれってぇ……? 柄じゃないってーの」

「何々ー? あるるん青春するのするの?」

「うわっ!? か、加島さん寝て――うわっ」

 カツ、カツカツ、カツカツカツ――

 ……カツカツ、カツカツカツ……

 暫く静かにして、そろりと顔を上げる。美優が上から覗き込んできて、二人揃って抑えた笑いが出てきた。

 祈もこっそり起き上がってきて、笑ってくる。

「ねえねえ、八月朔日さん。在人ちゃんって呼んでいい?」

「え? あ、う、うん……呼び捨てでいいよ?」

「呼び捨ては慣れないから、ちゃんがいいなあ」

「新谷さんがそれでいいなら……」

「じゃああたしの事は美優っちって言って言ってー。あるるんの友達二号になるなるーっ」

 目を見開いた。新谷も楽しそうに「私は祈でお願い」と、笑ってくれている。


 だから先生は、友達のために動ける八月朔日にアドバイスするの


 しばし茫然として、思わず表情が崩れた。

「敵わんわ……」

「何が何がー?」

「内緒ー。ほら寝る寝る、美優っちも祈ちゃんも、明日に響くよ。初夏の星座昇っちゃったら午前何時になるよ?」

「うっわー、理科の問題行く行く? あるるん頭いいんだねー、今度一緒にテスト勉強しよしよー」

「いやああぁぁぁ、もうテストの事考えるの?」

 祈が悲鳴を上げ、首を振っている。美優と二人で笑い、すぐに布団の中に潜り込んだ。

 ドアが開き、しばし沈黙と格闘勝負。

「八月朔日ー加島ー。コソコソ会話する前にちゃんと寝なさい? カレー焦がしたら怒られるわよ」

 パタン。

 閉まる扉の音と共に、背筋で冷や汗を流した在人は、苦笑いして肩のすぼみを解した。

 ……敵わんわ、あの先生には。

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