8話 真贋の決着
リヒトの戦い方を見たのは、初めてだった。
素手。武器なし。十人以上の武装兵を相手に。
それでも——圧倒的だった。
最初の一人が斬りかかった瞬間、リヒトはその剣腕を掴み、体ごと回転させて二人目にぶつけた。三人目の槍を半身でかわし、柄を奪い取って四人目の足を払う。
動きに無駄がない。まるで、鋼の嵐。
だが、数の暴力は確実にリヒトを追い詰めていく。額から血が滴り、軍服が裂けた。
——急がなければ。
私は魔法陣の端に走り寄り、鑑定眼を最大出力で展開した。
読み取るのは、レイモンドの黒曜石の指輪の魔術構造。
あの指輪は単なる装飾品ではない。この地下空間の魔術式全体を制御するマスターキーだ。偽結界石のネットワーク、魔力の集積、逆召喚術——すべてがあの指輪を起点に動いている。
だからこそ、弱点もある。
「マスターキーの本質は——共鳴制御」
黒曜石の指輪は、聖銀と共鳴する周波数を発して魔術式を操っている。つまり、その共鳴を乱してやれば——。
私は魔法陣の中心に積まれた聖銀の塊に手を触れた。
膨大な魔力が手のひらから流れ込んでくる。体が燃えるように熱い。
だが、鑑定眼が聖銀の結晶構造を完全に把握している。前世で何万もの宝石を鑑定した記憶が、この瞬間のためにあった。
「聖銀の固有振動数——把握。黒曜石の制御周波数——把握。干渉パターンを——」
体の奥で、何かが弾けた。
これまで「読む」だけだった鑑定眼が、「語りかける」力へと変わる瞬間。第七話の錠前で芽生えた"再現"の力が、聖銀の膨大な魔力を受けて、完全に覚醒する。
代償はわからない。だが、今はそれでいい。
聖銀の結晶構造に、鑑定眼を通じて逆位相の振動を注入する。
本物の聖銀が、偽物の制御を拒絶する。
それは鑑定の究極——本物と偽物を分かつこと。
「——起きて。あなたは本物よ。偽りの支配を、受け入れないで」
聖銀の塊が、蒼い燐光を放ち始めた。
本来の輝き。本物だけが放てる、純粋な光。
その光が魔法陣を走り、偽聖銀で構成されたネットワーク全体に逆位相の波動を送り出した。
「——なにっ!?」
レイモンドの黒曜石の指輪が、火花を散らした。
制御が乱れ、指輪にヒビが入る。
「馬鹿な……! ただの鑑定士が、魔術式を——!」
「鑑定士を侮らないで」
私は振り返り、レイモンドを真っ直ぐに見据えた。
「本物を見極める眼は、偽物を否定する力でもある。あなたの計画は、最初から偽物の上に建てられた砂上の楼閣よ。本物の聖銀が目覚めた以上、あなたの偽りの制御はもう効かない」
黒曜石の指輪が——砕けた。
その瞬間、地下空間を満たしていた魔力の流れが逆転した。偽結界石から吸い上げられていた魔力が、本来の持ち主——各都市の結界石へと還流を始める。
黒曜石の指輪が砕けたことで、王都を覆っていた通信妨害の術式も霧散した。あの指輪が、すべての元凶だったのだ。
同時に、兵士たちの動きが止まった。レイモンドの指輪が発していた支配の魔術が途切れたのだ。何人かの兵士は目を瞬かせ、自分がなぜここにいるのかわからない様子だった。——操られていたのか。
「くっ……!」
レイモンドが懐から予備の魔道具を取り出そうとした。
だが。
リヒトが、もうそこにいた。
素手で兵士たちを制圧し、返り血と自分の血にまみれながら、レイモンドの眼前に立っている。
「終わりだ」
「ヴァルター……! 武器もなしに、俺を——」
「武器はある」
リヒトの拳が、レイモンドの顎を正確に捉えた。
宰相の息子は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
静寂が戻った。
魔法陣の輝きが徐々に収まり、聖銀の蒼い燐光だけが地下空間を柔らかく照らしている。
「リヒト……!」
駆け寄ると、リヒトは片膝をついていた。額の切り傷から血が流れ、左腕を庇うようにしている。
「大丈夫。骨には……多分、届いていない」
「多分って何ですか! 見せてください」
左腕を確認する。深い切創が一つ。だが、確かに骨には達していない。
「止血しないと。何か布を——」
リヒトが右手で自分の軍服の裾を引きちぎり、差し出した。
「……自分でやろうとしないでください。巻きますから」
震える手で傷口を縛る。前世では外科的な知識はなかったが、応急処置くらいは——いや、手が震えているのは、知識の問題ではない。
「セラフィーナ」
「はい」
「泣いているのか」
「泣いてません。これは——汗です」
「嘘は嫌いだと言っていたのは、お前だ」
……この人は、こういう時にだけ饒舌になる。
「少しだけ……少しだけ、怖かったんです。間に合わなかったらどうしようって」
「間に合った」
「はい」
「お前が来てくれたから、間に合った」
不器用な言葉。飾り気のない、けれど混じりけもない言葉。
本物だ。この人の言葉は、いつも本物だ。
「……ありがとうございます。リヒト」
初めて、「様」をつけずに呼んだ。
リヒトは一瞬目を見開き——それから、不器用に頷いた。
「ああ」
その時、地上から複数の足音が響いてきた。
螺旋階段を降りてくるのは——ブレンハイム伯爵が率いる私兵部隊と、ダニエルの姿。
「お嬢様! ご無事で!」
「ダニエル! ブレンハイム伯爵も——」
「間に合ったようだな。レイモンド・グラントの身柄は我々が確保する。辺境伯、ヴェルデシア令嬢——見事だ」
ブレンハイム伯爵は兵士たちに指示を飛ばし、気を失ったレイモンドを拘束させた。
長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
だが——まだ一つ、片付けていないことがある。
「伯爵。王太子殿下のもとに、案内していただけますか」
「王太子? まだ眠り続けているはずだが……」
「ええ。でも——原因はわかっています。目覚めさせることが、できるかもしれない」
レイモンドの計画は阻止した。
次は——すべての嘘に、決着をつける番だ。




