7話 地下の真実
リヒトの軟禁部屋の衛兵を排除するには、力ではなく知恵が要る。
私は旧魔術研究区画の構造を鑑定眼で読み取りながら、使える要素を探した。
この区画にはかつて魔術実験用の設備が残されている。壁面に埋め込まれた魔石配管、天井の換気用魔道具、そして——非常時の警報装置。
警報装置の魔石は劣化しているが、まだ起動可能だ。ただし正規の手順では管理室からしか動かせない。
だが、鑑定眼で魔石の内部構造を把握し、配管経由で微弱な魔力を流し込めば——誤作動を装って警報を鳴らせる。
私は二つ隣の部屋の壁にある魔石配管に手を当て、鑑定眼で最適な魔力注入点を特定した。
「……ここ」
爪先ほどの魔力を、ピンポイントで送り込む。
数秒後——けたたましい警報音が区画全体に響き渡った。
衛兵たちが動揺する声が聞こえた。
「何だ、警報? 魔獣侵入か!?」
「こっちは俺が見る! お前は確認に行け!」
足音が一つ遠ざかる。残り一人。
だが、一人になった衛兵も持ち場を離れない。軟禁の見張りを放棄するわけにはいかないのだろう。
仕方ない。もう一手。
私は空き部屋にあった旧式の魔術実験器具——精密秤の金属製の分銅を手に取り、廊下の反対側へ転がした。甲高い金属音が響く。
衛兵が反応して数歩動いた隙に、私はリヒトの部屋の扉に駆け寄った。鍵は魔術式の錠前。鑑定眼で構造を読み取り——。
「単純な封鎖型。解除紋は……これ」
この一ヶ月、聖銀に触れ続けたことで、鑑定眼に変化が生じていた。読み取った構造を完全に把握した上で、その鍵となる魔力パターンを"再現"する力。前世の鑑定士としての知識と、この世界の魔力が融合した、新しい段階の鑑定眼——いわば、「真贋を分かつ者」だけが持てる力だ。
試すなら、今しかない。
錠前の魔石に触れ、解除に必要な魔力パターンを注入する。
カチリと音がして、扉が開いた。
薄暗い部屋の中に、リヒトが立っていた。
——文字通り、立っていた。壁に背をつけ、腕を組み、まるで私が来ることがわかっていたかのように。
「遅かったな」
「……来ると思っていたんですか」
「お前は、偽物を放置できない性格だ。俺がここに囚われているという『嘘の状況』も、黙って見ていられないだろう」
悔しいくらい正確な人物鑑定だった。
「怪我はありませんか」
「ない。だが、剣を取り上げられた」
「それは追々。まず、ここを出ましょう。それと——見せたいものがあるの」
衛兵が戻る前に部屋を出て、第三層への階段を探す。ギルバートの図面では、この先の行き止まりに偽装された隠し扉があるはずだ。
壁面を鑑定眼で走査する。石材の密度が一箇所だけ異なる。
「ここです」
壁を押すと、重い石扉がゆっくりとスライドした。
第三層——封印区画への螺旋階段が、闇の底へと続いている。
降りるにつれて、魔力の濃度が急激に上がった。呼吸が苦しくなるほどの、圧倒的な魔力の奔流。
「この魔力量……」
リヒトの顔にも、緊張が走っている。武人としての本能が警告を発しているのだろう。
「偽結界石から吸い上げた魔力が、ここに集まっているんです。半年分の——」
言葉が途切れた。
螺旋階段を降り切った先に広がっていたのは、巨大な地下空間だった。
直径五十メートルはあるだろう円形の広間。床には複雑な魔法陣が刻まれ、その中心に——山のように積み上げられた聖銀の塊。
回収された本物の聖銀だ。結界石、聖具、民間から没収された聖銀製品。それらが溶かされ、再精製され、巨大な一つの塊に形成されている。
そして魔法陣の周囲に立つ、無数の黒い蝋燭。その炎は通常の火ではなく、深い紫色に揺らめいている。
鑑定眼が、魔法陣を読み取る。
「……これは……」
声が震えた。
「召喚術——ですが、聖女召喚とは根本的に違います」
「何を呼ぶ気だ」
「これは……逆召喚。異世界から存在を呼ぶのではなく——この世界の存在を異世界に『送る』ための術式です」
リヒトの目が鋭くなった。
「送る? 何を送る」
「いいえ——『誰を』送るか、です」
魔法陣の端に刻まれた座標を読み取る。送り先は——聖女リーリアの元いた世界。
そして送られるのは——。
「セラフィーナ」
背後から声がした。
低く、滑らかで、計算し尽くされた声。
振り返ると、螺旋階段の上にレイモンド・グラントが立っていた。
銀縁の眼鏡の奥で、黒い瞳が笑っている。その指には、あの黒曜石の指輪。
「まさかここまで辿り着くとは。やはり、あなたを王都から追い出しただけでは不十分だったようだ」
「レイモンド・グラント。この術式——あなたが首謀者ね」
「首謀者とは人聞きが悪い。私はただ、この国を正しい方向に導こうとしているだけです」
「国を守る結界石を偽物にすり替え、聖銀を独占し、王太子を倒し——それが『正しい方向』?」
「王太子はただ眠っているだけです。永遠に。邪魔な王族を排除し、貴族議会が実権を握る——それがこの国のあるべき姿だ」
「そのために逆召喚術を? 誰を異世界に追放する気?」
レイモンドが笑った。
「王家の血統すべて。国王、王妃、王太子——眠りについたまま異世界へ送り、二度と戻れなくする。聖女リーリアには協力してもらっています。彼女も元の世界に帰りたいようでしてね。王族を送る代わりに、リーリアを元の世界に戻す——そういう取引です」
リーリアが偽聖印を身につけていた理由が、今わかった。本物の聖印は力が強すぎて、逆召喚の術式と干渉する。偽物の方が、彼女にとっては都合がよかったのだ。
「辺境伯」
レイモンドの視線がリヒトに移った。
「あなたには選択肢を差し上げます。この計画に協力するなら、新体制でも辺境伯の地位は保証する。拒むなら——王族と一緒に異世界送りです」
リヒトは一歩前に出た。
武器はない。剣は取り上げられている。
だがその佇まいには、一切の怯みがなかった。
「選択肢は一つしかない」
「ほう。賢明な判断を——」
「お前を止める」
レイモンドの笑みが消えた。
「——愚かな。武器もなしに何ができる」
黒曜石の指輪が輝き、レイモンドの背後から武装した兵士たちが現れた。十人以上。
絶体絶命——に見えた。
だが私は、鑑定眼でこの空間のすべてを見ていた。
魔法陣の構造。聖銀の共鳴特性。そして——レイモンドの黒曜石の指輪の、決定的な弱点を。
「リヒト」
私は叫んだ。
「三十秒だけ、持ちこたえて!」
リヒトは振り返らなかった。
ただ一言。
「六十秒でもいい」
そして、素手のまま兵士たちに向かっていった。




