5話 王都の影
ブレンハイム伯爵領から辺境伯城に戻り、一週間。
集まった情報を整理するうちに、想像以上の規模の陰謀が浮かび上がっていた。
「現時点で偽聖銀の使用が確認、あるいは強く疑われる場所——十二箇所」
リヒトの執務室に広げた王国の地図に、私は赤い印をつけていった。
「結界石が六箇所。神殿の聖具が三箇所。軍の聖銀装備が三箇所。すべて、この半年以内に神殿の『点検』を受けた場所と一致します」
リヒトは地図を睨み、顎に手を当てた。
「パターンがある。王都を中心に、放射状に偽装が進んでいる」
「はい。そして最も不自然なのは——王都の中央結界石だけ、点検記録が非公開になっていること」
「中央結界石は王都全体を守る最重要設備だ。それが非公開とは……」
「もう偽物にすり替え済みか、あるいはこれからすり替えるつもりか。どちらにしても、確認しなければなりません」
だが、問題は明白だった。
私は追放された身だ。王都に戻れば、捕縛される可能性がある。
「——俺が行く」
リヒトが言った。
「あなたが?」
「辺境防衛報告の名目で、年に一度、王宮への出仕義務がある。時期を早めるだけだ」
「でも、鑑定眼がなければ結界石の真贋は——」
「お前に鑑定の要点を教わる。細かい分析は無理でも、偽聖銀の外見的特徴くらいは覚えられる」
確かに。リヒトは驚くほど観察力が鋭い。鑑定の基本的なポイントを伝えれば、偽物かどうかの一次判断くらいはできるかもしれない。
「……それなら、これを持って行ってください」
私は引き出しから、小さな聖銀の欠片を二つ取り出し、そのうちの一つを差し出した。エルディア銀鉱で採取した、正真正銘の本物だ。
「比較用のサンプルです。本物の聖銀は光を受けると蒼い燐光が走ります。偽物にはそれがない。これを傍らに置いて見比べれば、かなりの精度で判別できるはずです」
リヒトが手を差し出し、聖銀の欠片を受け取った。
その時、指先が一瞬だけ触れた。
リヒトの手は——剣を握り続けた武人の手だった。硬い皮膚と、古い傷跡。だけど、不思議と温かい。
「……大事に使う」
「お願いします。あと——」
「なんだ」
「気をつけて。宰相派の中でも、レイモンド・グラントは危険です。あの黒曜石の指輪には探知系の魔術式が仕込まれている可能性があります。彼の近くでは、聖銀サンプルを見せないでください」
「わかった」
「それから、無理はしないでください。今回は偵察だけで十分です。情報さえ持ち帰ってくだされば——」
「セラフィーナ」
名前を呼ばれて、言葉が止まった。
リヒトが私をちゃんと名前で呼ぶのは、これが初めてだった。
「俺は生きて帰る。お前の鑑定の続きを聞く約束がある」
……この人は、ずるい。
必要最小限の言葉しか使わないくせに、たまに放つ一言が、こちらの鑑定眼では測れないほど重い。
「——はい。待っています」
リヒトが王都へ発った後、私は辺境伯城で待つだけではなかった。
ブレンハイム伯爵からの情報ルートを使い、他の貴族領の結界石の状況を遠隔で調査する。同時に、エルディア銀鉱のさらに深い区画から採取したサンプルの分析を続けた。
そして——新たな発見があった。
「……これ、転写術だけじゃない」
鑑定眼が捉えたのは、転写痕の下に隠された、もう一層深い魔術紋。
吸収型の魔術式。
偽聖銀の結界石は、結界を張るふりをしながら——実はその場の魔力を少しずつ吸い上げ、特定の場所に転送している。
「魔力を集めている……? 何のために?」
転送先の座標を読み取ろうとしたが、そこまでは私の鑑定眼では届かなかった。
ただ、方角だけはわかる。
王都。
すべての魔力は、王都に向かって流れている。
嫌な予感がした。
急いで通信用の魔道具を取り出し、リヒトに連絡を——。
「——繋がらない?」
何度試しても、通信が遮断される。辺境伯城の通信魔道具は正常に動作している。つまり、遮断されているのは受信側——王都だ。
一通の手紙が届いたのは、その翌日だった。
ブレンハイム伯爵経由で、匿名の情報提供者から。
『王都にて、王太子カイル・アストレアが倒れた。聖女リーリアが治癒を試みたが、回復せず。宰相府は「聖女の力を妨害した者がいる」として、ヴェルデシア公爵家への追及を強めている。——辺境伯ヴァルターは現在、王宮内に軟禁状態にある模様』
血の気が引いた。
リヒトが、囚われた。
そして王太子が倒れた原因を、今度もまた私——正確にはヴェルデシア家に押し付けようとしている。
「……偶然じゃない」
王太子の倒れた原因。偽聖印を持つ聖女の治癒が効かない理由。王都に集められている魔力。通信の遮断。リヒトの軟禁。
すべてが繋がりつつある。
そしてすべてが、宰相府の——レイモンド・グラントの計画通りに進んでいる。
待っている場合ではなかった。
「ダニエル」
「はい、お嬢様」
「馬車を——いいえ、馬を。一番速い馬を用意して」
「お嬢様、まさか王都へ?」
「ええ。リヒ——辺境伯閣下を助けに行くの」
ダニエルの顔に不安が走ったが、すぐに引き締まった。この御者は、幼い頃から私のそばにいてくれた人だ。
「お供いたします」
「ありがとう。——それと、この手紙をブレンハイム伯爵に。伯爵にも動いてもらう必要がある」
手帳の最後のページに、走り書きを残す。
『緊急——偽結界石は魔力吸収装置を兼ねている。王都に魔力が集められている。その量は——十二箇所分の結界石が吸い上げた半年分。膨大。使途不明。だがこれだけの魔力を集めて行うことは限られている。大規模魔術か、あるいは——召喚術の再実行。恐ろしい仮説だが、考えられるのは:もう一人の「聖女」を召喚しようとしている? あるいは、聖女ではなく——もっと別の、災厄的な何かを?』
馬に跨がり、南へ。
今度は私が、あなたを助けに行く番だ。




