3話 偽りの聖銀
辺境伯城に滞在して三日目。
リヒトが用意してくれた部屋は、質素だが居心地がよかった。暖炉と、頑丈な書き物机と、窓から見える雪山の景色。鑑定作業に集中するには申し分ない環境だ。
私はエルディア銀鉱から採取した岩石サンプルを机の上に並べ、鑑定眼で一つひとつ分析していた。
「転写術の残留魔力は、最低でも三回分……いえ、五回。五回も結晶構造を転写している」
五回分の転写。つまり、偽聖銀を五種類の用途で量産できるということだ。
聖印のペンダントだけではない。もっと多くの聖具が偽造されている可能性がある。
コンコン、と扉が叩かれた。
「入っていいか」
リヒトの声だ。この人はどんなに短い訪問でも必ずノックをする。無口だが、礼節はきちんとしている人だと三日で学んだ。
「どうぞ」
扉が開き、リヒトが入ってきた。——手に、木の盆を持って。
「……お茶、ですか?」
「厨房の者が淹れた。飲め」
ことん、と机の端に茶器が置かれる。湯気の立つカップと、素朴な焼き菓子が二つ。
「あ、ありがとうございます」
思わず面食らった。『氷壁の守護者』が自ら茶を運んでくるとは思わなかった。
「三日、ろくに食事を取っていないと聞いた」
「……侍女のマルタが言いつけましたね?」
リヒトは答えず、壁に寄りかかって腕を組んだ。つまり肯定だ。
焼き菓子を一口齧ると、素朴な甘さが口に広がった。バターと蜂蜜の、飾り気のない味。王都の洗練された菓子とは違うけれど、冷えた体に沁みる美味しさだった。
「……美味しい」
「そうか」
短い。けれど、その「そうか」の語尾がほんの少しだけ柔らかかったのを、私は聞き逃さなかった。
「それで。何かわかったか」
「はい。かなり重要なことが」
私は手帳を開き、この三日間の鑑定結果を整理した内容をリヒトに示した。
「まず、偽聖銀の転写は五回行われています。一回の転写で、約百個の偽聖具を作れると推定すると——」
「五百の偽物が出回っている計算か」
「はい。そして問題はその用途です。聖印ペンダントのような装飾品だけなら、まだ実害は限定的。ですが——」
私はサンプルの一つを手に取った。黒みがかった銀色の破片。
「この転写痕から読み取れる結晶パターンは、装飾品用ではありません。これは——結界石の構造です」
リヒトの目が鋭くなった。
「結界石だと?」
「ええ。聖銀製の結界石は、都市防衛の要。王国の主要都市には必ず設置されていて、魔獣の侵入を防いでいます。もしそれが偽物にすり替えられていたら——」
「結界が機能しない」
「正確には、機能しているように見えて、実は穴だらけの結界になります。通常の魔獣は弾けても、上位の魔獣や——意図的に送り込まれた存在は素通りできる」
沈黙が重かった。
リヒトが壁から背を離し、窓辺に立った。北の山脈を見つめるその横顔に、静かな怒りが滲んでいる。
「辺境の結界石は、俺が直接管理している。すり替えの余地はない」
「ですが、王都や他の都市は?」
「……三ヶ月前の聖銀国家管理令で、結界石の定期点検も王都の神殿に一元化された」
「つまり、すり替え放題」
パズルの全体像が、急速に形を成していく。
宰相派が聖銀の結晶構造を盗み、偽聖銀を量産。聖女の召喚を口実に聖銀を国家管理下に置き、本物の聖銀を横流しする一方で、結界石を偽物にすり替える。
では、その目的は?
「リヒト閣下。一つ、仮説があります」
「聞こう」
「もし王国各地の結界が密かに無力化されていて、そこに大規模な魔獣の襲撃が起きたら——誰が得をしますか?」
リヒトが振り返った。
「……混乱に乗じて権力を掌握する者だ」
「宰相はここ数年、王権の制限と貴族議会の権限拡大を推進してきました。王家の威信が失墜するような大災害が起きれば——」
「王政を転覆させる口実になる」
私たちの視線が交差した。
荒唐無稽な仮説に聞こえるかもしれない。だが、偽聖銀の物的証拠がある。鑑定眼が読み取った情報は嘘をつかない。
「証拠が足りないな」
リヒトが言った。冷静だが、否定ではない。
「はい。鉱山の転写痕だけでは、王都で通用する証拠としては弱い。直接、偽の結界石を確認する必要があります」
「王都に戻るつもりか。追放された身で」
「いいえ。まずは近場から。辺境伯領に最も近い主要都市——ブレンハイム伯爵領の結界石を確認させてください」
「ブレンハイムか……」
リヒトがわずかに眉をひそめた。
「ブレンハイム伯爵は、宰相派の中核だ」
「だからこそ、です。もしあそこの結界石が偽物なら、身内すら欺いているということ。宰相派を内側から崩す糸口になる」
リヒトは再び沈黙し——それから、静かに口を開いた。
「三日後に、ブレンハイムとの辺境防衛会議がある。結界石の相互点検を議題に入れることは可能だ」
「では、私も同行させてください。公的な点検の場なら、鑑定を行う口実が立ちます」
「——お前、大胆だな」
「鑑定士は、真贋を見極めてこそ。偽物を放置するのは、私の矜持が許しません」
リヒトの唇がわずかに動いた。
——もしかして、今の、笑った?
「わかった。同行を許可する。ただし、俺の傍を離れるな」
「護衛していただけるのですか?」
「お前が倒れたら、鑑定できる人間がいなくなる。合理的な判断だ」
合理的。
この人は何でもその一言で片付けるけれど——机の端に置かれた、まだ温かい茶と焼き菓子を見れば、それが全てではないことくらい、鑑定眼がなくてもわかる。
「ありがとうございます、リヒト閣下」
「リヒトでいいと言った」
「……ありがとうございます、リヒト様」
「『様』もいらない」
「さすがにそれは、身分的に無理です」
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうに言って、リヒトは部屋を出て行った。
扉が閉まった後、私は手帳に書き加えた。
『鑑定結果追記——偽聖銀、五回転写。結界石への偽装疑惑濃厚。宰相派による国家転覆計画の可能性。三日後、ブレンハイム伯爵領で実地鑑定予定』
そして、欄外にこっそり。
『リヒトは「ついて来い」と言うだけで、来訪の理由も詳しく聞かずに鉱山を案内してくれた。茶を運ぶときは少し歩幅が小さくなる。こぼさないようにしているのだと思う。不器用で、本物の人。——鑑定結果:極上』




