最終話 鑑定士の新しい朝
事件から一ヶ月が経った。
レイモンド・グラントは国家反逆罪で投獄され、宰相は引責辞任。宰相派の貴族たちは次々と離反し、残党の摘発が進んでいる。
偽結界石の交換作業は、ブレンハイム伯爵が中心となって王国全土で進められていた。あの日、自領の結界を裏切られた怒りは本物だったようで、伯爵は「二度と偽物は見逃さん」と息巻きながら、驚くほどの行動力を見せている。人間、怒りが原動力になることもあるらしい。
カイル殿下は無事に回復し、国政への復帰を果たした。以前とは別人のように慎重で、閣僚の言葉を鵜呑みにせず自ら調査する姿勢を見せている。「本物を見極めろ」という私の言葉を、それなりに胸に刻んでくれたようだ。
聖女リーリアの処遇については議論が続いているが、カイル殿下の嘆願もあり、国外追放ではなく、正規の帰還術式の研究に協力するという形で落ち着きそうだった。
そして——私はといえば。
「セラフィーナ様。辺境伯が、お茶をお持ちしました」
「……ありがとう、マルタ。というか、辺境伯が自分で持ってくるのは相変わらずなのね」
「止められません……」
辺境伯城の書斎。窓から差し込む北国の淡い陽光の中、私は以前と変わらず机に向かっていた。
王都から戻った後、正式にヴァルター辺境伯の専属鑑定士として契約を結んだのだ。
偽聖銀の全量回収と真贋判定。エルディア銀鉱の復旧と新たな管理体制の構築。辺境伯領の魔道具や結界設備の定期鑑定。——仕事は山積みで、とてもではないが王都に帰る暇はない。
……帰る気もないのだけれど。
扉が開き、リヒトが盆を持って入ってきた。相変わらず歩幅が少し小さい。
「飲め」
「ありがとうございます」
カップを受け取る。今日は、菓子が三つに増えていた。
「一つ増えてますね」
「焼き過ぎたらしい」
嘘だ。
厨房のアンナは几帳面な人で、焼き過ぎるなんてことは絶対にない。リヒトが「一つ多く」と頼んだに決まっている。
でも、鑑定眼で暴くような野暮はしない。
「報告があるの。エルディア銀鉱の精密鑑定、第三区画まで完了しました。転写術の痕跡はすべて記録済み。新しい不正の形跡はありません」
「そうか」
「第四区画以降は来週からですが、鉱脈の状態は良好です。操業を再開すれば、半年以内に偽聖銀の代替分を——」
「セラフィーナ」
「はい?」
「報告は後でいい」
リヒトが窓辺の椅子に腰を下ろし、自分のカップに口をつけた。
「たまには、ただ茶を飲め」
「……はい」
しばらく、無言で茶を啜った。
窓の外では、北国の遅い春がようやく訪れようとしている。雪解け水が小川になって山肌を流れ、枯れた大地に最初の緑が芽吹いていた。
「リヒト」
「なんだ」
「一つ、お願いがあるの」
「言え」
「鑑定眼で——あなたを、鑑定させてもらってもいいですか?」
リヒトが茶を飲む手を止め、怪訝な顔をした。この人が驚くのは珍しい。
「今更か。もう散々見ているだろう」
「装飾品や持ち物はね。でも——リヒト自身を、ちゃんと鑑定したことはなかった」
「……好きにしろ」
鑑定眼を、リヒトに向ける。
銀の髪。氷青の瞳。古い傷跡の残る手。飾り気のない軍服。使い込まれた革のブーツ。
鑑定眼が読み取るのは、物質の真贋。人間そのものを「鑑定」することはできない——はず、だった。
だけど。
この一ヶ月。いや、辺境に来てからずっと。
リヒトを見るたびに鑑定眼が告げていた答えが、ある。
『——本物』
どこを見ても、何を確かめても、偽りがない。嘘がない。虚飾がない。
お茶を運ぶ手も、不器用な言葉も、六十秒持ちこたえると言った背中も。
すべてが——本物。
「鑑定結果」
「……聞こう」
「極上。これ以上の本物は、この世界のどこにもない」
リヒトが一瞬だけ目を見開き——それから、初めて見るはっきりとした微笑を浮かべた。
「それは——」
リヒトが立ち上がった。窓辺の椅子から私のいる机の前まで、三歩。
「それは、鑑定士としての評価か。それとも——」
「どちらだと思いますか?」
「俺に真贋を見極めろと?」
「鑑定の第一歩は、自分の目で確かめることです」
リヒトの手が、私の頬に触れた。
剣を握り続けた、硬くて温かい手。
「なら——確かめる」
北国の遅い春の陽光が、二人の影を一つに重ねた。
*
その夜。
手帳の最後のページに、ようやく「そして」の続きを書いた。
『そして——リヒト・ヴァルターの隣が、私の居場所だ。
鑑定結果:真贋の区別がつかないほどに幸せ。
……いや、これは本物だ。鑑定眼が、そう言っている』
ペンを置き、手帳を閉じる。
偽りの婚約が終わり、本物を見つける旅が始まった。
そしてその旅は——まだ終わっていない。
エルディア銀鉱の全区画調査。王国全土の偽聖銀回収。リーリアの帰還術式。宰相派残党の追跡。そして、辺境の開発と発展。
やるべきことは山積みで——隣には、本物の人がいる。
窓の外で、最初の春の花が咲いていた。
——私の鑑定眼は、嘘をつかない。
だからこそ、この幸せが本物だと、胸を張って言える。
第一部・完
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
セラフィーナとリヒトの物語はこれで一区切りですが、
まだまだ未回収の伏線があります。
──エルディア銀鉱の最深部に眠る「もう一つの鉱脈」の正体
──宰相の真の目的と、レイモンドが獄中で呟いた「本当の黒幕」
──リーリアの帰還術式の研究中に発見される「第三の世界」
──そして、リヒトが誰にも語らない「鑑定眼を持つ先代辺境伯夫人」の秘密
反響がありましたら、第二部として続編を書かせていただきます。
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