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吉原遊狐  作者: kumi
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床師


床師


ここへ来て私の毎朝は日が昇ると同時に始まった。お天道さんと共に起きる事には慣れている。家でもそうだった。お父お母を起こすことが私の仕事の一つだったからだ。いや、今思えばあれは仕事とは呼ばないな。平凡な普通でありながら、尊いものだったと感じる。誰よりも早く起きると、離れた家に居る時と同じ感覚を持てることがある。

だから、早起きは嫌いじゃない。


床間の掃除をして女達を起こす。

起きない女も居る。

「昨晩遅かった奴は寝かしとけ。」

姉さんが言っていた。ここでの女は夜働くのだ。稼ぐ女程朝は遅い。夜通し男の相手をした女は 遅い朝に床を離れることを許されている。溶け込むように眠りについている女達を見ると思いもよらない不安を覚えた。

いつか私も働かせられるのだろう。

彼女達の姿は私の後の姿なのか。


男というものに対して無知である私に一体何が出来るのだろうか。

私は考えを馳せながら、冷たい水に浸した布を力いっぱい絞る。

そして

昨晩女達が掴んでいた格子を拭く。外と内を隔てるもの。女を閉じ込めておくものを磨く。今宵のためだ。

もしかしたら、このまま日々は過ぎるかもしれない。姉さんの言いつけをするだけで

男の相手をすることも、お金を生み出す事もしなくていいのかもしれない。

そんな思いを持つ事もあった。私が思う私は、いつまでも 子供 だと感じていたからだ。


女としての自分は まだ居ない

胸のふくらみを見ないふりをし、騙しながら子供を装っていたのかもしれない。

ただ私には今目の前に在ることを ただ成していくこと

それが精いっぱいのことだった。


夕暮れが近づいてきた頃、私は客間への布団を整えていた。敷かれた白い布団。その横には蝋燭を立てる。橙色した炎は控えめに揺らぐ。風のない部屋で敏感に揺れる。

男と女は、この空間でお互いの持つ性を交わす。

男は欲望を現すことを許され、女はその身によって銭を手にすることを許される。


「久子」


私を呼ぶ声がした。私は我に返り揺らぐ蝋燭から目を離した。そこに居たのは大姉だった。私は出来るだけ急いで大姉の元へ駆け寄って行った。

膝をつく私に

「あんたいくつだ?」

大姉は忙しく聞いた。

「十五となります。」

私は素早く答えた。大姉は分かったというように頷くと私を睨むように眺めた。

重なる視線を大姉は逸らし、私の口元へとその視線を位置させた。

「後でこっちに来」

そう短い言葉を残し、颯爽と居なくなってしまった。


私は再び仕事へと戻った。さっきの大姉のことは気になったが、急いで仕事を終わらせることに集中することにした。布団を敷いていると、今度は姉さんが私の元へ来た。

「大姉があんたの所来たか?」

と尋ねた。私は頷いた。それを見届けると姉さんは顔をそむけ踵を返して出て行ってしまった。今日の二人は忙しなかった。

全ての仕事を終え私は言われた通り大姉の所へと向かった。扉を叩くと

「誰だい?」

大姉の太い声が聞こえてきた。

「久子です」

「入り」

私は扉を開けた。

「早く入り」

もたついた私を大姉は急かす。部屋へ入ると、そこには見慣れない男が一人居た。

身なりのいい男で女衒でもなさそうだった。部屋へ入る私を眺めると柔らかい笑みを見せた。男は若くはない。肘置きに身を委ね座っている。


「久子 こっちにおいで」

大姉に言われ私は傍へと近づくと膝をついて挨拶をした。

「久子と申します」

男は私を眺め続けた。

「幼さがまだちゃんと残っているじゃねえか」

誰にも聞かれてはならないような、こもるような甘い声でそう言うと嬉しそうに笑った。その甘ったるい声と言葉の不自然な歪に私の体が強張った。


捕食者の放つ匂いだ。


私の本能が一瞬そう教えた。

この男は、娘を喰らう捕食者に違いない。

そう

気づいてしまった私は蛇ににらまれた小動物のように、その場で動けなくなってしまった。否応なしに起きる非捕食者の反応だった。

逃げたい

逃げられない

怖い 怖がるな 嫌だ 拒否する権利はない。


足早な葛藤が始まる。ここで生きる事は自分を売る事だ。

私に嫌がる資格はない。私にはどんなことで在っても拒否する権利などない。

生きるためには受け入れる。それが唯一ある選択だ。


喜んで

受け入れる。


「久子、あんたの面倒をしてくれるお方だよ」

予想通りの言葉が耳を突き抜けた。この男が私の体を女にする。

思考は拒否をし、肉体は動かねばと言葉を取り入れようとする。私は男の前へ膝をついた。そして、床に額を合わせる様に頭を下げた。

「お相手のほど、なにとぞ宜しくお願い致します」


拒否権など私にはない。


それに収まった。

「素直でいい子じゃねえか。いいぞ、俺はな 素直で従う娘が大好きだ。 久子と言ったな。 お前みたいな素直な娘はいい女になるぞ。俺がな、見届けてやる。ちゃんと面倒見てやる」


男は笑った。

この男にとって娘を女にすることは、良いことを娘のためにしてあげていることであって、一欠けらもの罪悪感はない。娘たちは皆、‘いい子’で言いなりになるしか、選択肢がないことを微塵も見ることもない。


してやってる。


おごりによる自身の価値の見定め間違いに、この男はいつか気づくことがあるのだろうか。

「さ、一杯飲んでくださいな。いつにも増して、いい飲みだねえ。お酒に飲まれる前に この娘のお相手を頼みますよ。」

大姉は上機嫌の様子で酒を注ぎ続けた。大姉は何かに急いでいる様にも見えた。

二人のやり取りを見ていた。

この男は何という名なのだろう。

名さえも聞かされない男が私相手になる。その場に黙って居座る私に見かねて

「久子、さっきあんたが布団を敷いてた部屋で待ってな。」

大姉は私に言った。私は返事をし、来た時と同じく深く頭を下げた。

「全く 気の利かない娘だ。」

大姉は吐き捨てるように言った。

私は笑い合う二人を残し部屋を出た。


唇を噛む、思い切り噛む。痛みを感じると騒ごうと待ち構える感情は抑えられる。

私はさっき整えていた部屋へ入った。たれ流れた蝋を残し火は消えていた。

溶け出していた蝋はいびつなまま形を残していた。

女達の声が聴こえてくる。昨晩まで耳障りに思えていた声々が今は恋しく感じる。

膨れ上がる鼓動が呼吸を乱す。


さっき私が整えた布団が、自分で用意した墓のように見えた。

私は布団の横で跪いて待っていた

扉が乱暴に開いた。男は頬を赤くして入ってきた。 

あれからも、大姉との酒が進んだのだろう。私は出来るだけ丁寧に頭を下げた。

男は私に近付いてきた。見た事もない男だ。さっき見ただけの男。一度だって憧れた事もない男だ。

「俺の名前は何てえか 知ってるか?」

男は私に聞いた。

「いいえ、存じ上げません」

男はふと笑った

「いい、いい、 名なんてえな。 必要ない。お前知りたいのか?」

男がどういうものなのか、私には分からない。

優しいのか、頼もしいのか、それとも野蛮なのか。男は私を布団の上へと押し倒した。

私は抵抗することなく、そのまま布団へと倒れ込んだ。

見慣れた天井が目に飛び込む。

男は私の首筋に顔を当てると、耳の裏の匂いを思い切り嗅ぐ様に息を吸い込んだ。

「俺の名を入れたいのか?この耳に」

熱い息がかかり、男は私の左耳たぶをくわえた。私はぎゅうっと目をつむった。

「ああ、まだ娘の匂いだ」

男はそう一言発すると、乱暴に私の着物をはがした。抵抗しそうになる手足を自分の

思考で止める。

感情に体を明け渡してはならない。

男は私の両手首を頭の上へ持っていくと容易に片手で掴んだ。身動きできない私の体を

下から上へと男は舐めた。におい付けするように舌を這わせる。


そして


男は私の中へと入り込んだ。力づくで入れた。

私の身体は痛みで反り返った。反射的に拒否しようとする私の身体を男は押さえつけ

尚、奥へと入れ込んだ。出来るだけ奥へとねじ込んだ。

声に出そうになると私の口を手で押さえた。言葉の自由も失う。左の眼から泪が流れた。


あれだけ泣くなと姉さんに言われたのに


涙が布団に落ちた。


涙を落としちまった。


落ちた涙は痛みなんかからじゃねえ、約束を守れなかった罪悪感の溢れだ。

女になるには心も体も痛むこと。そこには、優しさや気遣いや人の肌の温かさなんか

感じさせてくれるものはない。ちっとも ちっとも なかった。

一欠けらだってな、そんなものなかった。


男は動き続けた。短い吐息が私のおでこに、こめかみにかかる。

私は天井を見つめていた。


「ああ」


男は太く短い声を発した。

それと同時に私の中から勢いよく抜き出すと、腹の上に生暖かい液体を出した。


動いちゃいけない。見ちゃいけない。見るんじゃねえ。

自分に言い聞かせ両方の目は固く閉じた。。

遊郭という場所は

捕食者と非捕食者の関係性が、この世界における相反する性別の間に存在し

上手い具合に銭という道具を混合させながら

成り立っている所


ここでは犠牲者として女が在る事はない。


何をされても

何を想っても

供給者として存在する事実のみだ。選択肢はねえ。選択できる思考もねえ。


ただ

女で生まれた

それが故に在る役割をそういうものだと運命づけて諦めるしかねえんだ。


ただ思うだけの思考さえも制限される。精神の死は肉体の死を容易に超えるものだ。


腹の上に出された液体はいつまでも、そのままだった。

誰も処理してくれない。

どうしたらいいのかなんて誰も教えてはくれない。


後にこの液体が

いずれ

人間の形を成すための源だと知って、ぞっとした。


人間になる可能性を私は腹の上で殺した。

一体

何人になり得る可能性だったのだろうか。


吐き気と共に

脇腹をつねる

力いっぱいつねり上げた。


犯罪者の肩かつぎになったように思える自分を引き裂いてやりたくなった。


男は酒を食らって、娘を喰らい、眠りについていた。化け物みたいな鼾をかいて、恥もないままに横たわっていた。

目を開けられない私は、その時誰を頼ればよかったのだろうか。あかない目から涙だけが外へ出たがった。


神はやっぱりいねえ

肩が震えた


居ねえって知っている

だけど

微かに居てくれるのかもしれない

そう期待を持っていた自分が居たことを

この時知った。



その時

ふすまが勢いよく開いた。


姉さんだった。

私は布団から身を起こした。姉さんの息は切れていた。


「ああ」

姉さんは布団の上に身を起こした私を見つめ、切らした息と共に小さく声を漏らした。

そして


「ごめんな・・久子 ごめんな」


力なく姉さんは言った。自信を全てはぎとられた様だった。 いつもの姉さんがそこには居ない。


姉さん

私はもう泣かなかった


果たせなかった私との約束を、突き付けられた姉さんが居たからだ。

私の出来ることは、横たわる男を無いものにして、腹の上の乾いた液体を無視して

涙をもうこれ以上、落とさないことだった。



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