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吉原遊狐  作者: kumi
24/24

尊子の外の世界


大門を潜り抜けたと同時に

尊子の外での生活は始まった。


安治と二人で過ごす日々。


新しいものに慣れる日々は

どんなに 良い とされるものであっても 

それが自身に馴染むまでには時間を要するものだ。


縛りが無い分

馴染みの仕方は緩くなる。

急かしが無いほど

馴染みの早さは鈍くなる。


遊郭では

縛りがある分

急かしがある分

生き死があるような思い込みの分


馴染みの仕方に有無がなかった。


何十人もの女達と共にする生活の中

尊子は決して独りぼっちじゃなかった。


人という塊は在る。


行き交う声は在る。耳に触れる音は在る。


肌の触れ合いは在る。


人間という存在が生きるに必要とされる

全ては在る場所だった。


でもそれは


物理的なものが優遇に在る場所で

精神的なものは冷遇に在る場所で


そこに在ったのは

添わせてはならない心が

無数の他人の中感じる 精神的独り というもの。


どんなに肉体への 器官への 触れ合いがあったとしても

血のないものは

人間の身体を温めはしない。


何人もの人間で溢れる中で

受け取らなければならない孤独ほど


苦しいものはない。


自分を律してないと自分を見失う。

人の波に自我がさらわれる。

寄せ波に委ねれば 引き波にかっさらわれる。


心の求めを自分から剥離させてないと

生きるに難しい場所だった。


真には求めていない孤独を自ら選択する場所。



でも

今は


違う。


安治が居る。

尊子には安治が居る。


この存在は尊子にとって初めて共にする 新しい質の存在となった。


尊子にとって

身体を重ねた初めての男であって

ねっちゃんの思う男であって


それであって

知りもしない男


初めまして 

そう言葉にする必要もないように感じながら

初めまして

そう言葉を現わす必要があるように感じる


そんな男だ。


でも

尊子にとって安治との生活は決して辛いものではなかった。

安治が何か困難を尊子へ要することもない。

慣れない手つきで食事の支度をしていても 安治はそれを見守り必要あれば手を貸す。

懸命に動こうとする小さな手を安治は見ていた。


「出来ることをすればいいんだ」


安治の口癖のようなこの言葉は 尊子にとって

自分に見せてくれている 優しさ だと感じていた。


その優しさは

自分だけに向けられている

愛情に似通ったものだろうとも感じていた。


男の人の優しさって

男の人の持つ愛情って


こういうものなんだろうな


憶測という術は 未知を検討する。


安治は言葉を使って自分の想いを伝えることはしない。


共に暮らし始めて

然程時が経っていなかったが 尊子は既に気づいていた。


安治の優しさ

安治の持つ想いというものは


尊子自身が見よう 見よう としなければ見えない。


どんなに些細なものでも

見抜いて 

それを

自分のものだと

受け取る器用さが必要だということ。


尊子は安治という男を

自分の内側にて知っていった。


いくつかの会話から始まる朝は

他愛のない繰り返しだったが それで十分だと尊子は思っていた。


そいうものなのだろう


ここへ来て知ったものの一つだった。


そして

安治は勤めへと家を空ける。

夕暮れ後に帰ることもあれば 

昼時にふらっと帰ることもある。


時には尊子が

寝落ちてしまった後に帰ってくることもあった。

扉の開く音に 尊子は慌てて起き上がったものだった。

跳ねあがるように起きる尊子の姿を見て安治は


「寝ていていいんだ 寝てればいいんだ」


そう言ってなだめた。

安治が開けた扉から あわよくば 入り込もうとする風を安治は迎え入れたものだった。

風はこの家の主人よりも 我先にと敷居を跨ぎ 飛び起きた尊子の頬を一つ撫でる。


尊子は安治の言葉に頷くものの

安治に甘えてしまうのも申し訳なく感じた。

だからといって

毎回起き上がるのも

安治に気を使わせてしまうように思えた。


そんな二つの想いから

尊子は時に起き上がり 時には寝たふりをした。


月が満ちている夜であれば

開く扉から月明りが滑り込み

薄く閉じた瞼から安治の影が動くのが見えた。


尊子は

嘘寝が安治に気づかれてしまわない様に 

寝息を乱さないことに集中した。


そして

月明りにさらされ

瞼越しに出逢える安治の影と

開けてはならない瞳の中で

嘘寝の中で


落ち合っていた。


眠っている尊子に気づくと

安治の動きは更に慎重になる。


起こしちゃならねえ


安治も呼吸を乱さないように 静かに ゆっくりと動いているのが分かる。

少しでも 少しでも

扉の閉まりがゆっくりとなるならば

月明りに晒される

影は長く


尊子の瞳の中に居られる。


そんな安治を瞼越しに感じ

尊子は安治の優しさを無言の中再確認していた。



嘘寝の翌朝は決まって


「安治さん 昨夜は眠ってしまってごめんなさい」


そんな尊子の会話から始まった。


「いいんだ」


安治は笑顔を見せる。 


女の見せる 出来なかった自分 というものは

時に男を気分良くさせるものだ。

尊子はどこかでそれを知っていたのか

それとも 全く知らずとして行っていたのか。気遣いかそれとも 策略なのか


女っていうものは 分かりづらい生き物だな。

心の内を装うことに長けている。

相手の心を 

装いによって 手玉にとっていることに

無自覚な時さえある。

女特有のものなのか。それとも 遊郭出の女ならではの心の動きなのか。


安治との過ぎ行く日々は

浮き沈みがない平坦な生活だ。朝が来て夜が訪れる。

太陽の日差しを浴びて迎える朝は

尊子にとっては 持て余す眩しさがあった。

そして

眩しいと瞼を落とす度に


お天道様に顔向けは まだ まだ 先ね


そう視線をずらす。


そんな尊子の内側には一体どんな想いが居るのだろう。

お天道様に顔向け出来ない

尊子とは一体どんな尊子なのだろう。


過ごす朝晩が増えるほど

外に暮らす自分を実感していった。それと同時に


安治と共にさえ在れば

この身が守られているという安心感が尊子の中で育っていった。


それは

発芽した種子が枯れてしまう恐れを脱ぎ捨てることを許され 

必ず育ち花咲く保障をもらうに似ている。


遊郭を後にして以来 

安治は久子の話を一切口にしなかった。

それも尊子にとって一つの安心だった。


きっと

安治さんの気持ちは ねっちゃんから離れている


そんな尊子憶測の中には


いつか いつか 安治さんと私は想いが通い合える


そんな手探りによる想いがあった。



一緒にいればそうなるだろう


時間を長く共にしていれば 

想いは生まれ 

気持ちは通い合うに違いない


時間さえ過ぎれば


安治さんは

ねっちゃんを忘れて 私に想いを持ってくれる


時さえ過ぎれば


私はきっと 


もっと 

ずっと


安治さんを想うようになる



安治に想われ

安治を想うこと


それが尊子にとって後に在る二人の姿だった。


想いは

後に生まれることが可能なもの

時が経てば

そうなるはず


その思い描きは日々強くなっていった。


だって

一緒になったんだから離れる選択肢はない


だから


お互い

好きになるしか道はない


一緒になる

物理的事象の証拠を心理的事象の確信として結び付けていこうとする。


そんな尊子の想いは 

いつしか彼女を確実に縛り付けていった。


無自覚の中

徐々に尊子は締め付けられていった。


時が経って変わるもの

時が経っても変わらないもの


その二つが存在する可能性を 尊子が予測することは 可能外 だった。


安治は尊子をすぐには抱かなかった。


男というものは すぐに身体を求めるもの


遊郭で知っている 男 が見本となっている

尊子にとって不思議でならなかった。


こんなに近くに思うように出来る 私という女 がいるにも関わらず

安治は私に触れてこない


何故なんだろう


疲れているのか そう思うこともあった。

時間の食い違いからか そう思うこともあった。


私に女としての魅力がないからだろうか

ねっちゃんのことを忘れていないんじゃないか


一瞬頭を掠め 一瞬血が身体を流れるのを躊躇することもあった。


いいや

違う


首を振る。


そんな疑問や疑いを自分の中で一人

言い訳をしながらやり過ごし どうにか疑いを潰してった。


大丈夫だ

大丈夫だ


その胸に

言い聞かせながら安治とのことを自分に馴染ませていった。


ある晩安治が尊子に身体を求めた。


絡まる両足の温かさ。安治の荒い息遣いが尊子首筋に絡みつく。

尊子の髪をかき上げる安治の手指先は そっぽを向いているように感じたが

そんなことはどうでもよかった。


安堵と嬉しさが尊子の胸を打つ。


自分の中に在ったいくつもの不安が

安治の息遣いと共に 一つ また 一つと吹き消されていく。


安治は着ているものを忙しく脱ぐ。

尊子の目の前に現れた安治の裸体は 遊郭で一度抱かれたあの時と同じだった。


「安治さん」

尊子は安治の名を呼んだ。

「初めて 安治さんに抱いてもらった時のこと 思い出す」

尊子は恥ずかしそうに小声で言った。


安治は頷いた。


安治は尊子にとって 初めての男であって

そして共になった男だ。


尊子にとって

特別な男なのだ。


蝋燭が安治の影を大きく映し出す。

そして揺らした。


安治は尊子を抱く。

尊子は安治に抱かれる。


遊郭という場ではなく 銭の介入のない中で 身体を重ね合わせている。


きっと

そこには 想い合い があるに違いない


動く肌の温かさは尊子に確信を持たせる。


ここで身体を重ね合わせることと

あちらで 

遊郭で 身体を重ね合わせることとでは

意味合いが 全く 違うもの


比較という安堵が胸を包み込む。


ねっちゃんと安治さんがしていないことを


私と安治さんは今している


いつの間にか久子を超えることが

尊子の今ある不安を消す一つになっていた。


もう居ない

記憶の中でのねっちゃんに尊子は囚われた。


それは

優越感からじゃない。それは勝ち負けからじゃない。


私を一番だって選んでほしい


一人の女の子が持った唯一の願いからだ。


そしてその願いを創り出しているもとは


選ばれていないと

好かれていないと

ちゃんとしていないと


いつか安治さんは私から離れていくに違いない


安治さんに手放されたら


私は

生きては 行かれない



ねっちゃんより 思われないと

ねっちゃんよりも ねっちゃんよりも


信頼を知らない

愛を知らない

一人の女の子の持つ


生存本能を元に成り立った 縋り という種だった。


蝋燭が映し出す安治の影は今

肉体の快楽を表している様に見えた。

揺らぎは激しさを増す。


目の前で動く安治から

尊子は目を逸らす。そして揺らぐ影を見つめる。


本物じゃない方を見る。


それぐらいが

尊子にはちょうどよかった。


今回も

安治は尊子の腹の中で果てはしない。

腹の上に散らした。


垂れ流れた蝋は今や塊となって一足先に眠りについていた。


安治と尊子は並んで眠りについた。


「安治さん 起きている?」

尊子が尋ねる。

「まだ 起きてる」

その言葉を聞いて尊子は話を続けた。


「安治さん もしも もしもよ 後の世に 安治さんと私が・・ 」


「尊子ちゃん」


安治は尊子の話を勢いよく遮った。

思いもよらないほど大きな安治の声に尊子は驚いた。二人の間に静寂が取り巻く。


「ごめん もう 寝よう」


何か気に障ることを言ったのだろうか。

尊子の胸はざわついた。

暗がりでお互いの顔が見えない。


安治が今

どんな顔をしているのか分からない。


安治が

安治さんが

私を見てくれているのかさえ分からない


さっき重ねたはずの身体が冷える。


身体の重なりで得た

想い合っているという確信は

見えないものに今 無いものにされる。


確実に在った物理的な繋がりが全く意味なく思えた。


「はい」

ぬくもりの消えた空間に

尊子の声が波紋の様に広がっていく。


尊子は布団を口元まで引き上げた。涙がふわっと上がってくる。

頬を伝うことの無いように閉じた瞳を布団を押し当てる。

何故涙が出るのだろう。


ただ約束が欲しかっただけなのに

ただ

ただ

さし障りのない様な

迷惑にならないような


約束が


安心が


欲しかっただけなのに


尊子は冷たくなった指先同士を抱き合わせ 身をまるめた。


そして

背中で泣いた。




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