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吉原遊狐  作者: kumi
21/29

身請け


「久子は 居るか」

扉が開けられると同時に

姉さんの声が部屋の中に上がり込んできた。


「久子は ここに居ます」


私は姉さんの元へ建前を盾に歩み出た。

姉さんは私を認識すると顎を右にあげた。

姉さんと私は互いの両目から視線を外さなかった。


「来い」


部屋の中に居る女達は鎮まった。

皮肉に聞こえる丁寧な私の言葉と単発的に発せられた姉さんの言葉 

その間には不穏な駆け引きの存在を女達は察知したようだった。ここに居る女達はそういった類のものを読むのに長けている。静まり返った部屋を後にして私は姉さんの後に付いていく。

会話一つないまま歩く。部屋の前につくと姉さんは無言で扉を開けた。そして再び顎をすばやく右に向けてあげた。

上がれという意味だ。

私は着物の裾を軽くたくしあげ肩を下げるようにお辞儀をした。


「座れ」


その言葉に私は着物を気にしながら膝から

腰を落とした。それを眺め切ると姉さんも静かに腰を落とした。


いつもは取り巻いている男達が見当たらねえ。


ねえさんは私を見つめている。そしてゆっくりと口元を動かし始めた。


「久子 

あんたを引き取りたいという男がいるんだが」


私は目を逸らすことなく姉さんを見つめていた。

一時でも姉さんの両目ん玉から

逸らしちまったら負けちまうような気がしていた。


買いたいと申し出てもらえるなんて 

私にとって都合がいいじゃねえか

女が一人買われるなんて

遊郭にとって申し分ねえじゃねえか


私の心の秤はそう振れた。針は他へ触れようがない。姉さんは私を睨みつけるように見据えている。


「あんたさん 

それが 誰だか 気にならねえのか」


黙する私に姉さんは

しびれを切らしたかのように感情を含ませ尋ねた。


「構わない 

誰が私を買い取りたいと思っているのか 

それは構わねえ」


私は答えた。

姉さんは口元へ煙草を持っていくと 

白い煙をうっすらと細く吐き出した。

残留物として姉さんの中に在る感情が姉さんの口から無言で吐き出される。

まるで煙として逃げた様に見えた。


‘整だ’


姉さんはそう言うと再び煙草を吸い込んだ。

姉さんの胸が上がる。

そして

ぎりっと煙草の端を噛んだ。


「整があんたを 引き取ると申し出た」


姉さんは右側を見つめながら言った。


「姉さんの好きにしてもらって 構わねえ」


私は答えた。

姉さんはその言葉を聞くと私の方を鋭く向いた。その勢いでこめかみの髪がはらりと落ちる。


「久子

あんたの話をしてんだ 


私の話をしてんじゃねえ」


姉さんは声を荒げた。右手に持っている煙草の存在を忘れている様に灰は床へと零れた。小刻みに震えている肩が上下する。


「なら」


私は続けた。


「構わねえ」


そう口先で答えた。

私は姉さんを見つめたままだった。



「姉さん


ここは遊郭なんだろう

普通の場じゃねえんだろう

普通のもんは持ち込めねえはずだろ」


私の言葉に姉さんは零れた落ちた灰に目もくれず

赤い紅の引かれた唇を噛んだ。


「姉さん言っていたよな


‘感情を懐にいれるな

男を懐にいれちまったらおしまいだ‘


つってな」


私の中から歩き出した言葉は

姉さんに向かって歩む。


姉さんは私から目を逸らした。

その姿は今の自分と過去の自分との間に在る

矛盾につまずいているようだった。


沈黙が私たちを遠ざける。

静寂が私たちを真っ二つに分けようとする。


私は姉さんから遠ざかろうとしている。

歩み寄ろうとする姉さんを突き放す。


姉さんを嫌おうとし

姉さんから嫌われようとする。


いやな女だ


そんな嫌な女じゃなかった気がするけどな

駆け引きを手玉に取るような

そんな女じゃ 

私はなかったはずだ


姉さんが何のために誰のために 

今こうやって問いかけているのか

腹ん中で知っているくせにな


見えてないふりをしてやがる

それに気づかないふりをしてやがる


確実に在るものを

確実に無いように扱う


姉さんは私に言わせてえんだ

姉さんは私に

本当の想いを現せさせてえんだ


安治を想っている私が居ると姉さんは信じてる


私の腹ん中に在る想いを

この世に言葉として産ませたがっている


孕ませたままじゃならねえって 

身籠ったままじゃならねえ


それじゃあ

死んだ雪子と同じじゃねえかってな


肉体の死と精神の死

違わねえじゃねえかってな


姉さんの優しさなのに

私はそれを

今沈黙という都合の良い助け手を借りて 

姉さんの目前で 

姉さんの優しさをはたき落とし続けてる。


姉さんの優しさも

在ったという安治への想いも今の私には


必要はねえもんなんだ。

持つ資格なんてない。


ただそれだけだ。


ごめんな 姉さん


私は内側で首を垂れた。


「分かった 

あんたの気持ちは 良く分かった


整には伝える

あんたさんが


整の女になるって言ってたつってな


伝えてやる」


投げやりに姉さんは言った。

私は頷いた。


整の女になる


姉さん

本当に意地が悪いな

姉さん 私達は 

本当に意地の悪い者同士だな


そして

私は頭を下げて部屋を出た。


女一人遊郭から引き取るということは

普通の男にとっては不可能に近いことだ。


整は一体どうやって銭を工面したのだろうか。

いやある程度 目度のある借りでも作ったのか。


整の女になる


姉さんの言葉が現れる。

遊郭冥利に尽きる。何よりも幸せなことだ。

遊郭に居る女にとって


外へ連れ出すだけ好かれた女 

外へ出したいと思われるほど価値ある女は


希望みたいなもんに映る。


価値を持った女というものとして居られるということは 幸せこの上ないことじゃねえか


これが幸せというものだ

これ以上のものが他に何が在るっていうんだ


銭に寄り添ってもらえた自分を幸せに位置させるよう私は幾度も腹の真ん中で繰り返した。



月日は流れ過ぎた。

一つの川が二本に分かれていく。


その日はやってきた。


姉さんのところに整が訪れた。

私は既に準備を整え終えていた。

外へ出る女というものは 

ここの女達にとって一抹の希望と成り得るものだ。


遊郭からその存在が消えるとしても

そんなことがあった

という話はおとぎ話じゃねえ

本物として耳から耳へと伝わる。


尊子が私の元に寄って来ると


「ねっちゃん」


尊子は申し訳なさそうに私に声をかけた。

そして

「本当に本当に いいの?」

念を押すように尋ねた。


「いいんだ」


私は即座にそう答えた。そして

尊子に笑みを投げた。私の笑みを見た尊子は

胸ね中に溜まっている思いを一気に話し始めようとした。


「ねっちゃん だって ねっちゃんは

ねっちゃんは 安 」


尊子がそう言いかけたとこで

私は尊子の口に左手を軽く当て遮った。

尊子は驚いたような顔を見せ言葉を止めた。


「尊子    

これでいいんだ 


これが いいんだ」


私たちは見つめ合っていた。

お互いの瞳はお互いの心に触れていた。黙していても伝わるものがある。そんな気がした。

左手は尊子の息遣いを感じていた。


尊子

この娘は

この遊郭という場所で私を見て

私を一生懸命感じようとしてくれていた。


今にも雨が降り出しそうな尊子の瞳を前に

私は自分の着物の右胸へと手を入れ 

守り袋を取り出した。


白と薄い緑をした守り袋だ。

汚れちまってる守り袋だ。


取り出された守り袋には

生身がつけた温かさが残ってる。


私はそれを尊子に渡した。

尊子はそれを両手に握りしめた。


「もしな 安治さんが遊郭に来ることが在るとすれば この守り袋を 

あんたさんが 安治さんに渡してほしい」


尊子は私の言葉に頷きながら

両手に包み込んだ守り袋を大事そうに小さな胸元にあてた。


安治さんが もしも この先

遊郭に来ることがあるならば


この守り袋を手にすることが在るとするならば


全てを分かってくれる

全てを理解してくれる 


そう信じてる


安治さんは何も言わなくても

私が大事にしているものが分かる


私の事を少しでも

大事に思っていてくれていたのであるならば


きっと


安治さんは

私の大事なものを


大事にしてくれるはずだ



私は唇をきつく結び

その変わりに

安治と結わいた縁を胸の中で

自ら解いた。


涙なんて落とすもんか

落としちゃならねえ

ここに

名残が生まれちまう


出ていかれなくなっちまう


手渡した守り袋を抱える尊子の頭を撫でた。

可愛い娘だな。

手のひらに尊子の柔らかい髪の感触が伝う。


「尊子


あんたなら 何でもできる

あんたは 尊い子

一から了まで尊い娘だからな」


「ねっちゃん」


尊子は顔を下に向けた。

尊子の顔が雨でぬれる前に私は立ち上がり 

その場を離れた。


ここにいる女達に別れを告げることもない。

扉を開けた。


ふと

別れを告げることが在るならば


私は立ち止まり 振り返った。


いつか

せっちゃんが居た あの 場所を見る。



せっちゃん


これでいいんだよな

私達

これで 幸せ だったんだよな


これで良かったんだよな


なあ


せっちゃん



あの場所から答えは返ってこない。

だけど

私にとって

唯一無二の場所であり

唯一

私が心にある

弱音を見せられる拠り所だった。


一つお辞儀をした。


忘れねえ。

きっと私は忘れねえ。


姉さんと整が待つところへ行く前

私は遊郭の中にある稲荷さんを訪ねた。


その稲荷は

五つある稲荷の中で一番小さな稲荷だ。


右の狐は珠をくわえている。

左の狐は巻物をくわえている。


九朗助稲荷


苦労を 

助ける稲荷様


私はそう信じている。


ここの女達の苦労を 

欠片ばかし肩代わりに請けてくれる。


それは

女達の望む形で請けてくれるとは限らねえ


でも


期待ない中でなら

破片ばかしの苦労は拾ってくれているて

気づけるはずだ。


胸の前で手を合わせる。


尊子を頼むな

姉さんが胸を痛め続けないように頼むな

せっちゃんが幸せでいるように見守ってな


私がどうか

正しい道を歩めるよう 


ここから目離さないで見ていてな


そして

私はお狐さんを残し足早に戻った。

草履が土を叩いた。


整は姉さんと共に居た。

いくつかやり取りをしたのだろう。

私は整の傍に近づくと頭を下げた。

そして

顔を上げ微笑んで見せた。整は目を優しく細めた。


整自身私を好いているのか分かっていないのだろう。整はその優しさから

私を放っておけなかったんだ。


この男は

遊郭なんていう所に来るべきじゃなかった。

ここで女に

私に


会うべき男じゃなかった。


どうにかしてやりたい

助けてやりたい

かわいそう


そんな善意に似た同情は

自分を殺すだけなんだって整は知りもしななかったのだろう。


整が私をどう思っているか

なんて分からないままだった。

整に尋ねることはなかった。

同じに

私が整をどう思っているか

整も私に尋ねることはなかった。


もしかしたら

そんな言葉のやりとりがないとしても

‘買う’という行為が

形に示した想いの証なのかもしれない。


でも


買うは

あくまでも 買う でしかねえ。


銭の介入が在る時点で

愛の証拠にはならねえって思ってる私がいる。


遊郭っつう場所は

銭の介入を許さなければ

銭を通さなければ


愛だって

想いだって


叶わねえ



銭がめっきり嫌いになっちまうな 

銭を見る度に

銭で物を手にするたびに


自分は

見定められた品物にしかすぎねえって

思っちまうんだろうな


姉さんは何も言わないまま 私達二人の前に居た。

私の胸の中を見定めようとしているのが分かる。


今更っていうもんだ。


感情を現わさねえ姉さんの存在は

居るのにいねえように思える。

私に対して感情を持たないようにしてるのか

自分に対して

感情を持つことをせき止めているのか


感情っつうもんは

あれば邪魔なる


だからといって


無いと

本当に何もなくなっちまうんだな

生きている実感が乏しくなるもんだな


姉さんは私に何を期待したのだろう

姉さんは私に何を望んだんだろう


もしも

私が何かを望んだとして

姉さんはそれを 

叶えてやろうとでも思っていたのだろうか


姉さんは私に何を見せたかったのだろうか



今となっちまっては

もう分からねえけどな


玄関先で私は姉さん達へ深く一礼をした。

そして

私は整と共に外へ出た。

勿体無いくらいに晴れた日だ。

日差しが許可なく私の目の中へ入り込んでくる。


隠れる場所を探しているみてえだな


私は眩しがる瞳のために掌で日陰をこしらえた。

整は何も言わず私に簪を手渡した。


きっと整の作ったものだろう。


花の装飾には小さな赤い石が付いていて

幾つも揺れるびらびらが日差しを反射させる。


「これ 私に?」

そう問う私に整は無言で頷いた。


「ありがとう」

私は整に言った。整は小さく笑みを見せた。

そして

整は何も言わずに

自分の影で私を日差しから隠した。


私は整の横顔を見上げる。

整は何も言わない。

だから

私も影を貸してくれている整に気づかないふりをした。そして

誰にも気づかれないように

整にさえ気づかれないように


手渡された簪を髪の中へと挿し入れた。


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