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吉原遊狐  作者: kumi
2/22

尊子という娘


撫で肩で門を潜った新参者は、楼主として在る女の前で土下座をしている。ことごとく身を低くした娘は更に小さく見える。赤い紅を引いた女が口を開く、

「あんたさん 名は何と?」

「尊子と申します」

娘は顔を床に伏せたまま応えた。

「顔をあげえ、あんたさんの顔見せてみい」

その声に娘はゆっくりと顔を上げた。一同の視線が上げられた彼女の顔へ向けられる。

娘は浴びせられる視線に一瞬でひるんだ。目ん玉をきょろきょろっと左右に動かした。

そして瞬時に怖気が襲う。


「泥のついた 芋っこい娘だな」

「洗ってやれば白くなる」


男達は娘を小馬鹿にする。肩を揺らして笑い合う。娘の眉が下がった。

視線は床へと落とされた。赤い紅引きの女はそんな娘の様子を黙って見つめた。

そして煙の様に緩やかに男たちの方へと振り返ると、赤い唇に人差し指を添えた。

「しー」

肩を揺らし小馬鹿にしていた男達は一斉に黙った。


これは女というものだ。

本物の女は男を黙らす何かを持ってる。


言葉じゃない。態度じゃない。醸し出す雰囲気が男を黙らす。煙の様な仕草を見せ跡形も残さないもんだ。


男っていう生き物は掴めない煙だと知りながら掴もうと必死になる。


掴めねえから掴みたくなる。煙女は男を巻いて曖昧さの中落とし切る。

中途半端にじゃねえ。とことん落としきるんだ。


本物の女にやられる男には後にも先にも、何にも残んねえもんだ。


黙った男達を見ると満足げに赤紅が笑みを描いた。


女は娘へと視線を戻した。視線は娘を捕らえて離さない。

「聞きい 尊子。あんたさんは、もうあんたじゃない。

ここであんたはあんたとしてではなく、生きて行くことになる。その身を守る事が、その身を上手に扱うこと。」

尊子は女の言葉を聞くと顔を床へと付けた。小さな背中が小刻みに震えている。

女は私に目配せをした。目配せは流れる清流の様だ。

気づかなければ気づけねえ。

私は尊子の傍に膝をついた。そして床に張り付けている彼女の顔に近付いた。

「部屋へ連れて行ってやんな」

女は私に言った。私は尊子の腕を掴んだ。肉の感触がない。細い腕は力を入れてしまうと 

女の私にでさえへし折る事が可能に思える。


扱いを間違えちまってはいけねえ。

この子は

まだ出来上がっていねえ娘っ子だ。


壊れものなんだ。


尊子は私の力添えで、何とかその場に立ち上がった。震えている肩は、もう限界に見える。ここに居る汚ねえ男連中に、この娘の涙は見せやしねえ。


私は尊子と共に静かに部屋から出た。頭を一つ下げふすまを閉じた。

冷たい廊下を歩く。私は彼女から掴んでいた腕を離した。その瞬間、限界を超えた彼女は涙と共にしゃくりあげた。空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


怖かったんだろうな。


尊子は勢いよく暴れ出した。


タガが外れた尊子は、なだめる私の手を必死に退かそうとする。

ここへ来る娘皆そうだ。こんな娘の姿を何度見てきた事だろう。

私は自分の歯を食いしばった。

娘っ子は封を切ったように暴れ出す。

安堵というものはそういうものだ。不安と安堵の極限を行き来した反動というものは

そういうものだ。暴れる尊子の腕を左手で押さえつけ、私の右腕を尊子の口の中に突っ込む。声に出来なくなった叫びは、行き場を失い私の腕に食らいつく。


声として現わすことを許されなかった恐怖は、力任せに私の右腕に食らいつく。


幾度私は娘達の叫びをこの右ひじで止めたのだろう。

本気を出した女は、いくら娘っ子であっても、持ち得る出来る限りの凶暴さを曝け出す。

精神の極限を見たものの姿とはそういうものだ。


肉体を持って暴れ出す。私は尊子の耳元に近付いた。そして小声で伝える。

「聞け。好きなだけ噛め。だけど 声を上げて泣くな。誰にも気づかれるな。

あんたの涙をこんな女郎小屋の廊下に落とすな。女衒野郎、あいつらに見せるな。

違う涙に変わるまで、落とすんじゃねえ。」


これは

男達に見せる姿じゃねえ。


見せてたまるか


くいしばった私の歯が泣く。


「ここまで必死に我慢してきた あんたさんの貴重な涙粒 こんな冷めた汚ねえ廊下に落とすな。」

大きく見開いた瞳が私を見つめた。

この娘の姿を私は見ていた、知っている。この娘の我慢を 選択を私は知っている。


食い込んでいた歯は徐々に私の右腕から離れた。

それと同時に、小さく彼女から息が漏れた。


犬っころみてえだ。


いつだってそう思う。

まるで人間に罰を与えられた犬っころのようだ。

敵か味方か、この犬っころは目を見開いて私を見た。

「拭いてやる。あんたの涙は私が拭いてやる。だから、今は泣くな。」

袖元で涙を拭いてやる。尊子は私の袖元に静かに黙って涙を落した。

声を殺して私の着物の袖元で泣いた。


上手な娘だ


右腕の皮膚が痛む。この痛みには慣れたもんだ。肉体につく傷は癒えるのが見える。

でもな

娘っ子の極限を見ることには、いつまでたったって慣れやしねえ。

未だ歯を食いしばらねえと見られねえ。


「いい子だ。悪い様にはしねえ。」


尊子っていう名か。尊い子。尊くてたまらない子。

きっとな

そう願われ付けられた名なんだろうな。私の袖口で静かに涙を落とす娘を見て思った。

尊子は落ち着きを取り戻した。

「あんたの名にふさわしい様に振る舞うことだ。あんたの名を誇りに思う様に過ごす事だ。」

私は尊子の頬を両手で包み。最後の涙を左手で拭った。尊子は瞳を閉じて小さく頷いた。

尊子は私が今に至るまでに見た娘の中でも若かった。

それだけじゃない、尊子は私の記憶の中に居るもう一人の女の子と重なった。


この娘

悪い様にはさせねえ

悪い様には決してさせやしねえ


私は自分の中に誓った。見えてねえ約束だが私は破るつもりはない。

尊子を前にそう 勝手に 私の胸の中にて約束をしていた。

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