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吉原遊狐  作者: kumi
17/23

安治への願い


いつ来るか分からない安治を私は待っていた。


きっと私だけじゃねえ。


姉さんと尊子も思いは違うにしろ 安治を待っていたと思う。


約束もねえから

いつここへ上がってくるかは分からねえ。


安治は私達の内にてこんなことが起きているとは思いもしない。

格子越しに合う目は 私の表面に合わさっている。内は見えていない。


まだ大人に成りきってない小僧みたいな 


この男は 私に何を 見せたのか

この男は 何を私に 触れさせたのか


私は格子を掴んだ。

安治は私に近寄ることはない。

どんなに私が格子のそばに立ったとしても安治は私のそばへ歩み寄ることはしない。

離れた場所からただ 目を離さずに見ている。片時も逸らすことなく真っすぐ私を見つめる。


久ちゃんを俺のものだという 資格はねえ


安治を見ているとまるで自分を見ているようだった。

安治の心の動き 安治の行動その動機 自分の内側を見ているみたいに思えちまう。


安治が顎を上げる。

私は頷く。


内に囚われているのは 私という安治で

外という自由に在るのは 安治という私で


お互いが対を成すものであるならば どちらか一方だけが 

幸せになることなんて望めねえのかもしれないな。


格子越しに目を合わせながら ふとそう思った。

安治は両腕を背中へ回し 幾度も背伸びをして私に目を向ける。背を伸ばし切ると笑って見せる。

そして砂埃を立てて着地する。


安治は他の女を買うことはなかった。いいや 安治に尋ねたんじゃねえ。

ただ分かった。


安治は私を自分のもんだなんて言わない。

私の所にしか来ねえなんて口約束もしねえ。

耳障りのいい言葉は吐かない。


そんなこと口にするほど無粋じゃねえ。


それが 私には分かってた。


言葉を欲しいなんてな 願う資格は私にはない。

何より言葉は乞うてもらうもんじゃねえ。願いや憧れなんてな いずれ むなしさに変わることくらい

ここにいりゃあ嫌でも分かるようになるもんだ。


約束も同じだ。


約束を

叶えてもらうなんておごりがあれば

苦しむのは自分だ。

願いを

叶えてくれるなんて期待があれば焦りが自分を惨めにさせる。


だからと言って

縋るように胸ん中に留めたまま 信じ切ることも負担が大きいもんだ。


願い事

なんて持っていたら今を この遊郭を生きられなくなっちまう。

願いの叶わない苦しさに生きることを辞めかねねえ

相手を責めかねねえ。


だから

私は願いを持ってなかったんだったな


がっかりするのはごめんだ。

がっかりさせられたと被害面する心にも会いたくねえもんな。


背伸びをする安治に目を向けながら 

そんなことを考えていた。足元の砂埃が立ち上がった。


今日

一つ

私は安治にお願い事を持っている。


違う。


お願い事じゃねぇ。頼み事だ。


離れた場所にいる安治は 相変わらず笑顔を見せて背伸びをしている。



尊子を抱いてほしい


その頼み事はいずれ 安治が私の所に来た時に話をさせてもらうつもりだ。今ここで格子越しに伝えるつもりはない。


私は笑顔の安治を見つめた。

そして笑みを投げ返した。



それから日にちが経ち 

安治が私の所へやってきた。


事終えた後 安治は私を左腕に抱こうとしたが 私は安治の横へと座った。

驚いたように安治は私を見上げ 立ち上がろうとした。

「そのままで」

私は安治の動きを制止した。黙ったまま安治は私のことを見つめている。

見つめていると言ったら間違えになる。睨みつけている。

この男は今つま先から頭まで警戒している。


安治の視線に怯みそうになる。


「安治さんにお願い事がある」

私が言うと

「何だ」

間髪入れずに安治が答える。

その声は警戒心に満ちている。


何か良く無いことが起きているにちがいねぇ

安治はそう踏んでいるように見える。


安治は視線を逸らさずに上半身を起こした。


「ここには尊子という娘がいます」

私は話始めた。

「尊子はまだ殿方の相手をしたことのない娘」

沈黙が流れる。安治の警戒は解けていない。


私は安治さんに頭を下げた。

そして

「どうか 安治さん あなたがこの娘の 尊子の 初めてのお相手となってやってください」

私は口早に伝え 更に深く頭を下げ続けた。


「久ちゃん」


安治の弱弱しい声が聞こえた。


「久ちゃん それが 久ちゃんの願いか?」

頭を下げ続ける私に安治は尋ねた。私は頭を上げることなく

「はい」

と答えた。


久ちゃん正気か。

安治の言葉から伝わってくる。軽蔑されても仕方がねえ。

私は顔を上げられなかった。


安治の顔を見たら 


これが私の本当の願いなのか

正気なのか分からなくなる

心の迷いが現れてしまいそうで怖かったんだ。


「私の願いです」


何を尋ねられても私の 答えは 一貫して同じだった。他の言葉を発することはない。


とうとう安治さんは


「分かった」


そう私の頼みを飲み込んだ。私は顔を上げた。

安治さんの瞳は私を見つめている。私の瞳は安治に 囚われるようにして 見つめざるを得なかった。


視線を離すことは許されていない。

無言の中で安治の視線は幾度も問いかけた。


‘いいんだな’

‘うん’

‘本当にいいんだな’

‘うん’


無言の中で私の視線は幾度も答えていた。



こんな言葉の存在しない承諾の中

気づいちまった。


本当は私は安治に

嫌だって言ってもらいたかったんだ


そんなこと出来るはずがないないじゃねえか

久ちゃんを想っているのに 


そんなこと 


出来るはずがねえ



本当は

そう言ってもらいたかったんだ


桜貝ほどの大きさかもしれねえが 私 期待したんだ 


安治が

そう言って私のしていることが


自分たちにとっての間違いだって怒り

叱ってくれるのを どこかで 期待していたんだと気づいた


在った期待に気づく

そして

気づくには遅すぎた


徐々に

私が私を欺いている事

私が安治に 勝手に 駆け引きを投じていること


尊子を出しに使って引き出そうとしていたかもしれない

可能性が自分の中にて露になる



もう遅い


私が手を付けた事だ。私が選択したことだ。私は唇をきゅっと噛んだ。





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