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吉原遊狐  作者: kumi
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私の居る場所


私の居るこの場所は、横に長い作りになっている屋敷で、いくつもの部屋に分かれている。大きな太い道沿いに連なり、木で出来た格子からは容易に中を覗き込めるようになっている。木連格子と呼ばれるものに似たそれは、時に狐戸とも呼ばれるらしいがそれが正しいのかは分からない。狐扉と呼ぶものも居た。

狐扉は外の世界と内の世界を明確に隔てるもの。

私にはそうとしか思えない。自分の居る場所と外という場所の格差をあからさまに

見せしめようとするもの

それが

何と呼ばれているものなのか

そんなこと、私には知ったところで意味がないことだった。網目状になっている格子越しに、意図せず通りゆく人々と目が合う。目が合っても気にも留めない。私は気に留める。

人々の声は容易く格子を超えてくる。

馬車が駆ければ砂埃も細かな砂利も許可なくこの部屋へ入りこんでくるんだ。

土煙さえもうらやましく思うことがある。


「容赦ねえ」

私は袖元で軽く口元を覆う。

「ねっちゃん 砂埃吸った?」


私の様子を見た尊子が尋ねる。尊子は私より少しばかり歳が下の娘っ子だ。

‘ねっちゃん’

今私をそう呼ぶ彼女は随分この場所にも慣れたもんだった。上手に格子を拭きあげる。幸に触れたことのない指指は古傷を乗り越え、生きることを選択した証として存在しているようだ。

「慣れたもんだ、砂埃なんて」

ぶっきらぼうに答える私に尊子は無言で笑みを見せた。決して手の動きを止めやしない。

他愛のない会話だ。いつも在る掛け声だ。訪れた毎日を確認するように言ってみせる言葉のようなものだ。


尊子


尊子は一年程前にこの場所に来た。

ただでさえ、ちいっこい肩なのに更に小さくすぼめ、この場所の門を潜ってきた。忘れねえ、後ろには大柄な男二人がついていたっけな。

尊子がちっこい 細っこい娘っ子だったもんだから、なお男達を大きく見せたんだろう。

彼女はこの場所へ連れて来られた娘だ。

自ら出向いた訳じゃあねえ。

私は彼女の横顔を見つめながら当時の事を思い出していた。

この場所は大きな門を超えた所に在る。門の背は高く連れられて来た娘を虫けらのように小さく見せるもんだ。


大門


一本柳が垂れ下がる。大きな門だ。風を味方に揺れる柳は、どんな想いを持っているのだろう。揺れる度に

‘待ちなさい’

柳の葉はそう言っているように見える。そしてすぐに

‘はやくお行きなさい’

そう背中を押している様にも見える。矛盾が交差する。

娘っ子の胸の内と同じなんだろうな。


大門を潜ることは自身の価値を狂わせる。自身の存在を最小限にまとめあげる。

踏みつぶせそうな娘は両手を胸の前で合わせている。

たった今来た娘だ。


「来たよ! 来た来た!」


一人の女が甲高い声を上げ周りの女達に手招きした。女達は一斉に格子に近づき外を眺めた。出来るだけ格子へと顔を引っ付けた。


「新参娘だ。」

「おいでなさった、おいでなさった。」


女達はたった今連れてこられた新参娘を、一目見ようと格子に張り付いた。

珍しい光景でもないのに、女の興味っていうものは尽きねえもんだ。朝笑う声が混ざる。


惨めさに震える同類の姿を、あざ笑いたくてたまらない者もいる。

待ち構えている女達が、門を潜ろうとする小さな虫けらに好奇な視線を投げかける。


この女たちはな、素直に通り抜ける娘っ子が見たいんじゃねえ。髪を乱しながら入門を拒否する姿を見てえんだ。男達にひっぱたかれて、引きずられて泣きじゃくる、そんな姿を見てえんだ。


これまでに見た事の無い様な、最大限の惨めな娘っ子の姿を見てみたい。

最小限の存在の最大限の惨めさ


救いようのない縋りをこの目に残したい、そう願っているもんだ。格子に張り付く女達を 私は後ろの方から眺めていた。壁に背を付け興味のないふりをして視ていた。

でも知っている。

彼女達の多くが持つそんな底意地の悪い願望の隅っこには、

自分の過去の姿を追いかけ、消し去ろうとしている哀れさがあるもんだ。

過去感じた自分の惨めさを、他の娘に投影しあざ笑う事であの頃の自分よりも

更なる下として見ようとする。


それが慰めになる。それが救いになる。それが、安堵になる。


他人の惨めさが、自分の中にある惨めさを慰める。過去の自分を守るために誰かを嘲笑う。今はもう居ない自分を今でも自分だけが覚えちまってる。悲しいな。

格子を掴む女の手には、いつも賭けがあるんだ。楽にしてくれっていうもんだ。


私は格子の升目から今来た娘を見ていた。新参娘は大門の前に立った。


娘っ子は足を止めた。誰でもそうだ。一度は大門の前で歩みを止める。進まなければならない脚は地べたに張り付いたように動かない。この娘にはまだ確定した覚悟は座ってねえんだ。

私は思った。


だけれど 


戻る意思はこの娘には無い。選択肢のない狭間で娘の胸ははじけ散りそうなはずだ。私は壁に身をよりかけて眺めていた。斜めに傾いた太陽が彼女の顔を照らし出す。

あの娘は涙を落とすのだろうか。

まだ幼さの残る彼女の頬は突っ張るように赤く見えた。

それは、落ちようとする陽光のせいじゃない。

手入れの届いていない頬は、まだ女として扱われたことのない証拠だ。

私には彼女の閉じた口元から、歯の合わさる音が聴こえてくるように思えた。

葛藤は時に距離を超える。

答えが決まっている中で 選択肢の決まった中で行われる葛藤ほど心を

黙らせるには時間を要する。


葛藤は時に舌をかみちぎりたくもさせる。


娘はおもむろに下を向いた。


格子越しの女達は黙った。


泣くのか。

涙粒を落とすのか


私は見入った。


娘は一つ静かに瞳を閉じた。

そして、顎を上げると同時に瞳を開けた。橙色した陽光は娘の小さな肩と胸が大きな呼吸で持ちあがったのを見せた。

その膨らみは生き抜く覚悟を決めた合図の様だった。


この娘

こいつは涙粒なんて落とさねえ。

私の右の口元があがった。


顔を上げた娘の顔は既に微量であっても、覚悟を決めた女の質を含んでいたからだ。真っ直ぐと先を見据えた瞳には、さっき私が見たあの新参者の面影が一欠けらなくなっていた。


驚かされる。


ここに来る娘には時折心底驚かされるものだ。ある地点に着いたら、瞬時で切り変わる。瞬時に在ったはずの自分を切り離す。ぶっ放す。感情を大門の前に置いていくんだ。


この門の先へ持っていく自分と、この門の前に置いていく自分を見定める。


葛藤を手放し覚悟を決めた娘っ子は、本当はまだ遠い先に孵化するはずだった。ゆっくりとゆっくりと孵化するはずだった。大門は女という育みを捨てさせ、瞬時に女という卵殻をたたき割る。時の満たない卵膜を自ら破り切るのは、娘っ子達なのだ。


大門へと入った。

娘の右足は遂にこの地を踏んだ。


「あーあ つまんねえ。」

誰かが気だるそうに口にした。一人の女は格子から離れ、床へとなだれ座った。

「泣き叫ばねえし、つまんねえしなあ。」

「見てるだけ損だった。」


女たちは独り言のように口々に不満を言いだした。ただその響きは不思議と安堵を耳に残すようだった。


良かった。

過去の自分を見ないで済む。


矛盾の安堵が床に流れ始める。


自分より哀れな姿を見たい。

でも

見たくはない。


比べるために過去の自分をもう引き出したくはない。


本当は誰も望んでねえのかもしれねえな。


分からないねえが、そんな風に感じた。裏腹ってものがあるのかもしれねえな。

見えてるものが全てじゃねえ。

目に映らねえものだって きっと 映りてえなんてさ、思ったりしてんだろうなあ。


私は思った。


娘は後ろを歩く男達を差し置いて一人先へ先へと歩んで行った。男たちは目を合わせ、拍子抜けしたしたように娘っ子の後へ続く。あいつらの期待通りにはならなかった。滑稽だ。ざまあみろっていうもんだ。今や男たちの存在が滑稽に見える。


娘っ子

緩やかだったはずの撫で肩が一生懸命娘の存在を大きく見せようとしている。

今おめえに寄り添う味方、おめえの両肩だけだなんてな。

私は心の中で呟いていた。

肩幅程度の防御だって、今のあの娘にとっては何よりも心強いもんなんだ。

娘は颯爽と歩く。まるで何事もないかのように。まるで悪いことは何事も起きていない様に。痛くもかゆくもねえ。


ああ、あの娘は腹を括った。


残された生きるための選択を今その小さな胸で決めたんだ。


この門を超えた女にしか分かれねえと思うが

生きるための選択は自分自身を被害者と見る哀れみを捨て、

無い誇りを持つことで得られるもんだ。足元の薄っぺらな草履が一歩一歩と踏み出す娘を女にしようと後押ししている様に見えた。


なんだよ、おめえには他にも味方がいるじゃねえか。


私の鼻が笑う。


女になるんだ。あの娘は女になる。私は寄りかけていた身を壁から離した。襟元がせかす様に私の肩から少し滑り落ちた。黙って部屋を出ようとする私に誰かが気づき誰かが声をあげた。


「久子、あんたまた、あんな田舎娘目かけてやんのやあ?」


癖のあるその声に私は返さなかった

黙る私に

「好き者でしかねえやあ」

あきれた声が空々しく聞こえてくる。目配せも頷きもしなかった。

私はあの娘を助けるつもりは微塵もない。

ここで何か出来る事なんて私には無い。


ただ


この地を踏んだ者なら同じ血が流れてるも同然だ。同じ思いを通り抜けてきた者。

何の想いを持たずとして産道から生まれ出る赤ん坊とは訳が違う。

生かされるか死をみるか、同じ感情を通り抜けこの地に産み落とされた同士だ。


同じもの。


そうなんだ、あの娘の姿はいつしかの私なんだ。



私はこの地へ数え十二の時に来た。後二日で十三になる時だった。


私には四つ離れている妹が居た

八つだった妹をここから来た者は欲しがった。女衒が娘を貰いに来るのは一つの用立てにしか過ぎない。娘を貰うにあらず、物を貰うに等しい。

心ある男も居れば、心が肉体からか抜け落ちている男もいる。心が遊離しているくらいならまだ、かわいいもんだ。


貰われてくる娘が若ければ若いほど育てようがある。若ければ若いほど育てようがある。それが後に男客は喜ばせる品物として化ける。

いつの世も若さっていうものは銭で買えねえ。誰にでも平等に在る一過性のものだからな。賭けるものが歳の差で変わってくるのだ。好きなように幼子から女へと変える事が出来る。そして幼ければそれだけ稼ぎ年を持てるのだ。

女衒を前に事のつかめない妹は、不安げな瞳を潤ませてお父とお母の後ろに隠れている。

事が掴めなくても、何か大変なことが目の前で起きている、それは肌で分かっていただろう。

頭を下げるお父が見えた。お母も続いて頭を床にこすりつけている。

「どうか、どうか」

そう言葉を続けていた。

終わらない言葉のやり取りは永遠の様に続いている。

女衒は譲らねえ。

このまま会話が続いたところで、半ば強引に妹を連れて行こうとするだろう。

お父とお母の言葉なんて、こいつらには何の意味をもなさねえ。

私はふすまを開けた。

そこに居る女衒の視線が私へと集まった。

お父お母が慌てて、私をあっちへ行けと右腕を大きく振り上げ下がるように

追い払おうとした。訪ねてきた男達が、私を欲しがっていないことは分かっている。

私は求められていない。それは分かっている。

こいつらが欲しい娘は八つ年の私の妹だ。

男達は私の姿に目を向け、首を右に傾げ右の親指で自分の顎をゆっくりと撫でた。

首の向きを変えながら舐める様に私を眺めた。見定めているのが分かった。


私の価値を見極める。


私はお父とお母の静止を聞くことなく、男達の前へと歩み寄り膝をついた。

そして床の間に頭を擦り付け土下座した。

「殿方様 どうか私の身を持って行ってやってください。どうかこの身を使ってやってください。貴方様方の悪い様にはさせません。お約束いたします。」


一人の男が無言で私の元へ近づいてきた。そして片膝をつくと、私の顎を乱暴に右手で持ちあげた。その雑な扱いに私の閉じた唇が勝手に開く。

左手を私の頭に添えて、左へ顔を動かして眺める。そして右へ顔を動かし眺める。


私は男と視線を合わせない様、男の動かす動きに目線を合わせた。

下から上へ這う様な視線で私を品定めする。

「悪いもんじゃねえ」

男は私から手を離し言った。


心臓が跳ねた。


自分らしくない、似合わないことをしているからだ。跳ねた心臓の音が男たちに届いていないことを願った。私は再び顔を床の間に付けるように頭を下げた。お父とお母の目から雨粒が落ちていませんように私は床の間に呟き願いを託した。

「行くぞ」

その一言の現れを確認すると

私の唇から跳ねた心臓の名残が空気として出て行った。

私の口元が付く床間は吐き出された鼓動と吐息で薄く曇った。

男達の声と共に私は立ち上がった。別れを惜しむ時間なんてない。跳ねる心臓につられている時間なんてない。曇った床の間を磨く時間なんて残ってない。

感情も鼓動も黙ってくれ。私はもう私のものではない。誰かさんのもんだ。

この身が存在する限り、私は誰かのものであって私という自由を持てることはない。

女が自分の身を捨てる事は、男が自分の腹を裂くと同等だ。


私は黙って男達について行った。土間の扉が開かれた時冷たい風が入ってきた。

泣いた妹が私の足にしがみつく。冷たい指が私の手を握る。


この手を忘れない。

私を求めたこの手を私は忘れない。


小さく握り返し

訳ないようにすばやく振りほどく。

お父とお母の姿は見ないことにした。振り向かない。焼き付ける私の姿を涙降らしで曇らせたくない。震えて肩を揺らす後ろ姿なんて焼き付けるもんじゃない。


そんなもん、親に見せてたまるか。そんな親不孝あるもんか。


振り返らずに私は扉の外へ出た。別れの言葉は言わなかった。


また

会える


なんて


希望の言葉も吐かなかった。そんな嘘っぱちいずれ自分を苦しめる。そんな空々しいものは、お父とお母を追い詰めるだけだ。


静かに扉は閉められた。入り込む場所を失った風が私のおくれ毛を持て遊ぶ。


寒いな

今宵は特に寒い


頬の赤切れは風に触れられるのを酷く嫌がっていた。それなのに足元にまとわりつく風が私を安心させた。

行かないでとも聞こえてくる。行けと急かされている様にも聞こえてくる。

風の想いはどっちだったんだろう、考えを馳せた。

おかげで気が紛れた


乾いた眼球からは雫は落ち行かなかった。

もし落ちて行こうものが在ったのならば

私はきっとこの男達について行くことを、選択することは出来なかっただろう。


やるなら最後までやり切れ

出来ないなら手を付けるな

手を付けたなら最後までやり切れ


あんたなら出来る

久子

あんたなら出来る


私は道中

この言葉を何度も自分の中で繰り返していた。


上等な門に見えたな。

ここを潜ると私は私を捨てる事になる。

私が居なくなる。うろついている女衒が面白がるように、私の背をつついて門の中へと押し出した。

「あんたさん達が触る体じゃねえ」

私は振り向き言った。

十三になろうとする娘っ子の声に男達は動きを止めた。


木連格子から女達の声が聞こえてくる。


私は一人門を潜った。


唇なんて噛みやしない。

誰かの手なんていらない。

笑い声なんて気にしちゃいない。助けなんていらない。

そんなもん そんなもん

望みやしねえ。期待なんて置いてけぼりだ。



ここで別れだ

今までの私



神は信じるたちじゃない。

だけどこの時ばかりは申し訳ないが縋らせてもらう。私のためだけに、神と呼ばれるものを使わせてもらう。


この身は神の眷属だ

行きつく先は神の仕業だってな。


自分の胸に杭を打ち込むように言い聞かせた。無い様に存在する神だけが、今の私が持つ唯一の逃げ場だった。


救いの場じゃねえ

単なる逃げ場だ。


地獄に入る覚悟を神の場所へと置き換えて信じ込ませてもらう。じゃなきゃな

体は言うことを聞かねえし、きっと精神は戻りたがる。


肉体と精神を言いくるめ

うまい具合に騙しながらな

私はここの女へと入り込んだんだ。



同じ者


私は昔の自分を思い出しながら、今来た娘 新参娘の向かう場所へと歩いていた。


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