第四話 宿り木亭に二羽の鳥
朝の王都シルジア。ビリーは宿を出て、露店街を歩いていた。
試験までの二週間、勉強するとはいえ宿にこもりきりというのももったいない。
「せっかく王都に来たんだ。いろいろ見てまわっておきたいしな。」
それに、王都の冒険者ギルドを見ておきたいというのもある。
名をとどろかせるというおれとエミリアの約束のために、世界屈指の冒険者が集うギルドは目標ともいえる場所だからな。
昨日は寝てしまって予定が多少狂ったが、まあ仕方ない。
「おう、兄ちゃん!旅人か?朝の一本、どうだい?」
焼き串屋の店主が声をかけてくる。
「この匂い……ロックバードの焼き串かな?」
ビリーは香ばしい匂いに足を止めた。
「そうだ、今朝仕留めたばかりのロックバードさ。よくわかったな」
「はい、故郷でよく食べていたので」
ビリーは串を受け取り、一口かじった。
「うまい……」
他の魔物肉よりも少し硬いその赤身肉は、とても噛み応えがある。
肉本来のうま味とあまじょっぱい串タレが抜群の相性で、口の中を幸せにしてくれる。
——と、
「お!おっちゃん、いつもの三本な!」
うしろから冒険者らしき風貌の男が大きな声で店主に声をかけながら近づいてくる。
「おう、ハーゲンさん、朝から元気だねえ!」
周囲の冒険者たちも焼き鳥を買い求めている。
おれは店主にまた来るよと声をかけ、ギルドへと向かった。
しばらく進むと、一層人が混雑してくる。
「こりゃすごいな。人でごった返してらあ。」
人の波にもまれながらもなんとか進んでいくと、王都の建物の中でもひときわ目立つ立派な建物が近づいてきた。
「......!これだ!............これが、王都の冒険者ギルド……!」
ギルドの前では、多くの冒険者たちが行き交っていた。
そんな彼らの流れに乗って、ギルドの扉を開けて中に入ると......
「———おい、リグル!お前昨日の報酬あんま使いすぎんな!その金パーティ共有なんだから!」
「うるせえ!たまには羽伸ばしてぇんだよ!」
「てめえ昨日も羽伸ばしまくってたじゃねえか!!舐めたこと言ってると報酬の配分減らすぞ!」
「———誰かこの依頼一緒にうけるやついねえか!盾役が一人足りねえんだ!」
「それだったらおれが行ってやる!なんの依頼だ!」
「冒険者ギルドって感じだな」
どこのギルドも同じような雰囲気なのだろう。あの町で普段感じていた心地よさが、子のギルドの中にもあった。
「やっぱり、ここがおれの居場所だ。」
おれは、自分の目指す先を再確認した。
でも............
「よし、学術院の受験、頑張ろう。それと......」
あんまり冒険者に引きずられるのは、やめないとな。
「いったんここで冒険者のことは忘れよう。学術院に行って、おれの古代魔法の研究が成功するまでは、ここに来るのはなしだ。」
丘の上で約束をしたあの時、一度きっぱりと決別できたと思っていたのだが............。結構引きずっていたんだな。
それから、最後にギルドの光景を目に焼き付けたおれは、王都の冒険者ギルドを後にした。
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ギルドの訪問を終えたおれは、宿の自室へ戻るとカバンの中からテキストを出して勉強の準備をする。
「さて……今日もやるか。......まずは算術からだな」
苦手意識の強い分野だった。特に”魔力換算の計算式”は複雑な数式が呪文のように並んでいるし、”魔力効率の上昇に伴う魔法発動に必要な魔力量の変化率と変化量”なんかは、文章からして頭が痛くなる。
「ええっと......ここはこっちの公式を使って......あれ、計算が合わないな......ああ、ここが間違えてるのか。危ない、今やっといてよかった。次はこの問題か―――――――」
しばらく算術のテキストを解いた後、今度は物理科学のテキストを開いていた。
「20キロの金属物体を……王兵魔導士の平均魔力効率で初速1500mで射出する際、空気抵抗を加味したうえでの消費魔力は……くっ、またここか」
おれは物理科学の中でも魔力が関連する領域、”魔力が現象へどう作用するか”という理論を数式で表現する分野が苦手だった。
「条件が無風ならまだ楽だが、風が吹くとわけがわからないな......目標地点に到達するための射出角度の計算も面倒だ。」
「こっちの問題は……気温23℃、湿度42%の空間において、空気中の魔素濃度が飽和状態にある場合、魔法発動までの遅延時間tは、ええと、この関数を使って……いや、待て、これ前も間違えた。こっちか。......よし!あってるぞ!......ふう」
おれは一度鉛筆を止めて、ひと息ついた。
「......大丈夫かな。まだ間違えている問題は多いし、このままで本当に間に合うのかな............いや、そんなことを考えている暇はないぞ。一問でも多く解くんだ。」
ふと、不安な気持ちになったが、おれはそんな気持ちをおさえて、もう一度テキストに目線を落とす。すると、テキストの端に何かが小さく書かれていることに気が付いた。
”———算術と物理は積み重ねだ。昨日より今日、今日より明日。焦るな”
「これって——」
アルトネ先生の字だ。おれが焦っているだろうことを見透かされていたのだろう。
「かなわないな」
おれはアルトネ先生の言葉をもう一度読み返して、鉛筆を握り直した。
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「ビリーさまー、ごはんのおとどけでーす」
あれから2,3度鐘がなった後くらいだろうか、扉の向こうから明るい声がした。扉を開けると、リサがトレイを抱えて立っていた。とれいには、とても美味しそうな匂いのするサンドイッチがのっていた。
「うわあ、おいしそう......!」
「ロックバードのおやこサンドです。ままが、つかれたときはあまからいのがいいって」
「ありがとう。……親子って、ロックバードの卵も入ってるのか」
「うん。あとレタスとマスタードもちょっと。さいきん、カフェではやってるレシピなんだって」
「へぇ、そうなんだ!……ありがたくいただきます」
「べんきょう、がんばってください」
リサが手を振って去っていく。親子サンドからはロックバードの赤身の香ばしさと甘辛いタレの入り混じった香りが漂ってきた。胃が鳴る。
「……よし、これ食べてもうひと頑張りだ」
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——ゴォォン……。
「なるほど……ここで減衰するのか。ってことは、放出魔力は……合ってる!」
思わずガッツポーズをする。
魔法理論や歴史、それに兵法については、とても興味があった分野ということもあり、ギルド塾での勉強であらかた範囲は終えていた。特に兵法は冒険者を目指していたころの独学もあり、難なく点が取れていた。
だが、算術と物理科学は別だ。やらずに済むならあまりやりたくはなかった。でも、勉強を進めるうちに魔法におけるこれらの教科の重要性がよく分かった。実際に魔法師が戦闘を行う際に考慮に入れなければならないことの多さや、戦術を組み立てるうえで必要になる多くの計算は、感覚でどうにかなるものではない。
「よっしゃ、あとちょっとだけ」
おれは勉強机に再び身を乗り出した。王鐘の四回目を待つ部屋に、ページをめくる音がした。
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「———シオン兄、ここかな?宿り木亭」
「うんリアナ、聞いてた特徴と一緒だ。ここだと思う」
———顔や背丈、そして声までそっくりな二人の少年少女が、大荷物を持って宿り木亭の店前に立っていた。
「ごめんくださーい」
宿り木亭の受付に、少年らしき声が響いた。
「はいよぉ、いまいくからね、............はいはい、お待たせしました。,,,,,,あら!かわいい子たちね、双子さんかい?そっくりだねえ」
宿り木亭の女将のやかまし......元気な声が受付いっぱいに広がっている。
「はい、双子です。僕たち、宿泊予定でチェックインに来ました」
「うんうん、確かにこの時間に二人分の予約が入っているね。あら、坊やたち”も”学術院の受験生かい。」
「はい、そうですが......”も”というと......」
「ああ、昨日もうちにチェックインしに来た受験生の子がいたんだよ。坊やたちの部屋の隣の個室にいるよ。ああそうだ、一応、名前を言って受験票を見せてちょうだい。」
「はい、僕はシオン。シオン・レグナートです。」
「リアナ、リアナ・レグナートです。」
二人はそう言いながら、肩掛けかばんから受験票を取り出した。
「はいありがとう......うん、確認できた。じゃあこれが鍵ね。まだ受験まで二週間あるんでしょう?隣の部屋の子は一人で来てるみたいだし、会うタイミングでもあれば声でもかけてやんな。仲良くなれるだろうさ。」
「はい、そうしてみます。」
「さ、注意事項だけど————」
女将は二人に宿屋での注意事項を説明した後、二人に部屋のカギを渡した。
「行こう、シオン兄」
「ああ」
二人は金色に輝く刺繍の入ったローブをなびかせながら、階段をのぼっていった。