第二話 目指せ合格!ギルド塾!
──車輪が土を打つ音が、心地よいリズムで続いていた。
目指すは王都リリーエラ。王立魔法学術院入学試験の地。
王都へと向かう馬車の中、馬車の車輪が土を叩くたび、ビリーの体が微かに跳ねる。さすがは王立といったもので、こんな田舎平民のいち受験生ごときのために、なんとも立派な馬車を用意してくれていた。............うーん、いったいいくらするのやら。わがままを聞いてくれた分、結果で報いなければと気を引き締めなおす。
ビリーは座席の片隅に身を預け、じっと車窓の外を見つめていた。揺れる景色はどこか夢の中のようで、心はひと月前へと遡っていた。
あの丘でエミリアと約束をしてから今日までの一ヶ月は、今までの中で一番あっという間で、とても濃いものだった。
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「王立魔法学術院を受ける、だと……?正気かビリー?」
時は旅立ちのひと月前、ギブスの冒険者ギルドの応接間で、冒険者ギルドのサブマスター、ドランクは驚きと困惑の入り混じった顔をしていた。
「うん」
ビリーは短く、けれど確かな声で頷いた。
その夜、ギルドの隅にあるカウンター席で、おれはドランクに学術院の受験を決めた理由を語った。古代属性魔法に適性があったこと、自分の力が一体何なのか知りたいこと、そして、その力を使いこなせるようになりたいこと。
「王立魔法学術院って言やあ、この国一番の学術機関じゃねえか。......なるほどな、そこに行って自分の魔法について研究したいってことか。.............まあなんだ、応援したい気持ちはあるんだが......受験って二か月後だったよな?王都までに二週間かかるとして、一か月くらいしかここで準備できないぞ?」
そうなのである。おれが受験する王立魔法学術院は、10歳になる年の二月一日に洗礼の儀を行い、魔法適性があった者に受験資格が与えられる。試験科目は座学の実技の二段構えだが、基本的に王立魔法学術院を志望する受験生は、2年前から座学の準備を進める。
その後儀式で適正ありと診断されてから、実技の準備を始めるのだ。......ん?実技の準備が遅くないかって?
学術院では独自の指導体系を確立しており、独学で変な癖をつけられるくらいならばまっさらな状態で受験してほしいというスタンスをとっている。そのため、実技科目は基礎的な魔力操作の試験に限っている。また、学術院は国一番の研究機関ということもあり、受験者の座学に対する学習意欲を重視している。よって試験の配点は座学が800、実技が200の1000点満点となっているため、実技の対策不足は致命傷にはならないのだ。
ちなみに魔法適性がなくても、実技試験がいらない姉妹校の”魔法理論研究院”への受験はできるので、2年間の対策が無駄になることはない。
とはいえ......
「ビリーお前、あんま頭よくないだろ。ただでさえ周りが2年勉強するもんを、ひと月じゃあどうにもならないんじゃあないのか?」
そうなのである。おれはあまり頭がよくないのだ。物心ついた時から冒険者にあこがれ、学術院への進学なんてこれっぽっちも考えたことのないおれは、当然座学など修めておらず............周りの受験者との圧倒的な差が既に開いてしまっている。これをひと月で取り返すことなど、本来なら到底不可能なのだが......
「ドランクさん、あるんだよ、裏道が。」
あるのだ、裏道が。
そもそも10歳やそこらの子供にとって、将来の職業というのは基本的に遠い未来の話である。どこぞの貴族や領主様、家業持ちの子のように将来進む道が明確な子はいいが、そこらの平民の子にとって職業について初めて考えるのは基本的に洗礼の儀のタイミングになる。
そんな子たちがいきなり魔法適性をもって、その後学術院に通いたいという気持ちを持ったところで、すでに手遅れなのである。......そんなひどい話はない。学術院の門戸は身分の貴賤に関わらず平等に開かれているべきなのだ。
そこでこういった洗礼の儀の後に学術院を志した子供たちのために、学術院は別枠での受験方法が用意されている。この入学試験では、座学の試験科目が一部免除され、難易度も本試験と比べて多少低く設定されている。
別枠入試で合格した場合、入学後一年間は準生徒として学籍登録される。そして一年間の学生生活を経て、期末の再試験に合格することで、晴れて本生徒として認められるのだ。
「なるほど、そんな方法があったのか。適正の話もそうだが、運がいいんだか悪いんだかわからねえな。ま、とりあえずはよかったな。」
「まあ、どちらにしろ座学の勉強は必須でね......。その件で今日はここにお願いをしに来たんだ。」
「つまり、魔力操作や座学を教えてくれる人を紹介しろって話だな。」
ドランクは少し口角をあげて、おれに微笑みかける。
「はい、そういうことです。」
「?どうしたビリー、お前が敬語なんて......」
「どうか、よろしくお願いします。」
おれは、姿勢をなおし、まっすぐとドランクさんの方を見て、頭を下げた。
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朝の薄曇りの空の下、ギルド裏手の訓練場で、ビリーはじっと汗を流していた。へその下あたりに意識を集中し、呼吸を整え、魔力を体内から巡らせる──ようにしてみるが、何も感じ取ることができずにいた。
「焦るな。それは魔力操作に最も不要な感情だ。」
腕を組んで見守っていたBランク冒険者のガロンが、どっしりとした足取りで近づいてくる。年季の入った皮の胸当て、無精髭の下の目は真剣だった。
昨日ドランクさんにお願いをした後、ドランクさんはすぐに魔力操作と座学それぞれの先生になってくれる人を探してくれていた。冒険者ギルドの張り紙依頼を出してくれていたらしく、依頼料はおれの出世払いということになっている。
先生はすぐに見つかった。おれが冒険者を目指して毎日ここに顔を出していたおかげか、冒険者のみんなに顔を覚えられており、魔法適性の話を聞いたみんなは、おれのことを応援してくれているらしい。その話を聞いたとき、おれはうれしくて目が潤んでしまった。
やっぱりおれは、冒険者が大好きだ。先生になってくれたみんなには、いつか必ず冒険者の稼ぎで酒をおごってやる!
おれは強く、そう決意した。
「お前の適性が古代属性だろうが関係ない。魔力操作はすべての魔法に通じる基本形だからな。いいかビリー、重要なのは、体の中を通る魔力を『理解する』ことだ」
誰がどう見ても前衛職にしか見えない魔法師のガロンはそう言うと、自身の腹に手を当てた。
「魔力はな、筋肉や血液みてぇなもんだ。流れを感じて、自分で制御できるようになって初めて、魔法ってのは形になる」
「……じゃあ、ただ自分の中の流れを感じればいいの?」
「ああ、そうだ。まずは呼吸を整えろ。深く吸って、吐く。魔力を循環させるイメージを描け。あったかい糸のようなものを体内に感じたら、それが魔力だ。何度失敗しても構わねえ、あきらめるなよ。」
毎朝ギルドの裏手にある簡素な訓練場で、裸足になり、地面に正座して、自分の内に流れる魔力の気配を感じ取る。初日は何も感じなかった。二日目も、三日目も──けれど一週間が過ぎた頃、ビリーは確かに“何か”が身体の中心を巡っている感覚を掴み始めていた。
心臓の鼓動とは違う、熱でも痛みでもない。けれど、内から外へと向かう“力”のようなもの。
「つかめたよガロンさん!これが魔力......!あったかいね」
「ああ、よくやった。魔力操作は今感じ取った魔力を自力で体内に循環させることで鍛錬できる。極めれば少量の魔力量で効率よく高火力・高難易度の魔法が使えるようになる。お前は魔法の発動ができないから魔力量の訓練ができない。魔法の行使が魔力量の最大値を増やすからな。お前がいつか魔法が使えるようになった時、魔力操作はお前を裏切ることはないだろうよ。」
「うん!これから毎日魔力操作を続けるよ。ありがとうガロンさん!」
「ああ、頑張れよ。それと、おれの授業は今日で終わりだ。今までは午後から図書館に行っていたみたいだが、これからは朝から行くといい。座学に全力を注ぐんだ。」
おれはガロンさんに深く頭を下げ、座学のため昼下がりの図書館へと駆け出した。
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図書館の司書であるアルトネ先生はは、サブマスターであるドランクさんの妹だ。淡い金髪を丁寧に結い上げた中年の女性だった。厳格な口調で少し怖い先生だが、ビリーが質問すれば丁寧に答えてくれる。彼女のもとで、ビリーは五つの座学——「魔法理論」「歴史」「算術」「物理科学」「兵法」の勉強をしていた。
ある日の講義──
「今日は魔法理論の基本からいきましょう。ビリー、魔力とは何だと考えていますか?」
「えっと……体の中にある力、かな?」
「惜しいわ。正確には、魔力は“心と体の両方に宿る力”です。魔法とは、それを使って“世界の理”を再構築する行為なの」
「再構築……。じゃあ、魔法って、現実をちょっとだけ変える行為?」
「そう。それが小さな火球でも、大地を割る雷でも、根本は同じ。世界を一度壊し、魔力で書き換える。それが魔法です。」
「魔法って、世界を壊してるの?」
おれは少し怖いと思った。魔法の行使が世界を壊すなら、魔法は果たして使ってもいいものなのだろうか......。だがそんなおれの心配を見透かしたかのように、アルトネ先生は口を開いた。
「そうです、だから魔法は正しく使わないといけません。間違った使い方は自身の身を滅ぼすだけでなく、周囲にも大きな影響を与えてしまうから。だから、このことを忘れてはいけませんよ。」
鋭く、重い面持ちで、アルトネさんはそう言った。
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「———このように戦いでは、魔法そのものの強さよりも、持っている手札をどう生かすかの方が重要です。特に、ビリーにおいてはね。」
魔法理論の他に算術、物理科学、歴史の授業を経て、おれは兵法の授業を受けていた。これが終われば、今日の授業はすべて終わりだ。
「どうですかビリー、今日の内容で分からなかった点はありますか。」
「いんや、アルトネ先生の授業わかりやすいから」
「そうですか。では今日の範囲をよく復習しておくように。明日は続きからやりますよ。」
表情はいつもと変わらずとても冷たいが、心なしかその声は柔らかく聞こえる。
「わかりました。ありがとうございました!」
おれは爆発寸前の頭でなんとか席を立ち、図書館を出ようとした。......その時だった。ふいに、懐かしい声が耳に届いた。
「……ビリー?」
振り返ると、そこに立っていたのは、冒険者風の装いをした少女──エミリアだった。
「えっ、エミリア!? 久しぶりだな!......その格好……!」
「ふふっ、似合ってる?私、冒険者登録したの。ちょっとずつ依頼をこなして、昨日新しく装備を買ったの。」
「うん、すごく。」
図書館に来るのに装備を着ているあたり、装備をとても気に入ったと見える。
「ビリーは勉強?」
「ああ、座学が思ったより楽しいんだ。古代属性って言われたときは正直かなり落ち込んだけど、今は悪くないと思ってるよ。」
「ふふ、ビリーが図書館に入り浸ってそんなこと言うなんてね」
エミリアはおれの話を聞いて笑い出した。
「なんだよ、おかしいか?確かに勉強が好きなんてガラじゃなかったけどさ」
「ううん、ビリーが元気に頑張っててうれしいんだよ。そうだ、私はね、今日は採取クエストの途中で、資料調べに来たんだ。」
話を変えやがったな、こいつ。
「危険じゃないのか?」
「うん、危険な任務じゃないよ。まだ初心者冒険者だからね。森で薬草摘み。道に迷いそうだったから、古地図を探してて」
彼女の背負った袋から、ハーブの香りがふわりと香った。
「王都、行くんだよね」
「うん。あと十日で」
お互い別々の道を歩むことを決めてから、三週間がたっていた。
すっかり冒険者の姿になっていたエミリアを見て、焦りがなかったわけではない。
寂しさをぬぐい切ることはまだできないが、おれはあの約束を支えに頑張ることができているつもりだ。
迷いは、おれにはもうない。
「……頑張ってねビリー。私も頑張るから!じゃ、また!」
そう言って彼女は背を向け、再び歩き出す。
「ああ」
ビリーはその背中を、しばらく見つめていた。
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そして十日後──出発の朝。
ドランクさんにガロンさん、アルトネ先生も、おれの旅立ちを見送ってくれた。
「でっかくなって帰って来いよ。ビリー。」
「いつかおれと組んで依頼を受けに行こう。必ずだ!」
「一か月で必要な知識はあらかた叩き込みました。必要以上に恐れないように。他の受験生はじゃがいもですよ。」
ビリーは何度も頭を下げた。彼の背に背負った小さな荷袋には、ギブスの冒険者ギルドの紋章が入った短剣、魔法理論書、地図が入っている。みんな、個々の冒険者たちが選別にって渡してくれたもの。......そうだ、おれには、この町の冒険者たちがついてるんだ。
「……やってやる、おれは絶対にあきらめてやらねえぞ!」
学術院の迎えの馬車に乗り込むと、ビリーはそう呟いた。
ビリーは町が地平線に沈むまで、決して、大好きなギブスの町から目を離さなかった。