第一話 少年少女は夢をみる
リリーエラ王国、辺境の冒険者の町ギブス。
山岳と森に囲まれたこの地では、魔物の脅威が日常と隣り合わせにある。
そんな過酷な環境の中、人々は慎ましく、逞しく暮らしていた。
石畳の通りを、二人の少年少女が駆けていく。
栗色の髪に緑の瞳を持つ少年ビリーと、
金色の髪に透き通った青い瞳をした少女エミリア。
二人は幼馴染で、同じ日に生まれ、同じ夢を抱いて育ってきた。
「ビリー、急がないと受付終わっちゃうよ!」
「わかってるってば! そんなに飛ばしたら、転ぶぞエミリア!」
「転んだら治せばいいの! 診断、受けられなくなる方が大問題!」
十歳。それはこの国において、人生を分かつ年齢だ。
魔法適性診断――それは“運命”を定める儀式。
冒険者を目指す二人にとっても、それは避けて通れない分岐点。
魔法適性の有無、そして属性によって、将来の役割や戦い方が変わってくる。
前衛として剣を振るうのか、後衛から魔法を放つのか。
どちらの夢を追うかは、この日次第だった。
そして今日、二月一日は、世界中で今年10歳を迎える少年少女が、洗礼の儀を受ける日であった。
当然それは、ギブスの町の二人も例外ではない。そしてくしくもその日は、二人の誕生日であった。
「おぉ、ビリー坊やにエミリア嬢。さ、準備はできておる。こっちへおいで」
長くて白い髭を蓄えた教会の神父さんが、優しい笑みで迎えてくれた。
「今日は特別な日だ。準備はできておる。さあ、順番に診断を受けなさい」
「じゃあ、私からいくね!」
エミリアが手を挙げ、一歩前へ出た。
石造りの部屋の中央に鎮座する、青白く光る聖石。
彼女が両手をそっと触れると、光が部屋中に広がり、すぐに青い文字が浮かび上がる。
「――水属性か。素晴らしい資質だ、エミリア」
「やったぁ! 水魔法なら、回復系の魔法もあるって聞いたことある! わたし、魔法師か回復師になれるよ、ビリー!」
「すごいじゃん、エミリア!」
おれは笑顔で応じたが、その胸の奥が不意にざわついた。
――本当に、良かった。そう思う一方で、
なんだかとても嫌な予感がした。
理由はなかった。
でも、心のどこかで、何かがひっかかっていた。
「さあ、次は君だよ、ビリー」
深呼吸をして、おれは聖石に手を添えた。
心臓の鼓動は速くなっていた。
光が瞬き、石の表面に現れたのは――見たことのない文字だった。
曲線と幾何学的で構成された複雑で不気味な模様、それは誰にも読めない、古代文字。
「……これは……実在したとは......!」
神父が息を呑む。
エミリアも、目を見開いたまま言葉を失っていた。
静寂が流れる中、セレスが重々しく告げる。
「ビリー……君の魔法適性は、なにかしらの”古代属性“だ」
「やった……魔法使えるんだ!」
おれは一瞬、喜びの声をあげた。
けれど――それは本当に一瞬のことだった。
「よく聞きなさい、ビリー。古代属性は普通の属性とは違うんじゃ。記録は非常に少なく、魔法の種類は不明。なにせ、古代文字が解読されていないからの。つまり、君がどんな魔法に適性を持っているのか、誰にもわからないんじゃ。……辛いことを言うようじゃが、ビリーの適正が判明する日は、来ないかもしれん。」
「......どういうこと?神父さん」
「ビリーには魔法の適性があるが、それが何の適正かわからない。そして、わからないから使えない。ということだ」
「!!!!……そんな……!!」
_____魔法は、大きく現代属性と古代属性の二種類に大別される。現代属性は自然魔法とも呼ばれ、火、水、風、土、雷の五つの基本属性で構成される。それに対し、古代属性は起源魔法と呼ばれ、魔法の、あるいはこの世界の根幹に関わるかもしれないと言われている魔法である。古代属性は多くの学術機関で研究がされている分野だが、その研究は現在古代文字の解読という大きな壁に阻まれており、ほとんど進んでいない。
わかっていることは、古代文字が使われていた8000年の古代文明、その内のとある国で使用されていた魔法であり、現在はすでに滅んだその国の民の末裔たちに、ごく稀に適性が発現するということのみ。古代属性がどんな魔法を使い、どのような戦い方をするのかについては、分かっていることは何もない_____
現実が、ずしりと胸にのしかかる。
せっかく“魔法適性”を持っているのに、それを“使えない”なんて。
そしてそれ以上に、エミリアと一緒の道を歩めないかもしれないという事実が、なによりもつらかった。
魔法適性を持つ者は、人類の三割程度。彼らは基本的に、戦士職や盾役には向かない。
魔力の流れが体内に宿ることにより、身体能力の伸びが鈍くなるという報告が、長年の研究で示されているからだ。筋力も反射神経も凡庸。剣を振るえば見劣りし、盾を構えても重さに潰される。
だからこそ、魔法適性者は魔法職に進むしかない。
「神父さん、おれ、冒険者になれないのかな」
「ビリー坊が冒険者になりたいのはわしも知っておる。だがその道に進むには、ビリーの魔法属性が何であるかが分からねば仕様がない。......夢をあきらめきれないのであれば、王都の王立魔法学院の道に進む他ないだろう。魔法の何たるかを学び、古代文字を研究し、古代属性魔法について研究する。冒険者とは、まるで違う道を歩むことになる。果てしない遠回りかもしれんし、果たしてその遠回りの先に冒険者の道が続いているかもわからない。」
おれの夢が、ふわりと手のひらからこぼれ落ちていくような感覚があった。
-・-・-・-・-・ー・ー・ー•ー
夜、
町外れの小高い丘。
星空の下、二人の影が並んでいた。
「……ねえ、ビリー」
「……ん?」
「落ち込んでるでしょ。顔に出てるよ」
「そう見えるか」
おれは草をむしりながら、小さく笑った。
「なりたかったんだ。冒険者にさ。エミリアと一緒に、旅して、戦って……」
「うん。私も、きっとそうなるんだって、どこかで勝手に信じ切ってた。」
おれの声には、悔しさと迷いが滲んでいた。
けれどエミリアは、それを責めるでも慰めるでもなく、ただ優しく隣にいてくれた。
「でもね、ビリー。別の道を歩いても、夢を諦めなければいいと思う。ねえビリー、私たちは、それぞれの場所で頑張って、名前を刻もうよ!世界中に、ビリーとエミリアの名前を!!」
「……それ、本気で言ってる?」
エミリアは頷いた。
その横顔は真っ直ぐで、まぶしいほどに強かった。
「本気だよ。私は先に冒険者として名を上げるから、ビリーは学校に行って魔法を研究して、古代属性の謎を解き明かすの。そしたらビリーも冒険者になって!きっとその時は、誰よりも強い冒険者になれるから!そしたらきっとまた、どこかで会えるよ!……お互いが名を挙げた冒険者になった時に!」
おれは黙ってエミリアの顔を見る。
エミリアの瞳には一片の迷いもなく、まっすぐとこちらを見ていた。
「はは、俺だけ迷ってる場合じゃないな」
おれは
「……ああ、そうだな。約束しよう。絶対に有名になってやる。……お互い大きくなって、その時にまた会おう。そしたら、一緒にSランクの依頼をこなすんだ!」
二人は小指を結んで、しばらく無言のまま、祈るように目を閉じていた。
…………少年少女は夢をみる。それが、歴史の歯車が再び動き出す前兆とも知らず。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
静かな家の扉を開けると、あたたかなランプの灯りが迎えてくれた。
ビリーの父・ガロスは、小さな木のテーブルで帳簿とにらめっこをしていた。
その隣で、妹のリィナが絵本を読んでいる。
「おかえり、ビリーお兄!」
「ただいま、リィナ。絵本を読んでるのか」
「うん、いつものやつ!」
5歳になる妹のリィナとは、血が繋がっていない。ある日家の前に雑に捨てられていた赤ん坊のリィナを、いたたまれなくなった父さんが娘として拾ったんだ。
「えらいなぁ、よしよし」
おれがそういいながら頭を撫でると、リィナは「えへへぇ」といいながら、ふやけたような笑みを浮かべていた。
おれはリィナにあとで本を読んであげると言い、今度は父の前に立った。
「父さん、少し話したいことがあるんだ」
その声には、いつもとは違う真剣な響きがあった。
ガロスは見ていた帳簿を閉じ、椅子を引いて息子を見上げる。
「……どうした。診断の結果がよほど悪かったのか?」
「ううん。悪くは……ない。でも、普通じゃなかった」
おれはこれまでの出来事を話した。
診断で浮かび上がった古代文字のこと。
神父さんの言葉。
そして、エミリアと交わした約束。
「――だから俺、王都の魔法学院に行きたい。魔法のことをもっと知りたいんだ。自分の魔法がなんなのか、それを使えるようになるために、勉強したい」
「へ?」
リィナが目を丸くした。
「お兄……遠くに行っちゃうの?もう会えない?」
こころなしかリィナの目が潤んでいるように見える。
「うん。でも、ずっとじゃないよ。きっと立派になって、また戻ってくる」
「ぜったい?ぜったいだよ?」
おれはリィナの頭をもう一度撫でた。戻って来れるかはわからない。古代文字の謎を解いて、適正魔法の属性がなんなのか分かるまで、おれは戻ってくるつもりはないから。
さっきより少し長めにリィナの頭を撫でたあと、おれ再び父を見る。
「……俺、自分の魔法のことを、ちゃんと知りたいんだ。ずっと夢だった冒険者になるには、これしかないんだ。だから……王都の魔法学院に行かせてほしい。勉強して、自分の力とちゃんと向き合って、それで……いつか、自分の力で世界を見てまわりたいんだ」
言葉を終えると同時に、ビリーは深く頭を下げた。
その背は、小さな決意で震えていた。
父ガロスは黙ったまま椅子に深く座り、長いため息を吐く。
彼の顔に刻まれた皺は、貧しい生活の中で育てた二人の子を物語っていた。
「王都の魔法学院……王立魔法学術院か。あそこはただでさえ合格が難しい。貴族や平民問わず実力を重視する。自分の魔法適性も分からずに、試験を突破することができるとは思えない......それになりより、金がない。旅費に、学費に、装備も揃えなきゃならん……」
おれの背が、すこし縮こまる。
「……だが、それでもいい。行きなさい。お前の心からの願いを聞いたのは、これが初めてだ。そんなに真っ直ぐ目を見て、願いをぶつけてきたのは……初めてだった」
「父さん……!」
「冒険者になりたいなら、一度決めたことを曲げるなよ。泣き言を言わず、知恵を磨き、誇りを持て。……そして、どうせやるなら、人の目に留まるほどになってこい。自分の決断を裏切るなよ。」
父の声はいつも通りぶっきらぼうだったが、その目は、いつになく真剣で、心から訴えかけるようだった。
「うん。ありがとう……! 俺、絶対にやってみせる!」
「...…お兄、がんばって。でも、たまには手紙してね。週に一度はしてね。」
リィナがむくれながらそんなことを言う。......週に一度は多いが、月に一度くらいなら送ろうと思った。
「......ああ、がんばるよ。本当に、本当にありがとう。」
ランプの灯りが、三人を照らしていた。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
あれから一か月が経った。
冬の終わりかけ、まだ少し冷たい風が吹く、早朝のギブスの町外れ。
旅支度を済ませたおれは、小さな荷を背に、町の外れの検問所に立っていた。
朝は幼いころから毎日通っていた冒険者ギルドに向かい、冒険者たちに別れを告げた。必ず戻ってくると啖呵を切ると、みんな暖かく送り出してくれた。
おれは、ぐっと唇を結ぶ。
昨日の夜は、眠れなかった。緊張していたわけじゃない。ただ、これから始まる物語に、ずっと思いを馳せてたんだ。
「ほら、今日は風が冷たい。風邪ひく前に、馬車に乗っちまいな。」
父ガロスの声は、いつもと変わらない。
けれどその大きな手が、そっとおれの肩に添えられた。
王都までは遠い。おれがこれから受験する王立魔法学術院は、こういった受験生のために馬車を貸し出してくれる。後払いで。
「うん……行ってくる」
「お兄……がんばってね」
おれの服の端を掴みながら、リィナが涙をこらえてそう言った。
「うん、元気でやるんだよ」
そして――もう一人。
丘の上で交わした約束から、ずっと変わらない瞳でビリーを見つめていたのは、エミリアだった。
「……じゃあ、行ってくるよ」
言葉はそれだけだった。
だけど、少年と少女には、それで充分だった。
おれはエミリアに、父に、リィナに、この町に背を向けて、ゆっくりと歩き出す。
その背中はまだ幼さを残していたが、昨日より、どこか大人びているようだった。
小さな冒険者の町から、一人の少年が旅立つ。
少年は、あの日見た星の輝きに、お互いの夢を重ねていた。