9話 始まりの鐘の意味
そうしてカフェで一通り質問タイムを終えた俺たちは目的を達成しカフェを出ることにする。
あまり長居するのも悪いとは思ったが結局話していると時刻は6時前となっていた。
カフェに入ったのがいつだったかはあまり覚えていないが二時間以上はいたはずだ。
時間が遅くなるにつれて上級生の数も増えてきたため篠原さんもあまり居心地が良くなかっていたようだった。
「今日はありがとう伏宮くん。おかげで楽しい1日になったよ」
自室までやってきたところで篠原が言う。
「俺もつまらない1日になると考えていたな。篠原がいてくれて助かった」
俺も礼を言う。
正直なところ今日一日がここまで濃密になるとは思わなかった。
なんなら、友人もできず家に帰って一人ゆっくりとした時間を過ごしていた可能性が高い。
そこを篠原に話しかけてもらって今日はカフェや買い物ができた。
感謝すべきなのは俺の方だ。
「そっか。それは友達冥利に尽きるね」
篠原は満足そうに笑うが、そのあと少しだけ真剣な顔になって言葉を続けた。
「でも、一つ言っておくよ。勘定を奪うのはいただけない。もちろん、ありがたいことではあるけど……僕は伏宮くんと楽しく過ごしたくて店に入ったのに、申し訳なくなっちゃったじゃないか」
「……それはすまなかった」
友人に勝手に奢られるのは、必ずしも嬉しいことばかりではない。
特に篠原のように、常に人に対して誠実でいようとするタイプにとって、自分が誰かに負担をかけるという状況は、耐えがたいものなのかもしれない。
俺にしてみれば、大した額ではないし、それ以上に重要なことに気づけたから問題はない。
けれど、篠原の言葉を聞いていると、なぜか奢った俺の方まで申し訳なくなってくるのだから不思議だ。
「まあ、気持ちは嬉しいし……次は僕が奢ればいいか。友達と奢り奢られる関係っていうのも、僕は好きだからね」
「……ああ。その時は頼む」
人に奢れなんて言ったことはなかったが、自然とそんな言葉が出ていた。
篠原は、いいやつだ。
懐が深くて、一緒にいると安心するし、つい頼ってしまいそうになる。
言い換えれば、甘えたくなるような存在というか……。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
けれど、少なくとも今の関係が卒業まで続けば、俺の学校生活はきっと楽しいままで終えられる気がする。
そんなことを考えていると、篠原がふっと夜空を見上げた。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るよ。もうすぐ暗くなるし」
「了解だ。……もう泣くなよ? さすがに泊まりは断るからな」
「なっ……!? なな、泣かないよ!!」
篠原が慌てて顔を真っ赤にする。
「あの時はちょっと感情がおかしくなっただけだから! もう大丈夫! 今日の分はちゃんと補充できたもん!」
そう言って、ぷいっとそっぽを向く篠原。
相変わらず反応がいちいち面白い。
……いや、本当に男なのか?
もしかして実は女で、男だって嘘をついているんじゃ……?
いや、篠原に限ってそれはないだろう。
……ない……よな?
ないはずだ。あるかもしれないが、もうそこまで行くとよくわからない。
とりあえず今は本人の言う通り男という前提で話すべきだろう。
「戻るか」
篠原が自室のドアを閉めたのを確認し、俺も自分の部屋へと戻った。
その日はぐっすり眠ることができた。
やはり登校初日ということもあって、新しいことが次々と起こると、精神の消耗も激しいらしい。
知らないうちに疲れがたまっていたのだろう。
俺にして見ても、随分と長い一日だったように思う。
どうにか疲労回復スキル様が治してくれることを祈るばかりだ……。
◇
翌朝。
目を覚ました俺は、さっさと登校の準備を済ませると、まずはクエストの確認をした。
確認するのは、学校のクエストと俺自身のクエストの両方だ。
もし自分のクエストにランニングがあれば、登校前にこなしておきたいし、他に簡単に済ませられそうなものがあれば、そちらも終わらせておきたい。
学校のクエストと被っていれば尚良しだ。その場合二つを併用して行うことができるからな。
まあ、逆に被っていなかったなら、当然自分のクエストを優先するつもりだ。
こっちは目先の金とは違い、一生物。迷うまでもない。
「ランニングか。三キロならすぐに終わるな」
今日はランニングのクエストだった。
昨日は「飲食店を訪れる」だったため、カフェのついでにクリアできたが、今日もそれほど手間なく終えられそうだ。
予定通りランニングを終えた俺は、そのままシャワーを浴び、さっぱりと汗を流す。
まだ時間には余裕があるし、焦る必要はない。
髪を適当に拭き、制服に袖を通すと、スマホを開いてクエストの達成状況を確認する。
「よし、学校のランニングクエストもクリアしたな」
俺のステータス上に出現したクエストと、学校側のクエスト、どちらも完了。
報酬ももらえたし、朝から上々のスタートだ。
「……行くか」
ドアを閉め、俺は教室へと向かった。
◇
教室にはすでに生徒の過半数が集まっていた。
まだ登校2日目ということでみんな気合が入っているのだろう。
あるいは、部活にまだ入っていない人が多いため朝練がなく、みんな暇だったのか。
なんにせよ、俺は昨日と同じく自分の席に着席する。
「おはよう伏宮くん。昨日ぶりだね」
篠原はすでに教室についており、席に座っていた。
「早いな。まだ授業始まるまで30分以上あるぞ」
「僕だけじゃないよ。みんな昨日はあんまり寝付けなかったみたい。やっぱり高校生でいきなり一人暮らしって色々不安だよね。これからのこととか、友達のこととかさ」
高校生で一人暮らし。たしかにまだ子供だし不安なことはある。それに自分で稼いで生きていくなんてルールがある以上親に頼ることもできない状況だ。
精神年齢がまだ大人になりきっていない高校生に突然自立しろなんてのが無理な話。みんなが不安になるのはある意味必然のことだろう。
「篠原はぐっすり眠れたのか?」
「全然。夜になると静かすぎてなんだか怖いし、だからと言ってテレビをつけたら逆にうるさくて寝れなくなっちゃってさ。親が一階で喋ってる声は心地よかったのに一人暮らしになるとなんかダメなんだ」
親の安心感というやつだろうか。ぐっすり眠れた俺にはイマイチ想像がつかないが、各々苦労しているらしい。
それがここにいる全員が早起きした理由なのかと言われれば違うだろうが、それなりに同じ境遇の人はいそうだ。
「ま、慣れだな。一ヶ月もすれば寂しい気持ちもなくなるだろう」
「だといいんだけどね。僕なんか特に寂しがり屋だから夜とか伏宮くんの家に忍び込んじゃうかも」
「やめろ」
ただでさえ一人暮らしのマンションなのにいつの間にか人がいるなんて怖すぎて気絶してもおかしくない。
勘弁して欲しいものだ。
「冗談だよ。流石にそこまではやらない」
「昨日の泣きっ面見たからなぁ。やりかねないんだよ」
冗談だと笑う篠原に俺は微笑を浮かべることしかできなかった。
昨日は泣いて半ば無理やり家に入ってきたようなもんだったし、夜に忍び込んできても不思議じゃない。
まあ、学生証を共有化しない限りはそんな事故が起こることはないんだがな。
そこは内心安心していたりする。
そうして俺たちが朝のホームルームを待っているときだった。
教室のドアが静かに開き、一人の少女が入ってきた。
スカイブルーのくせっ毛に、同じくスカイブルーの瞳。
身長は150センチほどだろうか。小柄で、どこか儚げな印象を与える少女だった。
昨日、このクラスにいた生徒ではない。
おそらく、他のクラスの生徒だろう。
少女はそのまま教卓の前へと進み、こちらを見渡すと、落ち着いた声音で口を開いた。
「あ~……申し訳ありません。少しだけお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
鈴の音のように澄んだ声が教室に響く。
その美しい声音と、少女の独特な雰囲気に引き込まれたのか、教室内のざわめきはピタリと止んだ。
「どうやら、お聞きいただけるようですね。ありがとうございます。突然の訪問で驚かれた方もいらっしゃるかと思いますが、まずは心からの謝罪を申し上げます」
彼女は整った言葉遣いでそう述べると、一呼吸おいて続けた。
「本日は、皆様に少しお話ししたいことがありまして、こうして参上いたしました」
彼女の言葉に、クラスメイトたちの視線が一斉に集中する。
別に、他のクラスの生徒が教室に来ること自体は珍しくもない。
だが、わざわざ教卓に立ち、こうしてアナウンスを始めるとなると話は別だった。
「私の名前は白坂麗奈と申します。今年、皆さんと同様に入学した一年生です。以後、お見知りおきを」
そう言って、彼女は流れるような動作で可憐にお辞儀をした。
白坂麗奈。
聞き覚えのない名前だが、どこか引っかかるものがある。
「聞いたことがある」というよりも、「どこかで見たことがある」ような、そんな感覚だった。
「白坂……? もしかして、あの?」
「今回の学力試験でトップだったっていう……」
「ああ、あの人か。入学式で学年代表として前に出てたな」
周囲から小声でそんな言葉が漏れ始める。
どうやら、彼女のことを知っている生徒も少なくないようだ。
特に目立っていたのは、「学年代表」と「学力試験トップ」というワードだった。
学校代表――この前聞いたばかりなのに、妙に懐かしく感じる言葉だ。
そして、学力トップという称号も、入試の成績上位者に送られる通知で何度か目にしていたため、記憶に新しい。
そんな周囲の反応を見ても、白坂は微笑を崩さない。
むしろ、その表情はどこか余裕すら感じさせるものだった。
「どうやら、私のことをご存じの方もいらっしゃるようですね。ありがとうございます」
彼女は優雅にそう述べると、一拍置いてから続けた。
「今日は、そんな皆様に一つ。お聞きしたいことがあって参りました」
その言葉とともに、彼女はわざとらしく小さく咳払いをする。
まるで、これから何か特別なことを語り出すかのように。
一体、何の話が始まるのか。
俺も、いつの間にか彼女の言葉の続きを待ち望んでいた。
そして――次に白坂の口から発せられた言葉は、俺の予想を遥かに超えるものだった。
「このクラスに、現在三十万ポイントを所持している生徒がいるはずです」
一瞬、空気が凍りつく。
「その方を見つけるのに、ご協力いただけないでしょうか?」
三十万ポイント。
彼女が探しているのは――間違いなく、首席だった。