8話 首席の意味
食事を終えた後、篠原が勉強しているのを正面に見ながら、俺は先に会計を済ませておこうとスマホを開いた。
こんなことをするのは気取っているようで気が引けるし、実際にやったこともない。
だが、今なら――
「何やってんだよ。代金ならもう払ってる。行くぞ」
そんな風に会計を奪う、ちょっとした演出くらいはできるかもしれない。
別にカッコつけたいわけじゃない。けれど、先ほどの”贖罪”もあるし、少しでも罪悪感を軽くしておきたいのだ。
もっとも、篠原自身は俺が彼を女の子と勘違いしていたことを、そこまで気にしていないのかもしれないが。
それでも、俺は納得するまで行動するタイプだ。
やれることをやらずにいるのは勿体ない――そういう性格だから、一応やっておくことにする。
ちなみに、このカフェも共通クエストの対象に含まれている。
「ここでメニューを二品以上注文すると200ポイント獲得」 というクエストだ。
さらに、注文数が増えればプラス100ポイント、200ポイントと加算され、最大500ポイントまで獲得できる仕組みになっている。
今回、俺と篠原がそれぞれ別会計にすると、どちらももらえるのは200ポイントずつ。
だが、もし俺がまとめて支払えば、俺が「すべてのメニューを注文した」とみなされ、500ポイントを獲得できる。
つまり、一人がまとめて支払い、もう一人がその分をポイントとして譲渡すれば、100ポイント多く得られる計算だ。
もちろん、たかが100ポイント。そこまで気にするほどの額ではない。
でも重要なのは、こういうシステムの穴を見抜けるかどうかだ。
物事を論理的に考え、最善策を導き出す――そういう思考は、普段から鍛えておくべきものだから。
……まあ、今回の100ポイントに関しては、本当にどうでもいいんだけどな。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「了解。聞きたいことあるから、早く戻ってきてね」
篠原も、このカフェではストレスなく過ごせているらしい。
「今は集中してるから話しかけるな」なんて言うこともなく、落ち着いて勉強している。
ここに来たのは、正解だったな。
俺は席を立つとトイレの方……ではなくレジへと足を進めた。
「すみません、先に勘定だけお願いできますか?」
「かしこまりました」
俺はこっそり盗んだ伝票をレジ係の人に渡す。
会計を見てみると4500円だった。
4500。
俺の分は1000円くらいなので篠原は3500円分も食べたようだ。
ますますあの腹のどこに、あの量の食事が入るのか疑問だな。
今日の夜ご飯とか食べれるんだろうか。
「…お客様、凄いですね」
「あ、はい。……え? 何がですか?」
急に褒められて困惑する。
何か褒められることでもしただろうか。
もしや俺が奢ったからそれが原因ですごいやつだと思われたのだろうか。
だとしたら少し恥ずかしいな。
「このポイントですよ。この学校って最初に100000ポイントもらえるでしょう。これって入学前に受けたJHAT試験によってポイントが振られてるんです。一般的には100000ポイントなんですけど、上位に入ればその限りではありません。例えば上位10名は150000ポイントもらえますし、首席の方には300000ポイントが入るようの設定されてるんです」
「そうなんですか?」
教科書にもスマホにも載っていない情報だ。教科書には初期ポイントは原則100000ポイントだと書かれていてそれ以外の情報はなかったしスマホには現在のポイントとクエスト欄、クラス全員が入ったグループに、キャンペーンが書いてある掲示板があるだけだった。
「ええ。学校側はあえて公表していないみたいです。生徒同士の間で無駄な優劣が生まれるのを防ぐためでしょうね。私たちスタッフは日々会計を処理しているので、新入生が最初にどれだけのポイントを持っているのか、なんとなくわかるんです」
なるほど。レジを通していれば、新入生のポイント残高にも自然と目が行く。
店員からしてみれば普通の生徒は100000ポイントを所持しているのに対し、一部の生徒がそれより多く持っていればすぐに気づくことができるだろう。
もちろん譲渡が可能な以上バラツキはあるだろうが、俺のようにいきなり300000ポイントも持っていれば嫌でも目につくわけだ。
「すみません。余計なことを言ってしまいましたね。こういうのって、あまり話すべきことじゃないのに……」
人の財布事情に口出しするのはいくら相手が敷地内の人間だとしても失礼だ。
そのことに気づいたらしい店員は頭を下げた。
「いえ、僕もてっきり全員が100000ポイントだと思っていたので教えてもらえて助かりました」
「それならよかったです」
偶々とは言え、この情報を知れたのは大きい。
いずれ気づけたかも知れないが、それでも早めに気づいたならそれなりの余裕もできるというものだ。
クエスト制度も、単純に見えて意外と裏があるようだしな。
初期ポイントに差がある以上、学校側が生徒の間に見えない格差を作ろうとしているのは明らかだ。
こういうシステムに気づかずにいると、余計なトラブルに巻き込まれることもあり得る。
何より、三十万ポイントも持っているのがバレたら、誰かに目をつけられかねない。
たかられる可能性を考えると、人前で不用意にスマホを開くのも控えたほうがいいかもしれないな。
会計を済ませた俺は、何事もなかったかのように篠原の元へ戻った。
ソファに腰を下ろすと、篠原がじっと俺の顔を見つめてくる。
「遅かったね。もしかして伏宮くん、体調悪いの?」
「あぁ……いや、大丈夫だ。ちょっと大きな花を摘んでただけだ」
「?」
色々考えていると少し帰るのが遅くなってしまった。ポイントにことは後で考えよう。
「それより終わったのか? 学校のススメ」
「あ、う、うん。大体はね。でもちょっと気になるところがあってさ。例えばこの警告の部分なんだけど……」
苦し紛れにどうにか話題を変えてみると篠原は思い出したかのように俺に質問してきた。
篠原になら、ポイントの件を話しても問題はないだろう。
けれど、変に劣等感を持たれたり、余計な誤解を招くのは避けたい。
関係がこじれてしまうくらいなら、今は黙っておくのが得策だろう。
俺は何事もなかったかのように篠原の質問に答え始めた。