1話 ちょっと変わった日々
あれはいつの日だっただろう。
あの日。
虹が空にかかった日。
俺は、その虹の輝きに誘われてその根元まで走っていた。
「はあ、はあ、はあっ」
届かないと分かっていながら、それでも何か、不思議な感覚が俺の中にあった。
あれはなんだったのだろう。まるで、俺の名前が呼ばれているかのようで。いつの間にか足が動いていた。
そうして気づけば山の上にいた。
息を整えながら周囲を見渡す。
そこには、小さな鳥居と、古びた拝殿があった。
何度か訪れたことがある場所だ。
静かで、どこにでもありそうな素朴な神社。
昔からひっそりと佇んでいて、地元の人間ですら滅多に来ることはない。
特に由緒があるわけでもなく、ただ時の流れに取り残されたような、そんな寂れた拝殿。
俺自身、そこで足を止めたのには何か特別な理由があったわけではなかった。ただ、虹を追うのはもう無理だと悟ったのが、この場所だった。
しかし、その日はいつもと違うことが起きていた。
「……あれは……?」
拝殿の前に、それはあった。
青く、淡く輝く光の粒。
まるで虹のかけらがこぼれ落ちたかのように、宙にふわふわと漂っている。
「綺麗だな……」
思わず呟く。
当時、10歳だった俺は、それ以上のことは考えなかった。ただ、不思議な気持ちになって、その光にそっと手を伸ばす——
——その瞬間。
光の粒子が眩い閃光となり、弾け飛んだ。
「っ……!」
視界が真っ白に染まる。
眩しさに目を細めるが、痛みはない。
ただ、ふわりとした温かさを感じただけだった。
それが俺の体に変化を及ぼしたのはそれから数日後のことだ。
朝、目を覚ますと俺の目の前にはステータスが浮いていた。
半透明で、そこには名前と共に身体能力や精神力などが数値化されていたのだ。
それだけではない。
その右下にはクエストという文字と共に、その日にやるべきことという面目で文字が書かれていた。
最初はその現象に驚いた。家族にも見たものを全て報告した。
けど、みんなそんなことあるわけないだろと信じる素振りは一切見せず俺は説明するのを諦めた。
それからというものそのステータスとクエストについて色々と調べることにした。
ステータスはどうやらアニメや漫画で見たものと同様で、それ以上でもそれ以下でもないらしい。
問題は右下にあるクエストだ。
結果から言うとこのクエストというのは達成すれば俺自身の身体能力を上げてくれるというものらしい。
例えば、《5キロ走る》というクエストがあったとする。それをクリアすれば体力が1上がった。
他にも《数学の宿題をする》というものをクリアすれば学力が1上がった。まあ、今も昔もその数値がどれほど大きいのかはよく分かっていない。
ただ、最初の数値が平均して50くらいであったことを考えるとそこそこ大きな数値と考えてもいいのかもしれない。
とにかく、俺はあの日。今から5年前に光の粒子が現れてから摩訶不思議な現象に体を預けている。
それから気づけば中学3年生。高校生活が始まるまであと数日。
俺は今日もクエストに従って走っていた。
あの日から5年間クエストを続けていたことで体はみるみるうちに変化している。
試しに目の前にステータスを出してみた。
伏宮 怜 16歳 男
体 力:936/965
攻撃力:937
耐久力:850
速 度:1060
知 力:971
精神力:934
スキル:集中Lv5 / 体力温存Lv2 / 苦痛耐性Lv4 / 精神耐性Lv3 / 免疫力Lv4 / 洞察Lv2 / 速読Lv2 / 先読みLv2 / 写像記憶Lv1 / 読心術Lv1 / 虚勢Lv2 / 夜目Lv1 / 器用貧乏Lv3 / 痩せ我慢Lv1 / 学習模範Lv1 / 疲労回復Lv6 / 体力回復Lv6
最初は平均して50だったと考えると相当成長したのが分かる。
クエストは一日で三つ出現し、それぞれ体力や知力が一ずつ上がるため三年間で上がった合計は約5400。その結果気づけばこのようなステータスになっていた。
「成長したな。こうしてみると」
改めて成長の感じられる数値だ。
別に、数値が高いからといって特にこれと言った目的があるわけでもないから意味がないと言われればそれまでだが、こうして頑張ったことが数値として表れるというのは一種の中毒性を感じさせてくれる。
おかげで今日まで1日たりとも休むことなくこうして上げられているのだ。
「まあ、本当に意味のないことではあるのだけど」
風呂に入った後、自分の部屋に戻り椅子に座る。
そして机に置かれた一枚の封筒を手に取って中の紙を取り出した。
「強いて言えば行きたい高校に受かったことくらいか」
紙には合格通知と書かれている。
つい数ヶ月前に受けた高校の合格通知だ。
俺は自分の限界を知りたいという思いで両親に無理を言って地元でもかなりの難関と言われた浅野川高等学校の入試を受けた。
両親は落ちるかもしれないと、かなり慌てふためいていたが、結果的に俺は合格した。それも首席合格という両親の予想をいい意味で裏切った入学だった。
とは言え、目立つのは苦手という理由で学校の挨拶を降りることにしたため、これを知っているのは両親だけだ。
まあ、それは別に特に気にしなかった。
俺が気になるのは、この合格はクエストによって得た力のおかげなのか。それとも自分の本来の実力で勝ち取ったものなのかということだった。
これまで能力を高めてきて知力は目に見えて上がっている。それこそ行きたい大学に首席で入れるくらいには頭が良くなった。
けれど、もし本来の力で試験を受けていたらどうなっていただろう。
今回のように受かっていたのだろうか。
あの日、虹を追いかけなかった俺は今ここにいるのだろうか。
ふと、そんなことを考える時がある。
どれだけ勉強に集中しても。
どれだけ運動を頑張っても。
それは所詮クエストがあったおかげの、仮初の力。
本来の力ではない。
そんな幻聴がたまに聞こえてくるようになった。
俺が浅野川高等学校に入ろうと思ったのはそんな俺を負かしてくれる人がこの世界にいるんじゃないかと思ったからだ。
自分の限界を知って、自分を超える人が当然のようにいる。
そんな世界を俺は切望している。
「首席か。たしか俺の他にも三人いるって話だったよな」
合格通知に記された「首席」の文字。それを眺めながら、俺は思わず口元を緩めた。
浅野川高等学校には俺と同じ点数の人が三人もいるらしい。俺は満点ではなかったらから同率の点数を他三人も取ったということだ。
「楽しみだな。一体どんな人なんだろう」
もしかしたら、俺なんて簡単にねじ伏せられるかもしれない。
俺なんて、容易く打ち倒されてしまうのかもしれない。
それが、今の俺には、たまらなく楽しみだった。