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マルー

 部屋に帰るとシャワーを浴び、備え付けのミニバーのスコッチの小瓶をグラスに空け、氷が無いことに気付いたがルームサービスを呼ぶのも億劫だったのでそのままストレートにして二口ほどであおった。

濃いアルコールがじりじりとナメクジが這うように食道を伝って胃に降りていく感覚がはっきり判り、

額が少し汗ばんだ。

眼を閉じると先ほどのホールに響いていた大音量の音楽が耳鳴りを誘い、脳に記憶を呼び起こした。


 なんとなく気分が落ち着かず、このまま眠れそうにないのでホテルのラウンジで一杯やることにして、部屋を出た。

ラウンジと言っても、一泊100ドルもしないホテルだったので大して期待はしていなかったが、想像していたよりもましな作りだった。

8席あるカウンターに客はおらず、私は一番左側のスツールに腰掛けた。

カウンターの端で背中を向けてグラスを拭いていたバーテンダーが私に気付き、オーダーを取りにやってきた。

私はタンカレジンのオンザロックを注文し、レモンスライスを入れるように頼んだ。

灰皿を引き寄せ、持っていたタバコに火をつけた。

やってきたグラスの氷の頭を人差し指でひと混ぜして、ゆっくり口へ運んでタバコの煙を吸い込んだ。

さっきのスコッチとは明らかに違う感覚が胃を満たし、幾分か肩の力が抜けたような気がした。

翌日のスケジュールを頭に思い浮かべながら、ぼんやり酒瓶の並んだ棚を見ていた。


誰かがバーへ入って来た気配を感じ、振り向くとフィリピン人の女が一つ空けた右隣のスツールを引いているところだった。

タイトなデニムのミニスカートに胸元の大きく開いた体の線を強調する明るいグリーンのリブのカットソーを着ていた。

カウンターの下で組んだ艶のある肌の足の先に3インチはあるだろうか、背の低いフィリピン人の女連中が好んで履く白いヒールから踵を浮かせてぶらぶらさせていた。

スタイルの良い腰のくびれの上にある大きな、形の良い胸をカウンターの手前に乗せるように足と同じ肌の細いきれいな腕で抱え込むようにして座っていた。

見るからに胸の谷間を誇示したスタイルはその手の筋の女だろうか?

大方最上階にあるカラオケバーの女なのだろう、客待ちしているか、仕事が早くハネたのでここで一杯飲むつもりなのかはわからなかったが、思いの外その手合いにしては品があるように思えた。

私はタバコを吸いながら、横目でその女を無意識に観察していた。

黒いストレートの艶のある長い髪に、丸顔だが小さい顔の輪郭が見え隠れしていた。


女はクラブソーダを注文し、ストローでライムのスライスをつつきながら、何やらタガログ語でバーテンダーと話をしていた。

私はおかわりを頼み、チェイサーを口に運んだ。


「ニホンジンデスカ?」突然その女が振り向きざま私に日本語で尋ねた。

私がそうだと答えると、眼を合わせてにっこり笑った。

チャイニーズ系だろうか?良く見るとフィリピン人にしては随分肌の色が白いような気がしたが、

大きな眼と堀の深い顔立ちはスペイン系のようにも思える。

しかし、横顔で見るよりはずっと若く見え、かなりの美人であることは確かだった。

「ハジメマシテ、ワタシハ、マルーと言います。」

そう言うと幼い子供がお礼をするようにペコリとお辞儀をした。

私は自分の名前を名乗り、右手でグラスをマルーにかざした。

彼女のたどたどしい日本語での会話が面倒になり、英語でしゃべりかけると、彼女は少し驚いて、

その手の女らしからぬ、明らかにまともな教育を受けたフィリピン人らしい流暢な英語で語りだした。

聞くと、友達が上のカラオケバーで働いており、会いにきたが、客とどこかへ出かけたらしいと言うことだった。

まあそんな話がどこまで本当なのかは疑わしかったが、それ以上に私はどことなくこのマルーという女に興味を持った。と言うより正直惹かれていた。

彼女には私の顔が下心丸出しに見えたに違いない。

こうなればもうおとなしくしている事はない。

一人で退屈だったこともあり、酒の酔いも私の背中を後押しした。

私はごく当然とばかりに彼女にここを出てどこかへ行かないかと誘ってみた。

予想通り彼女は快諾し、「私の行きつけの店へ案内するわ。」と言ってにっこり微笑んだ。

私が彼女の分も一緒に勘定を済ませようとすると、驚いたことにもう既にカウンターに自分の飲み物の代金を置いていた。

少し酔ったとは言え、まだ数回しか来た事がないマニラで随分危険なことをしている自覚はあったが、彼女の魅力がその自覚を払いのけた。


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