第4話 逢瀬の終わり
胴を袈裟懸けに両断されたアンリーネは喉から迫り上がる血の塊を吐き出した。
褐色の肌を血が艶やかに濡らし、死に化粧を施している。
風船から気が抜けるように、黒く染まった雷が彼女の体躯から漏れた。
その隣に音一つ立てずに舞い降りたのは、異界より来訪せし魔導士白崎透。
彼は身体中を巡る紋章を鼓動のように明滅させながら、溜め込んだ息を吐き出した。
体内の熱をふんだんに蓄えた吐息が白煙のように漏れ出る。
見下ろす。腰は直角に曲げて覗き込むように、左手はポッケに突っ込んで。
「終わり?」
煽る意図はなかったが、構図は『思ったより敵が弱くて残念がる戦闘狂』そのままである。
アンリーネは何も返さず、ただ弱々しく喘ぐのみ。
透が興醒めだと思ったその時、奇妙な事が起こった。両断されたアンリーネの体から溢れ出た血が、空気に触れた箇所から光の粒となり始めた。それはまるで、命が分解され空へと還るような、神秘的な光景。
(なんだ、肉体がマナに還元されている...?)
生物というのは当然ながら『物質』で出来ている。ではその物質とは何なのか。
白崎透の世界の魔導学では、自然に発生したマナの結晶と定義されているが、ではマナとは何なのか。
即ち、存在するために必要な力。
俗に言う存在エネルギーである。
物質とはこの存在エネルギーが強く押し固められ、固形化した状態であり、基本的にマナへと戻ることはない。
この透から見て不可解な現象は、アンリーネの肉体が最初から物質になりきれなかったマナの集合体であるということを示唆しているのだ。つまり、生物ではなく、構造的には魔力生命体である精霊に近しいということ。
(この特異な存在構造がこの世界の人間特有のものなのか、それともコイツ固有なのかはわからない。だが、ここで死なせるには惜しいな......)
闘争の熱もある程度鳴りを潜め、冷徹な思考が頭を巡った。とりあえず眷属化して現装使いに変えてしまおう...そう思って無防備に近づいた隙を狙って、手負いの獣が牙を剥いた。
ぜぇぜぇと、間も無く死へと沈む者の荒い呼吸から、人の言葉が紡がれる。
「……あぁ」
それは先の問いへの返答。『終わりか』という挑発への返礼。
こちらの顔を覗き込んでいる白い怪物に、犬歯を見せつけるように獰猛に微笑んで見せた。
「お前がな……!」
———魔剣喚起・世界蛇の両顎
瞬刻、闇より貪欲な剣影が顎の如く開かれる。死に体も同然のアンリーネが握る魔剣の砕けた刀身。それが形を溶かし崩し、暗黒の流動となって無防備に手を伸ばす透へと殺到した。
「いいねェ!!」
蒼き流紋が薄らと浮かぶ黒刀が超速で振るわれた。濁流のような世界蛇の両顎の刀身が微塵になるまで切り払われる。刹那の攻防で深林内の魔力密度が壮絶な変化を遂げ、気圧変動を引き起こした。2人を中心にして強い風が吹き、黒と白が双方から自然と間合いを広げた。
「何それ、魔剣?」
「答える訳ねーだろ、バカが」
黒い糸となった世界蛇の両顎の刃がアンリーネの分断された上半身と下半身を引っ張って繋ぎ合わせ、切断面を縫合する。更に魔力で傷口から白煙を上げれば、何事もなかったかのように剣舞を再開した。
ゆらりと、幽鬼のような妖しげな歩みで、突如暴風のような連剣で襲いかかる。
透は黒刀を両手で構え直し、双刃による連撃を刃の上で滑らせ、流す。群青の飛沫が黒鉄の砂塵嵐を彩り、甲高く耳を劈く金属質な絶叫が2人の臓物を打ち据える。間断なく叩き込まれる剣圧とは思えない衝撃が、神経を少しずつ練磨する。
ひりつくような心地好い緊張感の中、ただ喜色を顔に浮かべて剣戟を交わす。
「どらァっ!!」
左剣が躍り、一際巨大な闇を纏った横薙ぎが透を襲う。憑意化心の出力を瞬時に引き上げて防ぐも、周囲の地面は爆ぜ、彼の後方にあった巨樹は全て薙ぎ倒された。
「もういっちょ…!」
続けて空いていた右手の魔剣が地を断割する勢いで振り下ろされた。ただでさえ横からの圧力に鬩ぎ合っている状況では回避は出来ない。故に全身を脱力させ、左剣の軌道を黒刀で絡め取り右剣へとぶつける。
至近距離で発生した衝撃波が透を木の葉のように吹き飛ばす。
「チッ、シュヴァルツメタル合金製の退魔の剣だぞ……」
飛ばされながら、チラリと得物を見やった。たった今繰り広げられた数合の打ち合いでヴォルフの黒き刀身にヒビが走っている。身体強化とは別途に発動した武具用の憑意化心でどうにか形を為しているだけで、既に使い物にはならない。
剣の状態を把握し終えた透は吹き飛ばされる中で姿勢を制御し巨樹の側面に着地した。
「【審判を下せ“断罪剣サリエル”】」
魔力を漲らせ、言霊を口ずさむ。体から放出された青い光が一直線に集約され、左手で掴み取るとそれは端から漆黒へと塗り変わった。
魔力を媒介にこの世に顕現した、黒水晶の如く透き通った夜空のような刃を持つ大剣。銘を断罪剣。死を司る天使の名を冠した忌まれし魔剣である。
「どこに逃げようってんだァ? 《貪食の牙》ィィイイイ!!!」
同時に、その身を黒雷としたアンリーネが追いつき、魔剣に小さな竜巻のような闇を纏わせ刺突を放つ。
「甘いヨ———【“義肢の躯”】」
瞬時に刺突を構成するマナと魔力を感知し、透が魔力を練り上げる。群青の光が漆黒の彗星を鏡写しの像のように形態を象り、全く同じ速度と魔力量で対消滅を起こす。
「んな……!?」
完璧に奇襲をいなされ、驚愕する暇もなく褐色の首目掛けて黒い剣閃が奔る。かろうじてもう一振りの竜巻を間に挟み込んで防げば、弾かれるように大剣が躍動し乱撃が始まった。
白崎透が黒い閃光となって姿を消し、背後で現出する。鋭敏に冴え渡る魔力感知でそれを捕捉したアンリーネはガードに成功し、即座に反撃の剣を振るうが。
「なっ……!?」
そこに魔導士は姿はない。黒い閃光の残り香たる、火花のように散った燐光を魔剣が裂く。
「【主は光と共に現れる】【主の栄冠に星も平伏す】【———“luxon”】」
黒い燐光が瞬く。パッと、その場に火花を散らして魔導士の姿が消える。
今度は上。唐竹割の姿勢に入った透が大剣を振り下ろす。しかしこれをアンリーネ、弾かれたような勢いで紙一重の回避。即座に反撃の太刀を入れる。
魔導士と黒雷の姿が掻き消えた。黒い雷光の演舞が始まる。
光の斬撃が全方位から放たれ、宛ら黒い繭を模った。アンリーネが振るう黒雷の暴風が繭を呑み込んだかと思えば、虚を突くような眩き一閃が砂塵嵐を穿った。
身の丈ほどもある大剣が文字通り閃光のように振るわれていてもアンリーネが対応できているのは、その身を黒雷と化して物理的な制約を取り払っており、更に悪喰の魔剣によって身体能力を向上させているから。
透が未だ快癒には程遠いのもこの戦いが成立している一因であるが、
(間合いに入った金属や生物に反応して静電気が起こっているな……超反応の正体はこれか。神経に直接魔法の雷を打ち込んで無茶な挙動を実現してる)
アンリーネ・グランデリアが透から見ても強いからだった。
(ますます面白い)
縦横無尽に暴れ回る黒雷と、閃光を散らす神出鬼没の魔導士が永遠とも思える斬り合いの中で互いを理解していく。
体捌きのクセ。呼吸の感覚。心拍数。反射速度。型。濃密な殺し合いの中で互いの核に近い部分を曝け出すような、原初の闘争。いつしか2人は比翼の鳥のように互いを深く理解していた。
そして、その瞬間は訪れた。
「あっ………」
白魚のような腕を血に染めながら、魔導士が黒雷姫の心臓を穿った。ぞぶりと、物理的な干渉が出来なくなったはずのアンリーネの胸から血が溢れ、彼が纏う黒衣を汚していく。
「ボクの勝ちだ」
少女を胸の中に収めるように腕を回す。それは抱き締めるというにはあまりにも殺伐とした抱擁だった。2人の影が重なり、互いの衣服は赤く染まっていく。
意識が闇に覆われ行くアンリーネは、この後に待ち受ける末路に若干の憂いを抱くが、
(こんな最後も、まあ……悪くはないか)
人に抱きしめられるのなどいつ振りだろうと、場違いな安堵感に包まれながら眠った。
静かに瞼を下ろした少女を現装使い『白崎透』は、充血した蒼白の三重瞳でその様子を見守る。
かくして運命共同体は片割れを見つけ、この滅びかけた救い亡き世界に火花が齎される。
やがて火花はこの世界に燻った全てを巻き込み、滅びの大火となることも知らず。




