第3話 魔力とは
落雷のような衝撃音が大気を劈き、霧を含んだ湿っぽい大気を押し揺るがした。縮尺が異常でも、フィトンチッドは放出されているのか。肺から無理矢理絞り出された空気を補給するため、荒く取り入れた空気は爽やかな味がした。
そして土壌特有の生臭い香りと塵が喉の粘膜に突き刺さり、咳き込んでしまう。
「げほ、ごほ」
(なんだ、あの魔力の使い方は。魔法もなしに、僭越符もなしにここまで強いのか。いや、まさかこれがアイツの———)
真っ白な魔導士が腕を一振りすれば、視界を邪魔する土煙はあっという間に薙ぎ払われた。
彼の身体能力はただのホモサピエンスとは次元を異にする。
魔導士とは、謂わばエルフにとってのハイエルフ。ドラゴンにとってのエルダードラゴン。魔族にとっての魔王。
霊長種の上位種魔導士は、しばしば人の形に圧縮された魔導兵器とも喩えられる。
重力を感じさせないような軽やかな動きで地に舞い降りた透は、高揚のままに、おそらく今の攻防を理解できなかったアンリーネに向かって言葉を紡ぐ。
「見えたかナ? 今の渦巻く魔力を纏った蹴りト、糸のような細い魔力の導線。それぞれ『流功』と『絲掬』と言ってネ、ボクの世界じゃ二位を争うほどポピュラーな魔力操作法サ」
透の体躯に青白い紋様が浮かび上がり、彼の周囲の景色を歪める存在圧力が塗り替えられる。酷く青褪めた病的なペールブルー。マナと霊力から生み出された薄青い魔力のオーラが立ち昇る。
青褪めた魔力を直線状に放出した。巨神の人差し指で巨木に押し付けられた雷光姫が、圧迫の苦しみに喘ぐ。
「ぐっ、放せ……!!」
アンリーネは抵抗するが、いくら身を捩っても拘束から逃れられない。次第に諦めてこちらを睨みつけるようになった。
「まぁまあ、もう少し聞いてヨ。今オマエの体を押さえつけてる魔力の塊。これはボクが念じることで固定されている」
魔力は心の力で操る。中世魔法文明でさえも明らかになっている魔法学の基礎だ。
アンリーネの纏う雷の衣も時形を変え、透目掛けて奔騰するが、青褪めた魔力に全て弾かれ、霧散してしまう。
「『操手』。最も原始的な魔力操作法。というか、魔力操作そのものかナ? 体を動かすことに一々名前なんかつけないし。要は魔力操作法って全部『操手』の派生なんだよネ」
まるで見えざる手が魔力を鷲掴みにして動かしているようにも思える様から、操り手。
「で、これが『流功』。ほら、真似してみて」
新たに生成した指先の蒼球を静かに回転させる様子を見せつけながら催促する。表情は相変わらず微笑んでいて、アンリーネにはそれが不気味な仮面のようにしか思えなかった。
「………」
(何が狙いなんだコイツ……いや、遊んでるだけなのか? なら、油断したところを………)
暫し逡巡したような表情を見せてから、体内魔力で渦を描く。
満足気な色を目に表し、魔導士が頷く。
「うんうんいいね、悪くないヨ。回るイメージは竜巻とか渦とかあるけド、ボクとしては血流を意識して欲しいかな」
マナで形作られた体を魔力が巡る。意識が全身の隅々にまで行き渡る独特の感覚がアンリーネを襲った。
心臓が拍動する音が絶え間なく響く。魔力で作られたもう一つの体が、肉体と重なっていく感覚。
「同調。まず魔力と肉体の動きを同期させて」
息を吸い、空気に含まれた深林の魔力を肺から取り込んで心臓へ供給する。心臓から送り出された血には魔力がふんだんに込められており、血流に乗ってアンリーネの身体を魔力が行き交う。
淡い黄金の魔力が廻転する。燐光が微かにアンリーネを体を包み始めた。
「イイね。凄くいいヨ。次はギアを引き上げるんダ。魔力に体がつられるようにネ」
一転。黄金の輪転が加速する。アンリーネの視界が急速に灰色に近づいていく。心拍の律動を自分でコントロールできる奇妙な操作感が、アンリーネ・グランデリアをゾーンへと導いた。
「———平らげろ、《禍啖う雷光》!!」
高らかに魔法名が宣言され、その身から漆黒の雷霆が放たれた。牙のように魔力膜に突き立った雷は、瞬く間にアンリーネを拘束する蒼い光を喰らい尽くし、白崎透にも襲いかかる。
それらは刹那に煌めく蒼白の霊力で斬り裂かれたが、アンリーネはそれに我関せずと跳ね上がり、両の斬撃を見舞う。先ほどとは別次元の加速力を以て2振りの魔剣が黒刀と激突し、魔導士が吹き飛ばされた。
「まだだ!」
身体中を駆け巡る力の奔流がアンリーネを突き動かす。《エレシア・エルト》の雷光加速と『流功』はあり得ないほどの相乗効果を生み出し、白崎透を再び突き離すほどのスピードを手にした。
いつの間にか背後に回っていた彼女は上へカチ上げるように剣を振い、透を吹き飛ばし、更に先回りして剣を叩きつけ、幾多もの雷撃を浴びせる。
完全に人外の挙動と化した敵の様子に、透はますます笑みを深める。
「やはり、だ。とんでもない逸材がいたもんだ! この出逢いに歓喜しているヨ! 時空迷子なんてどうなることかと思ったが、キミに会えるのだったら何度でも同じ選択をしていただろうな!!」
「チッ、気色悪りぃしなんでここまで速くても反応できんだよ!」
あまりの移動速度に、残像が残りすぎて半ば分身しているようなアンリーネが悪態を吐く。
「ハハッ! 声がいろんな方向から聞こえる!」
それさえも楽しそうに、透は身体強化を改めて強く引き上げる。
マナを実体に付与して存在質量をかさ増しする『存在増強』。増大する存在質量に、空間が歪みを浮かべる。
魂が持つ霊能力で|肉体の霊基を補正する【念波充填】。光点を青白いグリッド状の線が繋ぎ合わせ、電子基板の回路のような図面を描く。
存在質量を持った霊気『幽現霊質』の霊能力『霊力』で身体能力を強化する【存在拡張】。その身から激情を表したような、燃え盛る蒼白の光が吹き上がる。
肉体から精製した精気を用いて身体を活性化させる『経絡開通』。暖色系の太い血管のような紋様が全身に浮かび上がり、鼓動と共に刻一刻と脈打つ。
これら四つの根源的な身体強化法を存在強化と言う。
魔力で形造られた身体を肉体に重ねることで、霊体の存在拡張の代替とする『魔力強化』。瞳が無色から青褪めたペールブルーに。
魔力を肉体に流し、それを超速で廻転させることで体内エネルギーを増幅させる『流功』。制御しきれなかった魔力が飛沫となって髪から漏れる。
『絲掬』による極細の魔力糸を体内に張り巡らしもう一つの神経系と内骨格を形成する身体操術。青褪めた格子状の模様が肌に浮かぶ。
体表付近に魔力骨格を展開し『操手』でパワードスーツのように運用する『甲鱗』。青褪めた膜が肌を覆う。
更に魔力の波長と肉体を同調させる『共律』。蝋燭のように生っ白い肌が、蛍光色の青に近づいていく。
これら超常エネルギーを用いた五つの強化法を多重展開し、『憑意化心』
加えて『闘気強化』と闘気による『流功』『絲掬』『操手』『甲鱗』『共律』の身体干渉。あらゆる側面と観点からその身体性能は強化され、雷霆に対して追い縋るほどの能力を発揮する。
深い群青色の虹彩。蒼白い瞳孔。淡い暖色の白目。
魔眼化。
魔導士が戦闘態勢に入った時にのみ出る身体的特徴。白目は精気によって暖色系に、瞳孔は霊力によって寒色系に、虹彩は魔力と同色になる特有の変身現象。
その目が表すのは、魔導士がいよいよ本気で命を取りに来たということ。遊びの時間は終わりだ。
剣と剣が幾たびもの斬撃音を奏でる。
速度はアンリーネ。膂力は透に軍配が上がり、そして二人の剣戟の余波は容易く人体を壊滅せしめる域にあった。
「【引き裂け———“シュラウド・エッジ”】!!」
白崎透の体表から夥しく織り重ねられた青褪めた反物がぶわりと広がる。糸の一本一本が切削機のように激しく回転するそれは撫でるだけで風を削り、アンリーネが纏う漆黒の雷装を剥がす。
「ツェラァ!!」
アンリーネが裂帛の気迫を以て双剣を振るえば、三日月のような黒い雷撃が飛翔する。透の世界では刃雷とも呼称される雷属性の斬撃。それを、激流のような魔力を纏う黒刀で斬り払い、喉からせり上げるものを吐き出す。
「ヴォ、アアアアアアアッ!!」
およそ人間の声帯から放たれたとは思えない音圧を正面から受け、アンリーネの鼓膜が爆ぜてしまう。
「!? な、耳が……」
「死ぬなヨ」
「ッ———」
大上段に構えられたシュヴァルツメタル合金製の刀に、悍ましい量の魔力が込められていた。高らかに鳴る絶叫は、宛ら刃が『疾く斬殺せよ』と急かしているよう。
空間ごと断ち切らんとする、残月を描く軌道が描かれた。
その絶刀が交差する魔剣で受け止められるが、橙混じりの青褪めた一刀は二振りの刃を容易く食い破り、アンリーネを肩から腰にかけて何ら抵抗なく両断した。
鮮血が舞う。漆黒の雷が次第に風へ還るように霧散する。彼女の体躯は重力に抗う術を失い、力なく地へと沈んだ。




