第5話 魔導士《メイガス》
空が濁っていた。汚泥のような色合いの昏い天に、複数の色が混ざって出来たやはり汚い雲が浮かぶ。見上げる視界には常に砂埃が映り、遠くを見ようとしても阻まれてしまう。
そのようにすこぶる悪い視界の中でも、それは遠目からでもはっきりと見えた。
その様相は、緩やかに荘厳に螺旋を描く螺子のような鉄塊の上に円柱状の防壁が乗っていると語れば分かり易いだろうか。六方向に十字架の砲門を持つ杭が打たれ、砲門からは遠目から見ても明瞭に映るジェット炎が汚辱された視界を彩る唯一のオアシスである。
それは街であった。名を魔導要塞都市アルダート。
300年もの間大地から切り離されたこの世界最古の都市の一つである。
土砂降る漆黒の雨の中、『万物透過』で雨だけすり抜ける状態に置かれた透が額に手のひさしを当てて街を眺める。
雨が手をすり抜けるため、ひさしを作る意味は皆無。何となく人間臭い行動とは何だろうと考えた結果、意味もなく手でひさしを作っただけのこと。
「あれがアンリの住んでる街?」
「いや、似てはいるが別モンだ」
背の方を向きながら問えば、ぶっきらぼうな声が帰ってくる。
生気が抜けたような白髪、紅玉のような瞳、褐色の肌。
アンリーネ・グランデリア。ただし、透と交戦する前より幾らか成長した姿であり、黒色だったはずの髪と瞳は吸血鬼によくあるような特徴に置き換えられていた。
黒髪ベリーショートだったはずが、目が覚めれば白髪ロングとなっていた。
その現実にアンリーネ・グランデリアは大いに困惑した。今もうざったそうに髪を肩から後ろへ流している。
彼女も透の異能『万物透過』の効果で雨をすり抜け、雨粒によって起こる微風のみを浴びていた。
「ていうかこの雨何サ」
「知らねえ。黒い雨が降る迷宮域なんざ聞いたこともねえ」
「ここ外だヨ?」
「ならもっと分からなくなったな。ンな奇妙なとこ、噂にも聞いたことがねえ。そもそもオレも遭難者だしな」
迷宮域とは、魔法などの余波で発生した神秘が空間自体に宿った結果として生まれる。謂わば、世界の歪みとでもいうべき領域。
そのため歪んだ空間である迷宮域の内では、転移などの空間干渉が難しくなる。無理に実行すれば、破綻した『軸』へと弾き飛ばされ、時空迷子となる。
アンリーネもまた、迷宮域で変異種と交戦し、逃走する際に転移魔法を行使したのだろう。そして迷宮域という歪んだ位相空間は時空律の破綻と修正を瞬時に終え、結果として記憶に一部欠落を残した迷子少女が爆誕したという訳だ。
ちなみにここまで全てが透の推論である。彼の世界には迷宮域という異常空間が存在しなかった為、あくまでも予想の範疇に留まるが、真実には遠からず当たっている。
「ならあの街に行っテ、状況把握に努めよウ」
「そーだな。お前飛翔魔法は使えンのか?」
「当たり前だロ。何なら魔法を使わずに飛べる」
「はぁ?」
マナを肉体に装填。存在質量、『存在しようとする力』が一時的に増幅され、透は一歩空中に踏み出した。そのまま階段があるかのように歩を踏み締め、10メートルほどの地点からアンリーネを見ろした。
「ほらネ?」
「これだから異世界人は……」
なんてことはない。マナとは即ちそこに在ろうとする力。であれば、空中に存在しようとする意思でマナに指向性を与えてやれば、この通り。
空中に存在しようとする作用が発生し、空中歩行などいとも容易く為されるのだ。
見れば、透の足元に霊力特有の青白い光が纏わり付いていた。
「アンリもやってみナ? 魔導士ならこれぐらいできるサ」
「こちとら成り立てなンだよ……!」
険しい顔で空飛ぶ人外を睨みながらも、彼女の実体にはマナが装填される。
口調の胡散臭いUMAとの魂の繋がりから霊力の扱い方、その積み重ねられた経験や感覚を自分のものとしてインストールする。
(足に霊力を集中……いや違う、空を歩くんじゃない。宙に居続けるイメージ……)
アンリの全身を仄かに霊光が纏わり付き、その身に課せられた重力の拘束が弱まるのを肌で感じる。
透の手が差し伸べられた。目を瞑って意識を霊力操作に集中していたアンリは、それを最初から分かっているように取った。
「さ、一歩踏み出して」
健康に焼けた右足を踏み出し、霊力を込め、何もない筈の虚空を確かに踏み締めた。
「次は左足」
上から引っ張る勢いに乗せてもう片足も空気に乗せた。少女は恐る恐るといった貌で視界を開き、己が為した所業の証を堪能した。
陸棲哺乳類として生まれた命として、切っても切り離せない間柄の大地から独立している。高さで言えば、身体強化による超人の跳躍力を持ってすればあまりにも低い視点。
だがその視界は下界のものより遥かに自由で、人は鳥への憧れを捨てるに至った。
「……は、ははァ!?」
「おっと」
魔法を使わずに空を歩くという所業を成し遂げた事に思わず笑みが溢れ、腹の力が抜けたからだろう。霊力の集中が乱れアンリは呆気なく重力へ囚われた。
地面と接吻を交わす前に透に手を掴まれ、霊力を渡される。
外部霊力を得た事で浮遊性を安定させたアンリは、今度こそ両の足で空に立ち上がった。
「ほらネ?」
「すげえな……お前の世界じゃ当たり前なのか、空を歩くのは」
「少し違うネ。こんな芸当が可能なのは魔導士だけさ。普通の人間には無理」
その場から大きく飛び退いた透は指を立て、そこに青白い光を灯しながら語り始める。
「生物学の話をしようカ。普通、生き物の体は物質で出来ている。血液、筋繊維、骨格、神経系、皮膚、細胞。これらの塊が肉体というわけだネ」
慌ててアンリも追いかけた。魔力を体内で旋し超人の跳躍力と空中歩行の術で鳥よりも速く駆ける。
「この肉体を器として、魂は宿り、魂と器を守るように霊体ができ、その霊力が肉体を浸す事で生命エネルギーが生まれる」
「魂無き血肉に命は宿らない、って事か」
「そう。あと魔力は魂が肉体から捻り出す感じ」
「急に雑だなオイ」
「まあまあ。んで、ボクら魔導士っていうのは、この霊体と魔力の一部が物質化しているわけ」
アンリは暫し言葉の意味を理解できず、まじまじと自分の掌と透の顔を見つめた。
「つまりだヨ。アンリとボクのこの体はただ細胞が寄り集まって出来たんじゃない。魔力の結晶や物質化した霊体でもあるんだ」
その言葉に引かれて、アンリの脳があるはずのない記憶を思い出した。延命として種族を変えられた際に与えられた、白崎透の血。今はアンリの体を粛々と流れるそれに刻まれた記憶がアンリの意思によって引き出される。
「魔素体と霊媒体」
「そ。で魔素体には魔装因子、霊媒体には霊装因子っていう肉体でいう遺伝子みたいな個人情報があって。それを活用して魔法魔術なんかを開発する事もできるヨ」
「……オレとの戦いじゃ何にも使ってなかったよな?」
「必要なかったからネ……話が脱線した。要は魔導士は霊媒体があるから常人より霊力出力が高い。だからこの空歩の霊術、天履が可能ってわけサ」




