小説)石部夜戦④
「何事?!」
さすがの正信も狼狽えた。
「御免!」
家康から命令を受けていた途中だったが、忠勝が立ち上がる。
「こら! 何処へ行く!」
と正信が忠勝を咎めたが
「止めるな弥八郎」
と家康は忠勝の行動を許した。
「水口への使いは大事じゃが、それ以上に、今ここで起きておる変事が気にかかる」
◇
『雷鳴』は榊原康政の耳にも届いた。
馬は一分間に1㎞弱を走る。
石部宿から草津宿まで、ほぼ11㎞。
草津宿から大津宿まで、ほぼ15㎞。
その時の康政らは石部を発って15分ほど。あと少しで瀬田橋を臨む地点にまで進出していた。
「止まるな! 駆け続けよ!」
康政は配下の20騎に向けて怒鳴った。
石部宿の無事が気にならないわけはない。
しかし橋と大津城との安全を確認することは、焦眉の急務だった。
――殿の落ちのびる先を、確保せねば!
◇
石部宿は本陣二軒を中心に、多数の旅籠が東海道に沿いに1㎞以上の長さに渡って立ち並ぶ、という構造になっている。
6月18日の夜は「内府さま御用」ということで、一般の旅人は石部宿から他の宿場町に追い出さており、本陣には家康と主だった部下が、旅籠にはその他の手勢が分宿、と徳川勢一行に占領されたようになっていた。
宿場町の中は旗本たちが適宜交代で哨戒にあたっていたが、特に警戒を要するとされた草津方面側の端には「井伊の赤備え」が大篝火を焚き、木楯を並べ、物々しく警備を密にしていた。
その大篝火に向かって、闇の中から抱え大筒が撃ち込まれたのである。
砲声は五発。
重い実体弾の直撃を受けた兵の身体には大穴が開き、腸を飛び散らせながら背後の者を巻き添えにし、三人まとめて後方に弾き飛ばされた。
また木楯に当たった弾は、楯を砕いて尖った木片を周囲に撒き散らし、井伊の兵に手負い複数を出しつつもそこでは止まらず、なおも後ろへと飛び過ぎて、騎馬武者の馬の胴を引き裂いた。
篝籠を襲った弾は、大量の燃える木片を空中に巻き上げ、宿場町には大量の火の粉が降り注いだ。炎を浴びた兵は絶叫し、旅籠の障子紙が燃え上がる。
しかし赤備えの兵は精強である。
不意の砲撃、仲間の死傷にもひるまず、直ぐに分宿先で休んでいた兵も旅籠から飛び出して、隊伍を組むや槍の穂先を揃えて
「えい、とう! えい、とう! えい、とう!」
と性急に押し出した。
「命に代えて殿をお守りするぞ。ここを死に場所と心得よ。賊徒どもを突き伏せよ! 一人も逃すな!」
前方、闇の奥から
バズン! バズン!
と――先ほどの砲声に比べればはるかに軽い――鉄砲の銃声が散発的に響き、その度に槍兵が
「ぐッ」 「あウッ」
と断末魔を遺して転がるが、井伊隊は逆にその歩速を早め、得物の穂先を星明りに煌めかせた。
「足を止めれば、敵は弾込めを行なうぞ! 時を与えず一気に突き入れよ!」
ところがその時――
前方の闇の中、数多くの火縄が舞っているのが見えた。
『賊徒』は家康暗殺を企む少数の曲者などではなく、大量の火器を装備した軍勢だったのだ。
直政以下、井伊の兵らは突撃の失敗を悟ったが、既にどうしようもなくなっていた。
――狭い一本道で、避けようなどあるものか。
次の瞬間、充分に引き付けた、と敵は判断したのだろう。再び五発の砲声が轟いた。
そして更に五発。