小説)石部夜戦⑫
家康・正信の二人組が、舞兵庫の隊と出合ったとき、家康は「これが治部の荷駄隊か」と感慨を深くした。
正体がばれることを怖れ、配下の「落ち武者」とはなるべく顔を合わせないように気遣いながらの逃亡劇だったため、スムーズに進めば1時間程度の1里弱の道を辿るのに、倍近く時間をかけたからである。(水口~石部間は3里12町)
仮に落ち武者が自分を核に固まってしまうと、もしかしたら街道沿いに潜んでいる「甲賀者」の絶好の的になってしまう、と考えたからだ。
家康らは、長束正家謀反の報を持ってきたのが甲賀者だったことに、いまだ拘っていたのだ。
治部の配下は鎧も着けず、捩じり鉢巻きの襷掛け、という戦場では有り得ない軽装で裸馬や荷車を曳いていた。
そして口々に
「足弱はおらぬか、手負いはおらぬか? 車に乗せてやるぞ」
と声を掛けながら、避難民を励ましていた。
「水口まで着けば、長束の殿様がお守り下さるぞ。飯もある、汁もあるぞ」
そして家康を見つけた一人の捩じり鉢巻きが
「災難でございましたな。ささ、荷台に乗られませ。水口までお送りいたします」
とズラリと並んでいる荷車の一台を馬に曳かせてきた。
「供侍は付きませぬが、口取りは脇差の上手が務め申す。なに、ここより先は賊はおりませぬゆえ、大船に乗った心算でご安心召されませ」
家康・正信は「有難き幸せ。地獄に仏とは正にこのこと」と、手を合わせて拝み、街の老爺を演じた。
街道の先には、松明を灯した荷車が既に何台もゆるゆると先行しているから、それらに紛れて水口まで達してしまえば虎口からの脱出は成功。
いやここで、三成配下に救われた時点で、既に蛍には勝ったと思われた。
無理に荷車に乗るのを断れば、かえって目立つ。
二人が乗る荷車の馬の口取りは、片手には松明を持ち
「(馬を)駆けさせるようなことは無いゆえ、強く荷台にしがみついておる必要は無いぞ。寝ておられても大丈夫じゃ」
と、朴訥とした口調ではあったが、丁寧に柔らかく語った。
「いつもは俵を背に載せて歩んでおる馬でな。車引きには慣れておらぬのよ。鋤を引いて、田を耕すのは得意なのだが」
◇
ゆったりと荷車に揺られて半里ほど進んだころ
「お待ち申し上げておりました。内府さま」
と路上に片膝をつき、頭を垂れた武士が出迎えた。口取りの男同様、襷・鉢巻きで甲冑は身に着けていない。
「石田治部が家臣、前野忠康にございます」
他にも6人ほどがするすると進み出て、荷車の周囲を取り囲むように平伏する。
「御前にまかり出るに、礼装を身に着けておらぬ無礼は、陣中のことゆえ、平に御赦し下さいませ」
――コヤツが治部の次席家老、舞兵庫か。
と家康は察したが、家康である、と名乗るかどうかは迷った。
出来ればこのまま、一介の老爺として水口までは向かいたい気分がある。
『本当に治部を信じてよいのか?』というのが、結局のところで頭から離れなかったからだ。
正信も同じだったらしく、荷台の上で舞兵庫に向かって平伏し
「勿体無うございます。我ら石部の宿の下働きの爺」
と申し開きした。
「高いところから失礼とは存じますが、馴れぬ夜道に足を挫きまして、車の御厄介になっております」
「いえいえ」と舞兵庫は立ち上がり
「いくら身を窶しておられましょうとも、滲み出る風格は隠しようもありませぬ。宿の老爺には有り得ぬ品格でございます」
と荷車を護衛するように横に並んだ。
「それに御髪が。お二方揃って髷が解けておるのも妙にございますよ」
――なるほど、髪か。
と家康にも露見した理由に合点がいった。
――町人髷に結い直す暇は無かったからな。さすれば爺らしく、短こう刈り上げた方が良かったか。あるいはいっそ、剃ってしまうか。
舞兵庫は重ねて
「そのまま荷車に乗って行かれますか? それとも馬に?」
と訊ねてきた。
「ただし、馬は内府さまがお乗りになるような駿馬ではなく、また鞍が有りませぬ。乗り心地は今一つかと」
ここに至っては家康も、正直に告げるしか無い、と思った。
舞兵庫が仮に敵であれば、生かして通すはずもない。味方であるならこれ以上、謀り続けるのは礼を失する。考えても無駄であった。
「馬に致すか。これでも若いころは、さんざ戦場を駆けた口じゃ。鞍が有ろうと無かろうと……」
殿! と正信が遮るような声をあげたが、すぐに「ぐ」と唸って、続く言葉を発することは無かった。
見れば、口取りの男が後ろから、正信の盆の窪(延髄)を深く抉っている。
脇差の上手、というのは嘘ではなかった。
「そうか。儂を切るため、治部が策を巡らせたわけか」
と家康は荷台から降りた。
「せめて腹を切らせよ、兵庫」
「御意」
地面に胡坐をかき、腹をくつろげた家康に、舞兵庫が脇差を渡した。
「私めが、介錯仕る」
家康は脇差を手にすると、舞兵庫を睨み
「治部に伝えよ。儂の首を獲っても、もはや豊臣の世は戻らぬ、と。そして、再び乱世に逆戻りするだけじゃ、と」
と、言い放った。
「百姓好きの治部に、それが分らぬわけでも無かろうに」
「御遺言、間違いなくお伝え申す」
と舞兵庫は応じた。
「しかしながら……最後までお伝えすべきか否か迷うておりましたが、我が殿に内府さまを弑し奉るよう使嗾なさったのは、江戸中納言(徳川秀忠)さまにございます。江戸中納言さまは太閤殿下が身罷られる折、太閤殿下と『内府殿老いたれば、替わりて豊臣を守るべし』とお約束なされております故、止む無く」
なに秀忠が?! と家康は目を剥いた。
「左様な事があろうか! アレは我が大業の後を継ぐ者ぞ」
――しかしアレは……淀の方の妹を妻にしておるし、確かに秀吉からは羽柴の姓も貰っておるが……。
「詳しい訳は存じ上げませぬ」
と兵庫は答えた。
「ただ……受け取りましたる密書には、殿下の恩に報いるに加え、『父親の蓋が、重過ぎる』と、御不満が書かれておりましたとか」
「なるほど、重い、か」と家康は嗤った。
「アレは凡夫ゆえ、そういう事もあるやも知れぬ。儂が足固めした後は、下手に武勇を誇らず、ただ平々凡々と神輿に担がれて過ごせる者をこそ後継ぎに、と考えたが、浅はかであったようじゃな」
よう分った、と家康は腹に脇差を突き立て、兵庫は一振りで首を落とした。
◇
用意の首桶に家康と正信の首級を収め、充分の塩で埋めると、舞兵庫は手を合わせて念仏を唱えた。
『厭離穢土 欣求浄土』の旗を掲げていた主従である。
特に本多正信はの方は、最期の念仏を唱える暇も無かったから、せめてもの贐であった。
傍らに立つ配下が「御家老殿」と呼びかけた。
「先ほどの話、江戸中納言様が我が殿に、内府殿を殺めるよう命じた、というのは真でございましょうや?」
疑っている、という口調ではなかった。心底驚いた、という混乱が露わであった。
「方便よ」と兵庫は応じた。
「何も告げずに内府殿を自害させておれば、内府殿は腹を召される瞬間、関白様と我が殿とを激しく恨んで死んでいたであろう。さすれば魂魄この世に止まりて、大怨霊と化していたやも知れぬ」
「なるほど」と配下は頓悟した。
「黒幕が江戸中納言さま、という事であれば、内府殿は心乱れて、恨みを深こう出来ぬという寸法でありますな。丁度、今の私めが酷く驚いたように」
「効き目が有るやら無いやら、本当のことは我も知らぬ」
と兵庫は立ち上がった。
「ただ昔、そのような御伽噺を聞いたことがある、というだけの話よ」
そして「今まで散々、人を殺めてきた身じゃ。今さら内府殿の恨みを一つ余分に背負い込もうが、特に何も変わりはないとも思うたがな」と幽かに嗤った。
完




