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小説)石部夜戦⑪

 東海道を水口から石部へと向かう舞兵庫の騎馬500は、決して急がずゆるゆると前進していた。


 ひとつには兵がまたがっているのが戦慣れした軍用馬ではなく、普段は駄載に用いている荷役馬であること。

 ふたつは鞍無しの裸馬であり、よほど乗馬慣れした者でない限り、並足以上には急がせられなかったこと。手慰み程度しか馬に触れた事の無い兵は、首にしがみついているより無かったのだ。(ただし大駆けするような奔馬がいないため、あまり危ない場面は無かった)

 みっつ。馬の多くに、水口城に米を運ぶのに使った荷車を曳かせていたこと。今は空荷だが、戻りには道中で助けた年寄り・子供・怪我人を乗せるという段取りである。


 そして、よつ。石部宿で起きている恐慌パニックに、舞兵庫隊自身が巻き込まれないため。

 天をも焦がす大火を見れば、石部宿焼き討ちは島左近の策通り有利に、もっと言えば成功裡に進行しているのは「火を見るよりも明らか」だった。

 無理して――鎧兜も身に付けぬまま――攻め手として切り込む必要は最早無かったのだ。


 事実、騎兵隊はボチボチとだが避難民を保護しつつあった。

 まだ大部分は宿の者や近隣住民だが、舞兵庫の配下はそれらの者に

「大事無いか? ここまで来ればもう安心じゃ。水口の宿しゅくまであゆめるか」

と声をかけ、年寄り子供の足弱には荷車に乗るよう勧めた

「水口の里まで参れば、長束の殿様が飯を食わせてくれようぞ。今少しの頑張りじゃ」


 一方で逃亡兵には

「手負いか? ようここまで頑張った」

と声をかけ

「甲冑を外して楽な恰好になり、車の上で横になれ。遠慮はいらぬ。水口のお城までお送りいたす。城でなら手当ても受けられよう」

と上手に武装解除させた。

 手負いかどうかの問い掛けは、相手の面目を立てるための方便である。無傷であるのに主君を捨てて逃げたのであれば成敗の対象に成りかねないからだ。

 その点、石部からの逃亡兵は多少なりとも火の粉をかぶり、煤だらけで軽い火傷やけどの一つは負っている。手負いとして遇するのは『双方にとって』都合がよかった。


 中には騎兵隊に向かって「ここで何をぐずぐずしておる! 早う内府殿をお助けしに急がぬか!」といきってみせる敗残兵もいたが、そんなものは恥隠しの空元気。

 舞兵庫の兵から

「それだけ元気が有り余っておるのなら、今すぐ引き返して内府殿の馬前でもう一働ひとはたらきされよ」

なじられると何も言い返せなかった。

 そしてその場で立ちばらを切るか、主君を見捨てた不忠者として成敗されるか、選択を強要されたのである。



 家康・正信の主従は、粗末な着物を纏って町人風に姿を変えていた。

 そして二人きり、よろうような足取りで供侍も伴わす、休み休み歩いていた。

 足取りが怪しいのは、偽装である。

 あまり健脚に見えると、焼け出された被災民として目立ってしまうからだ。


 水口方面へ放った物見から「水口から救けの兵が出ている模様」と報せが入り、一先ず水口に身を寄せようと家康は断を下した。

 物見からは

「長束大蔵、謀反の報せは虚報でござる。殿をお迎えする支度に励んでいたのを、見誤ったもの」

「佐和山の治部配下、前野兵庫の手の者たちも、全くの丸腰で米俵を運んでおった由。殿の御為おんため、道中三河までの兵糧米を献上せんがため」

と次から次へと意外過ぎる情報がもたらされたのだ。


 それでは襲って来たのは誰だ、という事になるが、家康・正信が疑ったのは大津の蛍だった。

 何と言っても豊臣の一門衆。妹 竜子は秀吉の側室。

 また、使いに出した康政が――彼が早馬による伝令を出さないことも含めて――全く音沙汰おとさた無しなのも不可解。大津の城で既に横死している可能性があった。

 それだけではない。蛍は過去に、山崎の戦いで主殺しの明智光秀に味方して参戦する、という暗い過去も持っていた。


 本多正信は、蛍が甲賀者を雇って長束正家謀反の噂を流し、家康が東海道・中山道のどちらにも向かえず、大津に引き返すのを狙った、と考えたわけだ。

 家康が小勢で先行して大津の城に到着したら、大手門では迎え入れ、枡形ますがたに誘い込んだ後に門を閉じ、飛び道具で討ち取ればよい。既に榊原康政を密殺したように。


 ただ蛍にそこまで頭が回るか、と考えれば疑問は残るが、後ろで絵を描いた黒幕がおれば不可能なことではない。

 家康は豊臣家・豊臣恩顧の大名小名をさんざん挑発していたから、自分を亡き者にせむと密かに爪を研いでいた者の数を数えるに――京の公家を含めて――両手両足の指では足りなかった。


――それに、上杉・石田と正面切って楯突いた正直者より、伊達や黒田(如水)といった、一見しおらしく見せている野心家の方が、より怪しいとも言える。


 そう考えると、謀反の噂を立てられて迷惑した長束正家が、この場に近い大名では「一番白く」思えたのである。

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