海棠澪亜03
それから少しづつ、あくまでも少しづつだが着実に、彼は私と言葉を交わすようになった。最初はほんの挨拶程度だったが、一週間が過ぎた頃には、ちょっとした世間話しなどが出来るようになっていた。懸命に私を信じたいという気持ちが、伝わってくる。だから私も彼の心に応え、彼を応援する。だが決して、言葉にはしない。頑張っている彼に「頑張れ」というのは、結果として彼を否定する事になる。だから私は何もしない。ただ彼の側にいて、彼の話に耳を傾けるだけ。
かつて同じように私の側に居てくれた、あの人のように−−−−
彼と出会って一ヶ月、その頃から、少しづつ彼の表情に変化が表れ始めた。
何気ない、少しだけ笑える話を私がしていた時、微かに、ホントに微かだが、彼の顔に、笑みが浮かんだ。
「海棠、笑えるじゃないか!!」
「え・・・・俺、笑えてますか?」
今度は驚いた顔。今まで忘れていた彼の表情が、はっきりと表に出ている。
「俺、笑えてる・・・・」
ぎこちない笑顔、その瞳に光が宿り、目尻には涙が溜まっている。
「笑って、驚いて、今度は涙か?」
「だって俺、笑えてる・・・・5年間、笑えた事が無かったのに」
喜びを、笑うという事を思い出した彼の笑顔は、少しぎこちない。だが、そんなぎこちない笑顔は、私が見てきた笑顔で1番、綺麗だった。
そして、彼を取り巻く環境にも、ささやかでいて、彼にとって大きな変化をもたらしていた。
廊下を歩く彼の姿。そして、彼に話し掛ける学生。ちょっぴり彼が心配で講堂を覗いて見れば、彼の周りには数人の男女が、彼に笑顔で話しかけ、彼もぎこちなく一生懸命喋っている。
「少し過保護だったかな・・・・?」
呟く言葉は、私自身に投げかけたもの。当然、答えは私の心の中にある。
そっと扉を閉め、私は自分の講義室に、戻る事にした。
「九曜先輩っ!」
「ん、なんだ来たのか?」「元々、そこは俺の場所ですから」
「そうだったな」
楠で休む私に声をかけた海棠。秋風は少しひんやりと肌を冷やし、前髪を揺らす。いつの間にか彼の場所を占拠していた私に、彼は苦笑している。
「海棠、こんな所にいていいのか?」
「なんでですか?」
「せっかく友人が出来たんだ、友情を深めたり、一緒に飯を食ったほうが、君の為になるんじゃないのか?」
そう言った私に、彼はこう返す。
「だから、ここに来たんです」
「・・・・え?」
「俺が勝手にそう思っているだけかもしれないけど、俺にとっては、先輩が一番の友達なんですっ!」
ちょっぴり照れ臭そうに、彼は言った。確かに、彼は私を「友達」だと言ってくれたのだ。
「やっと、友達と言ってくれたな」
「じゃあ・・・・」
「ふふっ、一番の友達って事は、私を親友として思ってくれてるんだな」
親友って言葉に、彼の顔は明るみを増した。つられて、私の顔も緩む・・・・。
「そう!親友っ!・・・・あ、」
「どうした?」
明るみは一転して、表情に影が落ちた。
「先輩、俺はまだ心のどこかで先輩を疑っている」
「それは・・・・」
「先輩のお陰で、俺には友達も出来たし、声を出して笑う事が出来た。本当に、感謝しています・・・・けど」「けど?」
「先輩と親しくなるほど、心のどこかで先輩を疑っている自分がいる・・・・」
闇はまだ、彼の心の奥に巣喰っている。見えざる不安が、彼を取り込もうと・・・・
「なんだ、そんな事か!」「そんな事って!俺は・・・・っ!!」
「良いじゃないか、疑っても」
「え?」
「誰だって、相手を疑ったりするものさ。じゃなきゃ、社会は成り立たない」
「・・・・」
「人を信じる事は良い事だ。だがな、信じすぎる事で人に裏切られる事だってある」
説教じみた事になってしまったが、私は止めない。
「お前は「疑う」事が悪い事だと思っているようだが、全てが悪いわけじゃない。疑うという事は、自分を守る為のものだ。使い方一つで、盾にも毒にもなる。それに・・・・」
「それに?」
「他人を疑う・信じる事が出来るのは、広い世界で人間だけだ。考えてみろ、素敵な事じゃないか!!そんな複雑な感情を持っているからこそ、人は悩み、笑い、泣き、怒るし、恋もする。感情に囚われる事の出来ないやつは、獣と変わらない」
「・・・・」
「お前は人間だ、勿論私も。いいんだよ、私を疑っても」
「でも、それじゃ・・・・」
「まだ分からないか?疑う事を止めたら、お前はまた一人ぼっちに逆戻り。要は考え方一つなんだ。今のお前は「疑う」という言葉に過敏になっているんだ」
俯く彼に、私はこう付け加える。
「ただし無理はするな、今のお前に必要なのは、時間と周りの友人だ。その友人の中に、私も入ってると嬉しいがな」
最後は私の願望も入っている。出会って一ヶ月が過ぎたばかりの彼に無理強いするつもりは、毛頭ないのだから・・・・。
「・・・・俺」
「ん?」
「俺、焦ってました・・・・先輩の期待に応えたくて」
「・・・・」
「今はまだ、先輩の事を親友だと言い切る自信はないけど、いつかきっと、そんな日がきた時、先輩を親友だと思って、いいですか?」
「当然だ、どんなに時間がかかっても、私は待つさ。それが親友だからな!」
ニヤリッと笑い、私は彼の肩に手を乗せた。拒否反応は無く、そんな私に彼も笑った。
そうして、私と海棠澪亜には、絆のような繋がりが、出来あがっていくのだった。
海棠澪亜と九曜美月の出会い編は、この話で終了し、次話からストーリーは、現在に戻ります。読みづらい表現ばかりで読者様にはご迷惑をおかけしておりますが、日々精進していきますので、これからもよろしくお願いします! 真稀♪