過ぎ行く日々 中編
本日2話更新です
億劫だ・・・。先輩の過去は重く、暗い。俺が抱えていた心の傷よりずっと・・・
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今日は水曜日、バイト先は定休日。やる事も無く、準備した朝食にも手が付かない。
頭の中で、マスターが話した先輩の過去が、浮かんだまま消えない・・・。
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《昨日の夜》
帰ろうとした俺を呼び止めたマスター。再びカウンターの椅子に座った俺を確認して、タバコに火を着け、ため息混じりに煙を吐き出した。
「美月がこの店に来たのは、まだ小学生の頃だった。だからかれこれ、十年近くになる。その間、あいつは一度も両親に会っていない」
「・・・え?」
「あいつの用事ってのは、あいつの兄貴の墓参りさ・・・」
聞き返す事が出来ない。いや、言葉を口に出す事が出来なかった。
「あいつはお兄ちゃんっ子でな、何時も兄の後ろを付いて回ってた。端から見ても、仲が良かったよ」
先輩の小さな頃の思い出を、ぽつりぽつりと話し始めたマスターの顔は、とても優しい・・・。
「あいつが小5の時、二人して買い物に行ってな、横断歩道で信号待ちをしてた時に、無免許運転の車が突っ込んで来て、事故に遭ったんだ・・・」
「・・・・・」
「運転手は即死、奏・・・美月の兄貴は、美月を庇って重傷だった。美月はかすり傷で済んだけどな、動かない奏を見て、狂った様に泣き叫んでたらしい」
マスターの顔色は青ざめ、タバコを持つ手は震えている・・・
「俺が連絡を受けた時、奏は病院で生死の境をさ迷ってる途中でな、車をぶっ飛ばして病院に駆け付けた時には、白い布が被せられてた・・・」
此処で、マスターは一旦話を止めた。タバコの火種を潰し、無言で俺にコーヒーを差し出した。
「飲みな」
「・・・頂きます」
差し出されたコーヒーを手にして、マスターは再び口を開いた。
「急な事だったから、一旦店に戻ってな、次に美月と会ったのは、奏の葬式だった」
再び新しいタバコに火を着けるマスター。手の震えは止まっていたが、顔は青ざめたまま・・・
「驚いたのは、葬式の直後だった。美月の母親・・・俺の妹だがな、そりゃ終始泣き叫んで、揚げ句の果てに」
『あんたが代わりに死ねば良かったのよぉっっっ!!!』
「半狂乱になった妹を旦那・・・美月の親父が必死で止めてたよ。あれで俺もキレてなぁ・・・このままだと、美月が殺される、何て考えが浮かんで、強引にあいつら親子を引きはがしちまった」
ハハッと小さく、力無く笑うマスターだが、後悔の影が顔に浮かんでいた。
「美月を引き取った時の顔、今でも忘れられない。海棠くんがこの店に来た時より、もっと酷かったなぁ・・・」
「そう・・・だったんですか」
「俺も家庭なんて持ってないし、どう接していいか分かんなかったけどな、とりあえずは知り合いなんかに相談して見たり、出来るだけ一緒に過ごして来たんだ」
成る程・・・ね。今、ああやって元気にしてる美月さんがいるのは、マスターのお陰だったんだ。しかしここで、一つの疑問が浮かび上がる。
「美月さんは、両親に会いたいとは思ってないんですか?」
「さあ、な・・・」
ため息混じりに一言・・・二本目のタバコの火を消しながら、小さくマスターは言葉を漏らす。
「ただな、たまに思うんだよ。俺がした事は、ホントに正しかったのかって・・・」
「・・・・・・」
「妹は、混乱してる上に憤りを何処にぶつければいいか、分かってなかった。それで、矛先が美月に向いたんだろう・・・」
コーヒーを一口含み、再度口を動かすマスターは、天井を仰ぐ・・・俺も黙って、耳を傾けた。
「たまに、妹から電話があるよ。決まって『美月は元気か?』ってな。その度に、美月に代わろうか?って聞くんだが、返事はいつも・・・」
『ううん、いいよ。美月が元気なら・・・』
「妹も、美月の親父も、離れていても美月の事を案じてるんだ・・・」
「その事、先輩は知ってるんですか?」
「あぁ。あいつにも、たまには顔を見せてやれって言ってるんだがな」
ここで、カップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、今度は真っ直ぐ、俺を見据えるマスター。さっきとは違い、物憂気な表情を見せる。
『二人が元気なら、それでいい。私が会いに行ったら、兄さんの事を思い出して、母さん達がまた、悲しむから・・・』
「ホントに、親子揃って不器用だ。何度も説得したんだがな、頑なに拒まれたよ・・・」
「・・・・・・そうだったんですか」
差し出されたコーヒーは、冷めていた。
「ま、そういう事だ。これでこの話は終わり。海棠くんも、遅くならないうちにアパートに帰りな」
マスターに優しく促され、残ったコーヒーを一気に飲み干した俺に、マスターは『ちょっと待ってて』と、奥に引っ込んだ。
「あった、これこれ!」
マスターが持って来たのは、封の切られた便箋。そこには、『健二兄さんヘ(マスターの名前)』と、書かれている。
「持って行け!」
「いや、そんな大切な・・・」
「美月の支えになりたいなら、これは君が持っているべきだ」
有無を言わせず俺の掌に手紙を乗せ、俺の背中をポンっと押した。
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「そういえば、手紙・・・」
昨日の事で、マスターに託された手紙を思い出す。円卓に置かれたソレを手に取り、おもむろに中に入った手紙に視線を落とす。
《健二兄さん、ご無沙汰してます。こっちは奏の一周忌も終わり、ようやく落ち着く事ができました。美月は元気にしてますか?ちゃんとご飯を食べてますか? 美月の中学校入学の写真、ありがとう。たった一年の間に、すっかり成長したみたいですね。私達の代わりに、美月の面倒を見てもらって、感謝してもしきれません。 今はまだ、美月に会うのが怖い・・・。美月は、私を恨んでいるはずだから。兄さんには、まだ面倒をかけますが、美月の事を、よろしくお願いしますね。 緋世里》
所々、文字が滲んでいる・・・。先輩の母親は、どう思ってこの手紙をしたためたのだろうか・・・そう考えると、胸が痛んだ。
「マスターの、言う通りだな・・・」
ホントに、親子揃って不器用だ。