過ぎ行く日々 前編
故郷から戻った翌日から、慌ただしく時間は過ぎて行った。三日ぶりにオープンしたバイト先は、馴染みの常連が多く、開店前から数人のお客さんが列をなし、オープンと同時にほとんどの席が埋まった。
「美月、4番テーブル!海棠くん、1番テーブルの食器を下げて!」
マスターの指示より先に、体が反応する。美月さんや他のバイトの先輩いわく、毎年こうらしい。しかしながら、慌ただしい日々も長くは続かない。一週間も過ぎれば、客足はいつものように、落ち着きを取り戻していく。
「海棠くん、お疲れ様」
「お疲れ様でした!」
今日は早番。夕方の5時に、バイトは終了。
「伯父さん、明日は・・・」
「分かってる。店の事は心配するな」
どうやら明日、先輩は休みらしい。帰り支度を済ませ、先輩と勝手口から店を出た。
「明日は用事があってな・・・」
「どんな用事ですか?」
何となく返した言葉に、深い意味はなかった。先輩は少しの間を空けて、寂しく笑った。
「・・・ちょっと、な」
何も、言えなかった。夕日に照らされた先輩の顔、寂しく笑う先輩・・・瞳は、悲しみを帯びているような・・・
「明日は、頼むな!」
「はい!先輩の分まで、頑張ります!」
「・・・ありがと。それじゃ、お疲れ様」
アパートに繋がる小さな階段を登りながら、先輩は小さく手を振った。
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翌日は先輩が休みという事もあって、マスターと俺、そしてバイトの先輩である日野京花の三人で、仕事を回す。幸いにもいつも通りの来客数で、それほど忙しくはない。昼前と夕方に多少の忙しさはあったものの、夕方を過ぎる頃には、お店は閑古鳥状態。各テーブルやカウンターの清掃等をしながら時間を潰すも、一向にお客さんが来る気配はなく、日野さんを先に帰し、現在はマスターと俺の二人だけだ。
「今日はもう、閉めようか。海棠くん、看板の灯を落としてくれ」
「あ、はい」
日も完全に落ちた。外はお客さんの姿どころか、通りを歩く人の姿もほとんど無い。
看板の灯を落として、ドアに掛けた『営業中』の札を『準備中』にかけ直して店の中へ入れば、マスターはカウンターでコーヒーを準備していた。
「飲まないか?」
マスターに席を勧められ、初めて座る、カウンター。マスターは何も言わずカウンターの前に立ち、コーヒーを啜った。
「頂きます!」
マスターの経営する喫茶店のコーヒーは、全て自火培煎で、その特有の香りを引き出した一品は、お客さんからの評判も良い。
一口含めば、香りと共に、独特の苦味が口の中に広がる。
「美味しい・・・!」
「そう言えば、海棠くんがここに来て、どれくらいになるかな?」
「・・・ちょうど、半年くらいだと思います」
ふむ・・・と口を閉じ、マスターはしばし考える仕種をして、また言葉を投げ掛けた。
「もう、半年か・・・」
「・・・どうかしたんですか?」
「・・・いや、まぁ、な・・・」
マスターは言葉を濁す。言い辛そうな雰囲気は、誰だってわかる。俺ですら・・・
「美月さんの用事って、何だったんです?」
雰囲気が暗い。話題を変えるために、たまたま休みだった先輩の事を尋ねる。けどそれは、温厚なマスターの表情を一変させた。
「それは興味か?」
「え?」
空気は、一瞬で冷たくなった。
「美月の過去に関係のある事だ。興味本位なら、聞くなっ!!!」
怒りに近い声は、店内に響き渡る。気圧されそうになったが、俺は何とか堪えた。
「・・・すみません!軽率でした」
「・・・・・・悪かったな、怒鳴って」
「確かに俺は、単なる興味で聞きました・・・でも・・・」
「・・・なんだ?」
「俺がここにいるのは、先輩のお陰なんです。だから・・・」
瞬間、マスターの腕は俺の胸倉を掴んだ。
「お前にっ!!」
「俺は、俺はっ!!」
マスターの手を振り払い、正面からその目を見据えた。
「美月先輩は、俺を支えてくれた!いつも、いつも・・・先輩は俺に与えてくれた・・・」
「・・・・・・」
「先輩の過去は、知らない・・・でも、もし先輩が俺を必要としてくれるなら、俺が先輩を支えたい」
「・・・・・・」
「今は、興味本位で聞いてるんじゃありません。俺は、先輩の事を知りたい・・・。与えられるばかりじゃ、駄目だから・・・」
マスターは、何も言わなかった。ただ黙って、俺を睨み据えていた・・・
「帰ります・・・生意気言って、すみませんでした!!」
「・・・・・待て」
立ち上がってドアに手を掛けた時、マスターは俺を呼び止めた。