故郷
久しぶりに、楽しい夢を見た。温かくて、心地良い・・・
ジリリリリーッ!!
もう少し夢の中に居たかったが、目覚ましのけたたましい音が、俺を現実世界に引き戻す。
「おはよう、澪亜」
「おはようございます、せんぱ・・・」
言葉が最後まで口から出ない。理由は・・・
「うわぁっ!すみません!!」
「ん、ああ・・・」
無意識に先輩の手を握っていたらしい。先輩の手が、少し冷たい。
「気にするな、それより・・・」
「はい?」
「着替えたいんだが・・・」
「えっ?あ!すみません!!」
慌てて手を離し、一通りの着替えを持って、俺はリビングヘ向かった。・・・というか、逃げた。
「・・・おはよ」
「おはよう!あれぇ、顔真っ赤よ」
既に着替えを済ませ、朝食をテーブルに並べている姉は、ニヤニヤと裏のありそうな笑顔。
「・・・なんでもない」
「(照れちゃって)」
なにか小さな声で呟いていた姉だが、俺の耳には入って来なかった。別に気にする事もなく着替えを済ませ、先輩よりも先に顔を洗い、歯を磨く。一通りの身支度を済ませてリビングヘ戻り、着替えを済ませた先輩に、洗面所を譲る。
「澪亜、お茶とコーヒーどっち?」
「お茶で」
「んじゃ、私と美月ちゃんの分もお願いねぇ!」
姉は人使いが荒い。それは幼少の頃から知っている事なので、無駄な抵抗をせずに、人数分のお茶を用事。並び終えた頃に、身支度を済ませた先輩もテーブルの席に着き、全員が揃ったところで、朝食を摂る事にした。
「「「いただきます!!」」」
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「ごちそうさま」
「ご馳走様でした!」
「お粗末様でした」
朝食を食べ終えて、早々に食器を洗おうとスポンジを手に取ったところで、食べ終えた先輩も食器を持って来た。
「あ、そこに置いてて下さい。一緒に荒いますから!」
「いや、私が洗おう」
「先輩はお客さんですから、リビングでお茶でも飲んでて下さい」
「だが・・・」
「二人共、リビングでお茶を飲んでなさい」
先輩の声に割って入ったのは、姉。何か言いたそうな先輩を制し、俺からスポンジを取り上げて、何事もなかったように食器を洗い始めた。しばし傍観していた俺と先輩だったが、互いに苦笑しながらリビングヘ戻る事に。
「忘れてたよ・・・」
「何をですか?」
お茶を飲んでいた先輩は、思い出したように声を出す。
「最近は、大学やらバイトやらで時間に追われる事が毎日だ。こうして何にも追われる事なくゆったりと時間が流れていく・・・」
「先輩・・・」
「この町に来た事、今の私に必要だったんだな。澪亜、ありがとう!!」
「あ、いや、俺は何も・・・」
素直な先輩の感謝の言葉に、俺はしどろもどろに言葉が詰まる。そんでもって正面から俺を見つめる先輩に、俺は視線を反らせる事が出来なくて、体が熱くなる。
「あら、お邪魔だったぁ?」
「ふぇ!?」
「あ、大丈夫ですよ」
食器を洗い終えた姉は、意地悪気な笑顔でリビングへと戻ってきた。
「今日のお昼には帰るんでしょう?準備しなくちゃいけないんじゃないの?」
「あ、そうだった!!」
すっかり忘れてた。明日にはバイトもある。あまりにも心地が良くて、頭の片隅に追いやっていたようだ。
「あ、じゃあ俺は、部屋で荷物をまとめてきますね。先輩はゆっくりしてて下さい」
一緒に立ち上がった先輩を制し、俺は自室へ戻った。
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澪亜が部屋に戻り、リビングには静波さんと私の二人だけだが、さっきから静波さんはニヤニヤと私の顔を見ている。
「あの、何か?」
「うん?えっとねぇ、聞きたい事があるんだけど」
「なんでしょう」
「あのさ、美月ちゃんから見て、うちの弟ってどう?」
どう?どうって何が?
「はぁ、出会った頃よりは、表情も豊かに・・・」
「ううん、そうじゃなくて、男としてどうかなってこと」
「・・・好きです。でも・・・」
「でも?」
私の言葉を促すように聞き返す静波さんは、さっきと違って真顔。私も言葉を選びながら、慎重に声にする。
「好きって気持ちが、LoveかLikeか、まだわからないんです・・・」
「・・・そう」
「一緒にいれば、心が暖かくなるし、言いたい事だって、素直に言える。けど、これが恋なのか、今の私にはわからないんです」
言い終えて、湯呑みに残ったお茶を一気に飲み干す。静波さんも何も言わず、お茶を啜った。
「・・・今は、それでいいわ。LoveでもLikeでも、美月ちゃんが澪亜を好きでいてくれれば」
「・・・・・・」
「こんな事を頼むのは迷惑かもしれないけど・・・澪亜をよろしくね。あの子が笑って帰って来た時から、美月ちゃんを慕っていたのは、分かってたから」
深々と頭を下げた静波さんに、私はどうする事も出来ず、ただ黙って、彼女の手を握った。
「迷惑なんて、少しも思ってません!私は、好きで彼の側にいるんですから」
「ありがとうね。美月ちゃん」
静波さんの目に光る、涙。中学を卒業して、家に帰る事も少ない弟に何も言わない彼女でも、心の中ではずっと、弟を気に留めていたんだろうな・・・
そんな絆が、羨ましい・・・
私にはもう、いつも笑顔で私の側にいてくれたあの人は、いないのだから・・・。
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帰り支度を済ませ、俺は先輩と一緒に車に乗り込んだ。見送りは、姉のみ。
「静波さん、お世話になりました!!」
「またいつまで、遊びに来てね!」
「じゃあ、夏休みには、帰って来るから」
「辛い事があったら、いつでも帰って来なさい・・・ここが、澪亜の帰る家だから」
見送りもそこそこに、俺は故郷を後にした。遠くに見える海には、大漁旗を高々と掲げた慎吾達の船。微かに、こっちに手を振るみんなの姿・・・視界に映ったそれは、トンネルに入って、見えなくなった。
「っ、先輩?」
「泣きたいのなら、泣けばいい。泣いたって、格好悪くないさ!」
先輩は、察していた。俺の気持ちを・・・嫌いだった故郷が、今はこんなにも、愛しいと感じている事を・・・
車中に零れ落ちた鳴咽・・・先輩は何も言わず、俺の頭を撫でた。