奈落
「あたしが、あの人を赦せなくなったのは、交通事故の後。知ってるでしょ?あたしの脳の一部に疵がある事。多分、ソレの所為。あたしは人の心が読める様になった。例えば…。何を考えてるか、何をしようとしているか、何をしてきたか…。勿論、その人の全てが理解出来るって訳では無いわ。そうねぇ。解りやすく説明するのなら…。視界に入った人の現在の心の内が解るって事かな。声の様なモノが脳内に流れる…。そんな感じね。」
黒澤はユックリと瞬きをする。
「貴方に理解出来る?ソレがどれだけ残酷な事か…。あっと言う間に人間不信になれるわよ。人の心が読めると云う事は、その人の本質が理解出来るって事。貴方、精神科医なんでしょ?貴方なら解りそうなモノなのだけれども…。」
黒澤の瞳が岸田を捕らえると。岸田は瞬時に瞳を反らせ様とした。無意識だった。本能による条件反射だったのであろう。
まぁ。いいわ…。吐息混じりだった。
「心が読める様になったあたしは、パパの死の真相を知った。あの人は、あたしが嫌いだった。最愛の夫の心を半分奪ったから…。あの人は自分の事しか愛せない人だったのよ。承認欲求の塊だったからね。だからパパの事もあたしの事も赦せなかった。何で貴方達は私の事を見てないの?ってね。全部、ただの思い込みだったのにね。ソレからあの人は、誰も見てくれないから、寂しくて仕方無いから、死ねば楽になると思った。でも、一人で死ぬのは、もっと寂しいから、道連れを…。」
また溜息を吐く。気怠そうに髪をかきあげる。
「少し良いかい?」
岸田は既に雰囲気に呑まれていた。
「仮に、君が心を読めるとしても、何故、そんなに具体的に理解出来るんだ?ソレこそ君の思い込みなのでは?」
「初めは、あの人が殺意を持ってパパを殺した。って事しか解らなかった。そうねぇ。具体的に解る様になったのは、もう少し後…。暴行された後から。あの人に聞いたんでしょ?あたしが暴行された事。その時にも、脳に疵がついたって…。」
黒澤は少し瞳を見開いく。
「そ、それは…。」
立場を忘れる程に、岸田は動揺していた。その声は微かに震えている。黒澤鏡花との会話を彼女が知っている筈が無い。
「だって貴方の心が、あたしに語りかけてるから。貴方が、あの人と何を会話したのか…。何を考え。何を思っていたのか…。貴方、その時の事、思い浮かべてるじゃない…。まぁ。それはそれとして…。」
黒澤は少し間を開け…。あたしの精神感応の能力は、二度目の疵で、更に強くなった。そしてソレだけじゃないわ。アタシは、ある力を手に入れた。と云った。
「ある力…?」
「そう。催眠。洗脳。暗示。マインドコントロールって呼ばれてるモノ…。貴方なら、ソレがどういうモノか解るでしょ?精神感応を持ちながら、ソレを実行したのなら…。そしてソレがどういう意味を持つのか…。」
「そんな事…。有り得ない…」
岸田は項垂れる。信じている訳ではなかった。そんな事が在るはずが無い。だが、もしも、彼女の言う事が真実なのだとしたら、あらゆる角度から考えても【最悪】な考えにしか至らなかったからだ…。




