最終章3 ヘイスト・トゥ・デス(1)
「――攻め手を緩めるんじゃないよ、あんた達ッ! 行けえッ!」
関所前、ならず者たちを鼓舞する声。
銀の長髪と黒いギャング・キモノを翻し、シルバーフォックスが鉄扇を手に舞う。
たちまち無数の人魂じみた暗黒火球が生じ、南区冒険者ギルドの陣頭、髑髏兜の剣士ガラティーンへと殺到した。
ガラティーンは火球の不規則な軌道を見切り、魔剣ソード・オブ・フェアウェルを振るった。黒く不定形の刀身が斬撃軌道上の空間を抉り取り、火球の群れを一太刀で消し去った。
「はッ……」
ガラティーンは小さく息をつき、魔剣を正眼に構え直した。
東区に潜入した者たちが上手くやったのか、敵の砲撃は数分前から止まっている。
しかしヒュドラ・クランは機を見るに敏、魔法使い複数人を前に出し、砲撃の間はできなかった後方への浸透を狙い始めていた。守りや援護射撃を行う術師連中を壊滅させ、最前線に集まった強豪を孤立させようというのだ。
彼の周囲には抉り取られた死体が散らばっていたが、敵の士気は未だ健在。
既にヒュドラ・クランの魔法使いが幾人かガラティーンら最前列を突破し、後詰めの冒険者たちと乱戦を始めていた。さらに後方ではギルドマスターが再起動した鋼の大蛇と単騎で火力戦を繰り広げている。
(たまらんな。魔物の大襲来より厄介だ)
ガラティーンは優れた魔法剣士であり、並の魔法使いに遅れを取ることはない。むしろ厄介なのは、それらの脇を固める非魔法使いのレッサーギャングだ。
いかに強化魔法を強く保とうと、銃弾が急所に直撃すれば死ぬ。東区の自動火器はその銃弾を信じがたいレートで連射できる。敵の雑兵すべてがその銃を持ち、四方八方から自分を狙い続けている。その事実そのものが集中力を削ぐ。
「そら見ろ、相手さんの息切れは近い! 磨り潰してやりな!」
「「「「「死ねッコラーッ!」」」」」
シルバーフォックスが暗黒火球の第二波を放つ。さらにサブマシンガンの弾雨と爆炎手榴弾投擲。ガラティーンは魔剣を連続で振るって防ぐ。
「――AAARRRRGHHHHッ!」
その後隙を敵将バンブータイガーが強襲した。交差した重格闘マギバネ腕を振り抜いてガラティーンを打ち上げ、自らも跳躍して空中で組み付く。
「脳味噌ッ! ブチ撒けろォォォォッ!」
KRAAAAAAAAAASH! バンブータイガーの高高度パワーボムが硬い古代コンクリート路面に炸裂! 轟音とともに衝撃が塵埃を舞い上げる!
「ぐ、はッ……!」
ガラティーンは肺の中の空気を吐き出し、呻いた。
寸でのところで片腕を抜き、肩から落ちることで致命傷は防いだ。だが動けぬ。バンブータイガーが咆哮を上げ、その首を踏み折らんとする。
「ガラティーンはやらせんぞッ!」
そこに馬人の重騎士ナイツテイルがハルバードの突きを差し込み、バンブータイガーのクー・デ・グラを阻んだ。
魔剣のフレンドリーファイアを受けぬ距離で戦っていた彼女は、ちょうどヒュドラ・クランのオーブウィーバーを下したところだった。
重厚なプレートアーマーは魔導モノフィラメント・ワイヤーカッターで傷だらけになっていたが、彼女自身は未だ健在。二者の間に割り込んで棹立ちになり、前の蹄とハルバードを用いた異形の体術で挑みかかる。
「下郎! その目玉を田楽刺しにして、肉も骨も粉々に踏み砕いてくれる!」
「ほざけ、馬女ッ! 馬刺しにして食ったらァッ!」
バンブータイガーは頭上からの馬蹄蹴りをマギバネ腕で受け、ハルバードの斧刃をスウェーバック回避。用心深くレッサーギャングの援護射撃に紛れて後退する。
「逃がさん……!」
ガラティーンが起き上がり、バンブータイガーに魔剣の突きを放とうとした。
しかし一瞬後、彼は第六感が鳴らした警鐘に従い、背後に障壁魔法を展開した。
「――死ねよやァーッ! キィァハハハハハッ!」
次の瞬間、ヒュドラ・クランのステイシスが残像すら残らぬ速度で飛び込み、両手のカランビット・ナイフで斬りかかった。
SSSSLASH! 攻撃時間は一瞬、斬撃は無数。グラインダーを押し付けたような音とともに障壁魔法を削る。
「ちぃッ!」
ガラティーンは振り向きざま障壁を押し出し、大盾のシールドバッシュじみた一撃を放つ。ステイシスは打ち下ろしの変則膝蹴りを合わせてこれを相殺。そのままステップバックして魔剣の追撃を躱す。
「あーあ、失敗。やっぱ先輩みたいにはいかないか」
「ステイシス! 何を色気出してやがる! 敵の後衛をやれッつったろうが!」
「チッ、うッせーよ。反省してまーす!」
ステイシスはバンブータイガーに中指を突き立て、スキルを発動した。
〈疾駆〉。その身体が風と化し、塵埃を残して消えた。
◇
最終章 デス・オブ・ヒュドラ・クラン
3 ヘイスト・トゥ・デス
◇
かつて、フレイムグリズリー・クランを名乗るギャング・クランがあった。
それ自体は拡大期のヒュドラ・クランに踏み潰された凡百のギャング組織のひとつに過ぎない。
ただ、ヒュドラ・クランの刺客がその組長を生首に変えた日、偶然事務所の前で死にかけていた少女がいた。
無力な夜鷹の娘だった。元締めだった母が目論んだ相場荒らしの巻き添えを受け、見せしめに両手足を切り落として晒されていた。
それが仕事を終えたヒュドラ・クランの死神に拾われ、マギバネ治療を受け――危険な〈疾駆〉のスキルと殺しの才能を開花させた。それがステイシスだった。
「いっぱい殺す、いっぱい殺す、先輩みたいにいっぱい殺す……!」
スローモーションの景色の中、ステイシスが戦場を駆け抜ける。
その四肢は竜骨を焼き締めたカーボン製の軽量マギバネティクスであり、鋭利に研がれた剥き出しのフレームには表面硬化処理がなされている。脛や前腕はさながら剣、膝や肘はさながら戦斧だ。
ステイシスは宙に浮かんだ銃弾や魔法弾の間を抜け、敵陣に容易く入り込んだ。
周囲にはローブを着た古式の魔法使い、狙撃を警戒して障壁を張る祈祷師、狩人らしき弓使いたち。ステイシスを見る者は誰もいない。
ギャリン! ステイシスは両手のカランビットをスピンさせ、湾曲したブレードを獰猛に擦り合わせた。
〈疾駆〉は時を加速する。
スキルを発動したステイシスの視点からは、周囲のすべては停滞して見える。逆に周囲は彼女の姿をほとんど視認できない。相対速度が違い過ぎるのだ。
『遊ぶなよ。急所を一撃、それで終わりだ』
「はい、先輩! 私も愛してます!」
隣に現れたイマジナリー・ジョン(彼女の妄想が生み出した幻覚である)に満面の笑みを返し、ステイシスは四肢の刃を踊らせた。
右カランビット、左肘、右肘、左膝、右肘、左カランビット、右ミドルキック、左肘、右膝、左カランビット、右ハイキック、左肘。
ひとり演舞じみた動きで12人の頸動脈や重要臓器を深々と切り裂き、敵陣の後方へ移動して〈疾駆〉を解く。
「「「「「ギャアアーッ!?」」」」」
SPLAAASH! 一斉に悲鳴と血飛沫が上がり、斬られた冒険者たちが倒れ伏した。たちまち南区の戦列にパニックが生じた。その混乱に後続のギャングたちが乗じ、前線を突破して損害を広げていく。
「アハハハハハハッ! 血祭りィーッ!」
『待て。見ろ』
イマジナリー・ジョンが殺戮に酔いかけたステイシスを制止した。
「……大丈夫……すぐ、対処します……」
致命傷を受けた冒険者たちに、ひとりひとり触れていく女がいた。
薄灰の髪、グレーの野戦服。細身で儚げな雰囲気。その手が怪我人に触れるとたちまちに血が止まり、時を巻き戻すように傷が塞がっていく。
異常な光景である。回復力を増すポーションや魔法は存在するが、通常これほどの即効性はない。まして触れただけで傷を消し去るなど……。
『多分、あれが例のペインキラーだな。ほっとくと斬ったそばから治されるぞ』
A級冒険者、ペインキラー。冒険者の身分だが都市外には出ず、ギルドで負傷者や重病人の治療に当たる非戦闘員。戦闘力はA級でもっとも低い。移動中のブリーフィングで優先撃破対象として指示されていた相手だ。
「あいつ殺ります」
『先に牽制だ。いきなり突っ込むな。周りをよく見て協力しろ』
「はい、先輩!」
ステイシスは義足の大腿部に手をかけ、フレーム内に収納された投げ矢を抜いた。ナイフ状の鏃はカミソリのように鋭く、たっぷりと毒に塗れている。
女ギャングは腕をしならせ、立て続けに3本投げつけた。ペインキラーは機敏に反応し、肩に掛けた装甲医療鞄で毒投げ矢を防いだ。
「――ゲギャギャギャーッ! 大金星獲ったりッ! その生白い皮を剥いで革財布にしてやるぜ! 丁寧に肉と脂肪を取り除いてなァーッ!」
その背後から巨漢ギャングのレザークラフターが突進し、人血に濡れた大振りの皮剥ぎ包丁で斬りかかった。
「まあ」
ペインキラーは振り向きながらストンと膝を折り、皮剥ぎ包丁を難なく避けた。
そして、その動きは攻撃の予備動作でもあった。彼女は身体が霞んで見えるほどの高速タックルを仕掛け、空振りで体勢を崩した巨漢の片脚に組み付いた。
「解剖魔法。そして……」
その両手から禍々しい深紅の魔力が迸り、レザークラフターの身体に流れ込む。
一瞬後、巨漢の胸がミシミシと音を立てて膨れ上がり――両開きに変形した肋骨が皮膚を突き破って身体の外に飛び出した。
「はうっ!?」
「……これがステルベン・チェストバスター」
ペインキラーは巨漢の脚を刈ってテイク・ダウンを決めると、肋骨の守りを失った心臓へと無慈悲なマウントパンチを打ち込んだ。
心臓震盪を起こしたレザークラフターは白目を剥いて痙攣し、失禁しながら気を失った。飛び出た肋骨が軋みながら閉じ、身体の中に戻っていく。
『ありゃ本質は治療じゃないな、人体操作ってとこか。間合いに気を付けろ。掴まれたら一発で開きにされるぞ』
「はい、先輩!」
そこにステイシスが矢のごとく肉薄し、助走を乗せてカランビットを振り抜いた。
ペインキラーは斬撃をスウェー回避、牽制の関節蹴りから胴タックルを仕掛ける。ステイシスは即座に膝蹴りで迎撃、さらに回避先へと肘打ちを置く。ペインキラーは横にずれて膝を避け、肘をトラップして解剖魔法の発動を狙う。
ステイシスは〈疾駆〉を発動し、投げ矢を投擲しながら後ろに飛び下がった。ペインキラーは投げ矢を医療鞄で受け、背筋を伸ばして構え直した。
「ふーん、レスリング? A級最弱って聞いてたけど、猫被ってたんだ」
「柔術です。……いえ、私がいちばん弱いですよ。解剖魔法の伝承者は、皆伝の時から殺人を禁じられますので……無力化以上のことは、できません」
「優しいんだ。じゃあそのまま死ねよ、ビッチ」
ステイシスが吐き捨て、親指で首を掻っ切るジェスチャーをした。
空色の瞳がわずかに動き、ペインキラーの背後に立つジョンの幻影を見た。幻影は関所の向こうに建った古代建築を指している。
『来るぞ。今だ』
BANG! ペインキラーの胸に大穴が空き、血と肉片が爆ぜ飛んだ。
東区側の後方、キルショットによる20ミリ対魔物ライフルの狙撃である。
「殺アァァッ!」
SLASH! ステイシスが強化魔法を乗せたハイキックでペインキラーの首を刎ねた。外れた帽子が宙を舞い、遅れて頭部がごろりと転がり落ちる。
「ハッハーッ! ざまぁ見ろクソ女! 開きが好きならアジでも捌いてな!」
「――ですので」
落ちたペインキラーの生首が言葉を続けた。
呆気に取られて固まったステイシスの眼前で、首無しの身体が頭部を拾い上げ、血の滴る切断面をヌチャリと合わせた。
たちまち魔力が血肉となって首を繋ぎ、さらに胸に開いた大穴すらも塞いだ。開きかけていた瞳孔が収縮し、気管に溜まった血が口の端から流れ落ちる。
「……あなたの全身の骨をへし折って……二度と、戦えなくなってもらいます……」
ペインキラーが血生臭い息を吐き、前傾姿勢に構えた。
華奢な身体を内から突き破るように深紅の魔力が噴き出し、夜中の暗雲じみたキリングオーラとなって周囲に吹き荒れる。
双眸を爛々と輝かせながらテイク・ダウンの機を伺う様は、さながら人喰いの怪物じみていた。そして彼女の魔法の源流を思えば、それは決して比喩ではないのだ。
「どうしましょう。首落としても生き返ってくるのは想定外です」
『狼狽えるな。お前が何かされたわけじゃない。あの女に敵の前衛を手当てさせないだけでも仕事はできてる。このまま付き合わずに引っ掻き回せ』
「はい、先輩!」
ステイシスは自己対話の末にマインドセットを終え、カランビットを構え直した。
妄想ではないジョン本人は、自分に声をかけずに姿を消した。
プロフィビジョンから聞いた話では、組長を殺して逃げたのだという。以前から不穏な動きを見せていた大幹部の誰かに唆され、金か名声に目が眩んだのだと。
少なくとも、全てが事実ではあるまい。ステイシスはそう思っていた。
彼女はヒュドラ・クラン自体にさほどの帰属意識は持っていない。ファイアライザーのようなプロ意識も、スパニエルのようなギャングの掟への忠実さもない。敬愛するジョンがクランを抜けたのであれば、自分もその役に立ちたい。
だが、南区は信用がおけない。瓜二つの影武者を立てていたあたり、ジョンと接触したのは確からしいが――既にジョン本人は殺されており、その名前と姿だけが使われている可能性もある。彼女は敬愛する「先輩」が再び東区入りし、自分と入れ違いにヒュドラ・ピラーに乗り込んだことを知らぬのだ。
そして、ステイシスは戦場で敵に聞き込むほど悠長でもなく、また殺す以外に問題解決の方法を知らない。
彼女の思考はシンプルで速い。まずは目の前の冒険者どもを殺す。クランの上層部にジョンを陥れて追い出した者がいるのなら、それも殺す。それだけだ。
「捕まえてみろ、ビッチ!」
ステイシスが加速し、その場から姿を消した。
直後、離れた位置で障壁魔法を維持していたサンシェードが喉を掻き切られた。
障壁が消えると同時に飛んできたライフル狙撃が隣の炎術師の胴を貫き、それを助けようとした大盾使いが首を蹴り刎ねられて倒れ伏す。
駆け込んできた剣士がシャドウプールの放った陰影魔法のマンタを踏み、激痛を伴う麻痺を受けて痙攣する。その全身の動脈をカランビットが切り裂く。
「怪我人を増やして、私に負荷をかけようと? 浅はかな……!」
ペインキラーは敵の意図を察し、自らも紅い風めいて動き出した。
すれ違いざまに負傷者に触れ、傷を消し去りつつステイシスを追う。ステイシスはそれ以上のスピードで殺しながら戦場を駆け回る。
「傷つけられたら痛いんです。死んだ人は二度と生き返らないんです。それが解らなくなってしまったら、殺し合って滅んでいくしかないんです……!」
「それの何が悪いってんだよ、馬鹿馬鹿しい!」
ステイシスはステップワークとともに毒投げ矢を放つ。ペインキラーは走りながら鞄で投げ矢を叩き落とし、執拗にステイシスを追い続ける。
「あの女ギャングの足を止めろ! ペインキラーなしでは前線がもたん!」
惨状に気付いたナイツテイルが叫び、前衛の高位冒険者数人が対処に向かった。
そのぶん手薄になった箇所を狙ってヒュドラ・クランが攻勢を強め、じりじりと戦線を押し込んでいく。戦線崩壊の時が着実に近づいてきていた。
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。
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