シガレッツ・アンド・アルコール(6)
「――おーい。起きろー。おーい」
至近距離から呼びかけられ、俺は意識を覚醒させた。
寝ている間、特に昔のことや死んだ親父を夢に見るようなイベントはなかった。
当然の話ではある。なにせ親父に拾われる前の俺の人生は「殺した」「奪った」の2単語で説明できてしまうし、拾われた後も「奪った」が「親父がくれた」に変わっただけだ。しみじみ振り返るようなセンチメンタルな過去は特にない。
「おはよ」
目を開けると、フォーキャストが息がかかるほど近くから俺を覗き込んでいた。
「どうも。レインフォールさんは死にましたか」
「伸しただけだから、生きてると思うよ」
「そっすか」
俺は身体を起こし、周囲を見渡した。
ソファの隣にフォーキャスト。フラッフィーベアはバーカウンターに座り、アクアヴィタエとふたりでドラッグミュールを撫で回している。その横に雇われふたり。
パノプティコンは処置が終わったのか、移動式のベッドに寝かされて寝息を立てている。そばではナース服姿のソムニフェルムが膝を抱えて座り、死体のような目で点滴の雫を見つめていた。
奥のテーブルではデスヘイズが薬物煙草を吹かし、クリスタルメスがギヒギヒ言いながら注射器を組み立てている。弾の手配を頼んだセムテクスはまだ別室だろうか。とりあえず、全員合流できたらしい。
「寝かしてあげたいけど、伸びちゃうから。はい、これ」
フォーキャストが質素な食事が乗った盆を差し出した。
盆の上にはフォーク、小皿、セラミック椀。それと砕いた唐辛子の小瓶。
小皿はターコイズ色のピクルス。椀の中身は真っ黒いスープに浸かった乾燥ヌードルで、濃い緑色の豆腐のような凝固物と、スライスされたピンク色の塊がトッピングされている。下水処理の副産物の培養藻と、それを餌に養殖したオキアミのプロテインだ。フォーキャストの手元にも同じ盆があった。
「シューユ・ウドンか。久々だな」
「え、うどんなんだ。これ」
俺とフォーキャストは手を合わせ、フォークで麺をたぐった。
化学調味料と合成ショーユの短絡的な味がするスープ。小麦の代わりに安い米粉を使ったヌードル。無味無臭のクラルシナ。オキアミ・ブロックはボソボソしていて、スープを吸うとすぐ崩れる。「安っぽさ」がテーマのフード・アートなら100点だ。
「…………」
フォーキャストは微妙そうな表情で黙々と食べ進めている。
無理もない。南区で出てくる食事と比べればジャンクフードもいいところだ。
「まずいでしょ」
「うん。まあ、食べられはする」
「東区庶民の食い物はこんなもんです。辛味で誤魔化すといいっすよ」
俺は実演するように小瓶の唐辛子を椀にぶちまけ、コシのない麺を啜り込んだ。
これでも、料理の形をしているだけずっと上等だ。料理をする余裕も知識もない貧乏人はバー状に加工したものを齧るか、原料の粉をそのまま水で練って食っている。俺も昔はよくやったが、あれは食事というよりただ燃料を突っ込んでいるだけだ。
(昔はそれで充分だと思ってたが、俺も根が贅沢になったかな)
遥か昔、クイントピアの人間は皆クラルシナとオキアミだけを食べていたらしい。栄養的にはそれで問題ないのだという。
そして都市が排出した汚水が浄化プラントに集まり、またクラルシナとオキアミを育てる。そのサイクルを維持・管理するのは東のワンクォーター家の役割なのだと、前に若頭本人から聞いたことがある。
ノスフェラトゥは言った。チャールズは東区を足がかりにクイントピアを制覇し、『機械仕掛けの神』に挑戦すると。
チャールズは古代のロスト・テックを数多く保有する貴族階級で、東区で唯一中央区の白いドームに立ち入れる行政府代表でもある。俺には奴が何を考え、何を目的としているのか想像もつかない。
ただ、殺すだけだ。今日までやってきたように。
◇
「そこのガキ、運が良かったな。深い傷だが内臓は傷ついてなかった」
俺がショーユ・ウドンを食べ終わると同時に、デスヘイズが煙になってソファの向かい側に移動し、脚を組んで座った姿勢で再実体化した。
「つまり命は助かったってことっすか?」
「さあな。少なくとも処置なしってほどじゃなかったが、それでも死ぬときは死ぬ。とりあえず腹腔を洗浄して傷を縫合した。炎症を起こす可能性があるから、この抗生物質を3日間、1日3回服用させろ」
デスヘイズは白い紙袋を机に置いた。書いてある字は難しくて読めない。
「処方箋とカルテも入れてある。冒険者ギルドにいる白衣の天使気取りの女に見せりゃ解るはずだ。……いいか、怪しげなポーションだの軟膏だのは絶対に使うな。絶対にだ。今ここで誓え。根拠もない民間療法に手を出しといて悪化しただの何だのガタガタ言いやがったらお前らの肺を真っ黒にしてやるからな」
「えらく念を押しますね。解りましたよ」
俺は紙袋を手元に引き寄せた。
「それで正味な話、パノさんは戦えます?」
「死んでもいいなら好きにさせな」
「やめなさァーいッ! 絶対安静ですよォーッ!」
テーブルでラリっていたクリスタルメスが身を起こして叫んだ。
「全身麻酔を渋られたので局所麻酔で手術しましたが、それでも一昼夜は首から下が動かないはず! そもそも剣で腹を裂かれた負傷者を戦わせようとするのは倫理的にどうかと思いますねェーッ!」
「薬中の麻薬売りが倫理を説くのかよ」
だが、クリスタルメスの言い分は実際正しい。
戦えないなら南区に護送するか、ここに残していくか、そこも考える必要がある。
「ま、そこは解りました。――じゃ、そろそろやりますか。ビジネスの話」
俺は空の食器が乗った盆を脇にどけ、デスヘイズに向き直った。
「お互いの目的を確認しましょう。俺はチャールズを殺せればひとまず何でもいい。これからヒュドラ・ピラーに乗り込む予定です。デスヘイズさんの狙いは?」
「まずチャールズを殺すこと。次にこの騒動をオレたちに都合よく着陸させること。そのためにお前をヒュドラ・ピラーに送り込むつもりだ」
デスヘイズは簡潔に答えた。
「『都合よく』ってのは?」
「いま関所に両区の戦力が集まってるのは知ってるな?」
「ええ。ギルドマスターにお願いして人集めてもらいましたから」
「そいつら、まず間違いなく一戦やるぞ。オレが若頭なら大幹部が3人とも殺られたと知った段階で仕掛ける。そうしなきゃ組織を維持できなくなるからだ」
「道理っすね」
俺は頷いた。ヒュドラ・クランは規模こそ大きいが歴史は浅い。構成員の大部分は利益があるから所属しているに過ぎない。力と利益を示し続けることに失敗すれば、そいつらはあっさりクランを見限るだろう。そうならないためには戦果が要る。
「区間でドンパチやってる最中に、まとめ役のチャールズを無策で殺すのはまずい。最悪、統制がきかなくなって南区と共倒れだ。そういう無秩序は、うまくない」
「じゃあ、どうします」
「代わりを立てて、そいつに関所の連中を引き上げさせる」
黒白衣のギャングは事も無げに答え、薬物煙草に火をつけた。
「そんな横紙破りが通るんすか?」
「通せる。今のチャールズの肩書は組長代行だ。まだ正式に襲名しちゃいない」
「じゃあ名目上はまだ組長のポストは空いてんだ」
「そうだ。ギャングの流儀と照らし合わせれば、奴の権威はまだ完全じゃない。……さて、仮にここでチャールズが死んだ場合、代行を引き継ぐのは誰だ?」
「若頭補佐のプロフィビジョンかバンブータイガーっすね。ファイアライザーはこないだ死んじまったし」
「じゃあそいつらも死んだら?」
「…………」
俺は即答できず、少し考え込んだ。ヒュドラ・クラン、そして東区ギャング社会の不文律はそのような事態を想定していない。
「……暫定で大幹部の誰かにやってもらうとか? でも、奴らは全員殺した……」
「オレとヴィタエを除いてな。高飛びした扱いにはなってるが、それもチャールズのやったこと。奴さえ死ねばいくらでも正当性は主張できる。そして」
デスヘイズは俺を指した。
「ここに、ヒュドラ組長の息子がいる。若頭も補佐も失った木っ端どもからすれば、いかにもお誂え向きの神輿だろうぜ」
「まさか」
「そのまさかだ」
デスヘイズは言葉を切り、続けた。
「オレとヴィタエが後ろ盾になる。事が済んだらお前、今日ひと晩だけ組長やれ」
読んでくれてありがとうございます。
今日は以上です。
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