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シガレッツ・アンド・アルコール(2)


 東区上空。デスヘイズは魔術排気スモッグ混じりの風に乗り、ヒュドラ・ピラーから離れるように飛んでいた。その身体は見かけ上は人型を保っていたが、質量のほとんどは黒煙となって拡散し、彼女の姿を地上の目から隠している。


「クソ、あの女……お前も呼ぶ前に助けろよ。腹に風穴開けられたろうが」


 〈霞隠(アトマイズ)〉で煙化すれば傷はすべて癒えるが、受けた苦痛まで消えるわけではない。デスヘイズはポケットから白いコイン大の薬物錠剤(タブレット)を取り出し、奥歯でガリガリと噛み砕いた。単体で強いカクテル・ドラッグである『(ゼン)』との合わせ技は危険だが、デスヘイズの薬物耐性ならば許容範囲だ。


「――細かいことはいいじゃないですかぁ、どうせ煙になったら塞がるんだから」


 その隣を飛ぶ女がへらへらと笑いながら答えた。


 垂れ目がちの碧眼、結い上げた明るい浅葱色の長髪。たっぷりと肉のついた肢体。刺繍入りのフード付きローブの下は、ボタニカル意匠のギャングフラッパードレス。

 こちらは無数の薬草を飾った長柄の魔法杖を魔女の箒に見立て、横乗りで風を切って飛んでいた。古式ゆかしいスタイルの浮揚魔法(レビテートマジック)である。


「啖呵切るヘイズさん、格好よかったですよぉ。惚れ直しちゃいました」

「なら今後もキリキリ働いてもらおうか。飲んだくれてる暇なぞないと思え」

「やぁん、亭主関白ーっ!」


 浅葱色の髪の女がわざとらしく悲鳴を上げた。


 暗黒酒造倶楽部、杜氏頭アクアヴィタエ。

 酒の密造・密売を仕切るヒュドラ・クランの大幹部。デスヘイズとは商売の仲間であり、プライベートにおいても親しい。


 魔法使いとしては杖を使うクラシックスタイルで、典型的な重攻撃型。

 彼女が使うのは水流魔法(ウォーターマジック)火炎魔法(ファイアマジック)の二刀流、そして水をアルコールに変える〈酒池(ディスティル)〉のスキルだ。無尽蔵に生み出す酒で敵を酔わせ、火をつけて、焼き尽くす。


 その集大成が『ボイラー・メイカー』――加圧沸騰させた熱湯をアルコールに変えて飛ばし、急減圧による気化・拡散の後に着火する燃料気化爆撃である。

 アクアヴィタエは高濃度のアルコールの霧で警備を酔わせて無力化したのち、この大技をヒュドラ・ピラーに撃ち込み、デスヘイズを救出したのだった。


「にしてもいきなり騙し討ちなんて、若頭は何を考えてるんでしょう。ヘイズさんも私に声をかけてなきゃどうなってたことか」

「さぁな。だがこれから東区が荒れるのは確かだ。あの冷血女の対応からして、若頭はそうとう徹底的にやる気らしい」

「何をです?」

「粛清だ。――見ろ、そこの屋上」


 デスヘイズが眼下に視線を降ろして言った。


 立ち並ぶ墓石めいた古代建築(ビル)群の屋上には、長い柱の上端にH字に組んだ3本の棒を取り付けた装置がちらほらと設置されている。


 通信用の腕木(セマフォ)である。手旗信号の要領で棒を動かして信号を送る原始的な装置だが、通信速度はクイントピア最速であり、多く設置するほど通信範囲を広くできる。東区を制覇したヒュドラ・クランにかかれば、区のどこからでもヒュドラ・ピラーに情報を送ることが可能だ。

 

「町中に通信網を作ってやがる。ピラーから同時に指揮する気だ。大勢死ぬぞ」

「うへー、嫌ですねぇ。お酒が不味くなっちゃう……」


 アクアヴィタエが顔をしかめ、胸の谷間に手を突っ込んだ。そこからポケット瓶に入った飴色のウィスキーを引っ張り出し、勢いよく呷る。


「ぷはぁーっ! ま、うちのホームは街の外ですし、しばらくは大丈夫でしょう! あー田舎者でよかったー! FOOOOOO!」

「みんなお前くらい能天気なら世界も平和だろうぜ」

「ヘイズさんも飲めばいいのに。世の中シラフでいたって辛いことばかりですよー? ほら、ジャーキーもあります」

「オレはヴィーガンだ」


 デスヘイズはすげなく返し、薬物煙草を咥えて火をつけた。

 ヒュドラ・クランは基本的に東区の中で活動しているが、酒の密造・密売を専門とするアクアヴィタエだけは都市外の湿地帯を本拠地としている。酒造には水と原料が不可欠であり、どちらも都市内では手に入らないからだ。


「で、ここからどうしましょう。他の人らに助太刀しますか?」

「無意味だな。少しばかりの延命にはなるだろうが、それでどうなるとも思えない。うちのバカ共に招集をかけて、どこぞに潜伏してチャンスを待つ」

「ならいっそ街の外に逃げちゃいませんか? 一緒に田舎でお米作って、お酒醸して楽しく暮らしましょうよぉ」


 アクアヴィタエが提案すると、デスヘイズは少し考え、首を振った。


「冗談じゃないね。オレも他のバカ共もやりたい研究が山ほど残ってるんだ。若頭の腹をかっ捌いて、生きたまま内臓(はらわた)を燻蒸消毒してやらなきゃ気がすまない」

「やぁん、ヘイズさんったらお若いんだぁ」


 強いウィスキーを水のように呷りながら、アクアヴィタエが赤ら顔で笑った。


「なら、ジョン坊にも声をかけてみましょうよ。旅は道連れ世は情けですよ」

「ジョンに? 確かに奴も嵌められたようだが……殺し以外頭にないイカレ野郎だ。こっちの言う通りに動かせるかは怪しいぞ。もう始末されてる可能性もある」

「べつに言う通りに動かす必要なんてありません」


 浅葱髪の女魔法使いが不意に怜悧さを滲ませて言った。


「ジョン坊は……まあ……油断も隙もないところはあるけど、あれで義理の人です。余計なことしなくたって、利用されたと知れば黙ってませんよ。きっと」

「普通に話して普通に頼めば十分だと?」

「誠実に、ね。愛と信頼こそ人間関係の基本ですよ……ぷはーっ! ラブイズオール! サムバディトゥラーブ! FOOOOOO!」

「……酔っ払いのくだ巻きにしちゃ一理あるか」


 デスヘイズは黒白衣の裾を翻し、空中でホバリングして下を見た。既にそこかしこで銃撃戦が始まっている。


「身支度ついでにあのガキを探してみる。死んでても骨くらいは拾ってやるか」

「頑張ってくださいねぇ。私も一旦酒蔵に戻らなくっちゃ」

「また後で落ち合おう。……このオレを殺し損ねたこと、うんと後悔させてやる」

 

 デスヘイズは〈霞隠(アトマイズ)〉を全力解放し、ほとんど目に見えない密度にまで広がると、灰色のビル街へと降下した。


 ◇


「――ジョンの野郎は行ったか。あとはヴィタエの奴がしくじらなきゃいいが」


 そして現在、暗黒娼館街。

 大通りの制圧を終えたデスヘイズが黒い竜巻のごとく上空に飛び上がり、正門から出ていった『怒れる幽霊(フュリアス・ゴースト)』の姿を探す。



 組長の死から2日間で、9人いた大幹部のうち4人が殺された。


 例えば、レッドサイクロプス・クラン残党の代表であったキラーゴブリン。

 かつての東区の覇者は2年間で主戦力の大半を引き抜かれており、組織だった抵抗などできるはずもなかった。ファイアライザーが率いる部隊に本拠を包囲され、家畜を屠殺するように処理された。


 暗黒侠客団の古親分、名うての武闘派レッドトルネード。

 武闘派らしく徹底抗戦の構えをとったが、ウォードッグ隊の統制砲撃によって壊滅的な被害を受ける。レッドトルネード自身は苛烈なる二刀流でウルフコマンダーと激戦を繰り広げたが、最期は全身に銃砲弾を浴びせられて死んだ。


 暗黒警衛衆の総長、東区の関所番センチネル。

 地の利がある関所付近に籠城したが、マグナムフィストの暗黒闘技会、およびバンブータイガー率いる本部の主力部隊から襲撃される。リバーウェイブの水龍に守りを崩され、マグナムフィストの「火焔砲」を受けて散った。

 

 あるいは暗黒愚連隊の首領、毒蛇じみた執念深さで知られたブラックマンバ。

 デスヘイズらと同じく初手で逃亡を選び、スラム街の一角に潜んだが、バウンサーらに追い詰められた先で本部要員ステイシスの待ち伏せに遭う。

 路地裏、一対一。ジョンが唯一指導役(メンター)を務めた女アサシンは瞬く間にブラックマンバの四肢を切断し、残虐に切り刻んで殺した。



 4人とも、特に仲間と思ったことはない。死んだところで心も痛まぬ。

 しかし、一連の事態がもはやギャング・クランの跡目争いに留まらず、東区のあらゆるアウトローにとっての終末戦争と化していることは、もはや明らかであった。


 邪魔者をすべて殺したチャールズは、今や組長の仇討ちという御題目すら投げ捨て、徹底的な残党狩りと組織の再編を進めている。

 これは2年越しとなるギャングの王座交代劇か、あるいは長年ギャングの傀儡となってきた東区貴族の捲土重来か。確かなのはチャールズが都市外で密かに建造していた魔導兵器を次々と配備し、過剰なほどの武力を揃えつつあることだった。

 ヒュドラ・クランは内紛によるダメージから立ち直り始めている。もうひと月遅ければ、反撃の機会は永遠に失われていたことだろう。


(だが、間に合った)


 デスヘイズは吹き荒れる冬風を捉え、数百メートル先で瞬く銃火を目指した。

 近隣の建物に据えられた腕木(セマフォ)は先んじて傭兵ホワイトリリィが破壊している。この場さえ凌げれば、当分はヒュドラ・ピラーにこちらの現在位置は露呈しない。


 南区に逃げ延びたジョン――バックスタブが、このタイミングで戦力を引き連れて戻ってきたのは、デスヘイズにとって吉報であった。


 チャールズに致命の一撃を叩き込む、今がその最後のチャンスなのだ。


読んでくれてありがとうございます。今日は以上です。

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