シガレッツ・アンド・アルコール(1)
およそ2週間前。ブルータル・ヒュドラ殺害から数時間後。
「――ジョンがヒュドラ組長を殺して脱走した? 一体お前らは何してたんだ?」
ヒュドラ・ピラー44階、汎用会議室。
深夜に突然呼び出されたデスヘイズは薬物煙草の吸い口を噛み締め、眼前の応対者に不機嫌な視線を向けた。黒い白衣には得体の知れない薬品の匂いが染みついていて、不健康な印象をさらに強めている。
「抗争の後処理中を狙われました。単独犯でなく、唆した主犯がいるものと」
会議机の向かい側、侍従服を着た銀髪の女エルフが無感情に答えた。
若頭チャールズ・E・ワンクォーターの女侍従、リフリジェレイト。
ヒュドラ・クランの正式な組員ではなく、東のワンクォーター家に仕える従者であり、勇者や魔族の時代を生き抜いてきた旧い魔法使いのひとり。氷凍魔法の技量で右に出る者はいない。
かつてのヒュドラ・クランとの抗争で、デスヘイズは前線指揮を執っていたチャールズに奇襲攻撃を仕掛け、この女侍従ひとりに返り討ちにされた。
無人の魔導車爆弾を複数突っ込ませて爆破し、敵が乱れたところを毒煙で皆殺しにする。シンプルだが防ぎようのない奇襲のはずだった。
しかし――チャールズは如何にしてかデスヘイズの接近を察知し、自身の護衛についていたリフリジェレイトを差し向けてきた。その結果、敗れた。彼女にとっては忘れがたい屈辱である。
「唆した、ね。あの殺人マシンが金や名誉にたぶらかされるとは思えねぇが」
「デスヘイズ様には彼の追跡、および謀反の嫌疑がかかっている大幹部の一時拘束にご協力願います。これはヒュドラ・クラン若頭であるチャールズ・E・ワンクォーター直々の指示です。受けていただけますね」
「『一時拘束』ときたか」
黒いアイシャドウを引いた目を細め、デスヘイズが笑う。
「さすが若頭、仕事が早いこった。ところで嫌疑のかかった大幹部って誰だ?」
「今のところキラーゴブリン様、レッドトルネード様、そしてセンチネル様です。他の大幹部の皆様にも既に招集をかけております。デスヘイズ様には――」
「待ちな。その前に説明してもらおうか」
デスヘイズが一瞬で笑みを消して言った。
「まだ嫌疑の段階で大幹部を拘束ってのはどういう了見だ? まずは大幹部を全員49階に集めて、諸々説明した上でジョンをとっ捕まえて裏を取るのが筋だろうぜ。どうしてオレひとりがこんなところに呼び出されてんだ」
「……」
「組員でもないお前がオレに応対してるのも妙だ。若頭が自分とこの執事を使い走りにするのは勝手だが、これはクランとしての重要事項だろ。当人が出てこれねぇにしても、幹部のプロフィビジョンやバンブータイガーあたりを寄越すのが普通だろ。なのに来たのはお前。若頭はオレがここで暴れ出すとでも思ってんのか?」
早口で並べ立てながら、デスヘイズはモスグリーンの薬物煙を吐いた。
銘柄は『禅』。彼女自ら調合した愛用品。メンソール入り抹茶フレーバーにブレンドされた薬剤が興奮を鎮め、思考と感覚をブーストする。
……部屋の外から忍び寄る足音がふたり。女と男、完全武装。
「匂う、匂うな。普段の若頭はこんな雑な真似はしない。何のためにここまで事を急ぐ? 思考リソースに余裕がないのか? 反乱鎮圧の大義名分があるにしちゃ焦りすぎだ」
「……」
「そもそも組長を殺したのがジョンだって情報の出所はどこだ? 大幹部の誰かが奴を唆したって話だが、どういう論理でその結論に至った? 実務をやってる若頭を放置して、組長ひとり殺して何になる? むしろ組長が死んで一番得をするのは――」
「それ以上は」
リフリジェレイトが遮った。一切の口答えを許さぬ、凍てつく氷海のような声。
「言わぬが賢明かと。チャールズ様は貴女のクランへの忠誠に期待しておられます」
「本音が出たな。……ところで、オレが今日何で遊んでたか教えてやろうか」
デスヘイズが唐突に言って、持っていた薬物煙草を唐突に手放した。
火のついた煙草が重力に引かれ、黒白衣の上に落ちてゆく。
「液体爆薬だ」
薬品の染み込んだ黒白衣に火が触れ、爆発した。
KA-BOOOOOM! 会議室のドアが吹き飛び、大量の黒煙が廊下に噴き出した。
その大部分は〈霞隠〉を発動したデスヘイズ自身である。服に染み込ませた液体爆薬に着火すると同時に煙化し、爆風に乗って離脱したのだ。
「何の備えもなくノコノコ来ると思ったか。あのガキをダシに組長を消し、逆らう大幹部も消す若頭の魂胆……それが解った以上、もうここに用はねぇよ」
「――俺の名はコールドギア!」「スノーブレイド! デスヘイズ覚悟!」
そこに廊下から忍び寄っていたふたりの魔法使いが襲い掛かった。
コールドギアは徒手の巨漢、スノーブレイドは女の片手剣士。
双方とも防毒マスクで顔を覆い、周囲には白い冷気。どちらも氷凍魔法使い。
(オレへの対策ってわけか)
デスヘイズは小さく舌打ちした。
〈霞隠〉は氷凍魔法に対して有効に機能しない。分子運動に働きかける魔法の機序が問題なのだ。冷気攻撃を受ければ煙化を保てなくなる。
今はそのような研究成果がある。抗争当時はなかった。難度が高く攻撃力に欠ける氷凍魔法は使い手が少なく、検証機会が不足していた。故に敗れた。今は違う。
「しゃらくせぇぞ、三下が! スキルに頼るまでもない!」
デスヘイズは黒い奔流めいて距離を詰め、スノーブレイドの眼前で煙化を解いた。
「自分から実体化を!?」
スノーブレイドが反射的に剣を構え、冷気を乗せた斬撃を放つ。
デスヘイズは身を低めてそれを躱し、蹴り出しの効いたタックルで組み付いた。そこからポケットに隠した短銃身リボルバーを素早く抜き、スノーブレイドの横腹に連射する。
BLAMBLAMBLAMBLAM! 357マグナム弾に臓腑を抉られ、スノーブレイドが悶える。デスヘイズは躊躇なくその頭部を掴み、首をねじり折って殺した。
「オオオオオオーッ!」
背後からコールドギア。その全身に冷気が走り、両腕を氷のスパイクが覆う。
デスヘイズは黒白衣の裾を翻してベアハッグを躱すと、カウンターの関節蹴りで敵の膝を砕き、体格差をものともせず再びタックルを決めた。
片脚を刈ってテイク・ダウン。馬乗り姿勢から胸に手を突き入れ、肋骨を観音開きにこじ開けて破壊。ガラ空きになった肺と心臓にマウントパンチを叩き込んで殺す。柔術禁じ手、ステルベン・チェストバスター!
「こんな奴らで足止めできると思ったか、舐めやがって!」
デスヘイズは死体を打ち捨て、44階の吹き抜けから躊躇なく飛び降りた。
その背後、爆薬で焼かれた会議室からリフリジェレイトが飛び出す。当然のごとく無傷。彼女もまた吹き抜けに身を投げてデスヘイズを追う。
「なるほど、鍛え直されたようで。いつかの負けが余程堪えたと見える」
リフリジェレイトの周囲にアイスブルーの魔力が迸り、氷の結晶がその体を覆ってゆく。
繊維状に質量化した魔力を含んだ氷の色は、あらゆる生命を拒絶するかのような白。
氷凍魔法と組み合わせた亜流鎧化魔法とでも言うべき氷の装甲は、実弾に対しても驚異的な堅牢さを発揮し――機械構造の模倣によって、攻撃力と機動力をも確保する。
「久方ぶりです。この氷凍鎧化を使うのは」
ZANK! 跳躍から着地までの数秒の間に、リフリジェレイトは4メートル(※メートルとは長さの単位である)近い氷の外骨格に身を包んでいた。
氷山を思わせる角ばった頭部、胴体に対して長い手足。
右腕は丸鋸形の殺人掘削ブレードを5基組み合わせたグラインダー。左腕は殺人回転銛じみたドリルランス。足先は履帯と転輪からなる無限軌道。背には冷気を噴射する偏向パドル付きブースターを備えている。
リフリジェレイト自身は胴体のコアに身を隠し、頭部装甲のスリットに作られた氷の視察窓を通して周囲を視る。これが彼女の戦闘形態なのだ!
「凝りすぎの非効率、カビの生えた長命種らしい発想だな。わざわざ魔法で作らなくても、機体を別に用意すりゃリソースが浮くだろうに」
「ご自由に。何を言おうと、所詮は負け犬の遠吠え」
リフリジェレイトが言い捨て、氷凍魔法の力を解放した。
凍てつく冷気が爆ぜ、氷の重鎧の周囲にダイヤモンドダストが舞う。
展示されているヒュドラの剥製の防弾ショーケースに霜が降り、氷が広間の床を、壁を、窓を覆っていく。大気中の水分、そして空気そのものが凍結しつつあるのだ。
冷却。氷凍魔法の基本、ただ触れた物を冷やすだけの魔法。だがリフリジェレイトほどの達人が使えば、フロアひとつが射程内となる。これにより、デスヘイズは煙化による回避や逃亡を封じられた形だ。
「これが最後通牒です。服従を誓うか、ここで死ぬか、お選びください」
リフリジェレイトが氷のドリルランスを構え、突撃の準備姿勢をとった。
VRRRRRRROM! グラインダーとドリルランスが魔力によって駆動を始め、コキュートスの削岩機じみた回転音をかき鳴らす。
「上から目線でしか物が言えねぇのか? オレが開発した技術、オレが売り捌いた麻薬がどれだけクランを潤してきたか、若頭はもう忘れちまったわけだ」
「東区のあらゆる力、あらゆる利益はチャールズ様の下で管理されるべきもの」
女侍従がにべもなく言い放った。
「それを拒むなら、排除します。これは提案でも交渉でもありません。決まったことを伝えているまで。どちらが貴女の利益となるかは、考えるまでもないでしょう」
「利益なんざ誰が相手だろうが出せる。ヒュドラ組長は良い神輿だったが、若頭は逆だな。能力はあっても人徳がない」
デスヘイズがシガレットケースから『禅』を1本抜き、咥えてライターを擦った。しかし、冷えて固まったオイルはうまく着火しなかった。彼女は眉根を寄せて舌打ちし、床に煙草を吐き捨てた。
「くたばれ、クソ野郎。舐め腐るのも大概にしろ」
「そうですか」
ZZOOOOOM! リフリジェレイトが背から冷気を噴き出し、凍った床の上を滑るように突進した。
ドリルランスが回転数を上げ、さらに濃いアイスブルーの魔力を纏う。並の強化魔法など紙屑のように突き破る強度。直撃すれば胴体に大穴が穿たれ、そのまま槍の回転に巻き込まれて全身を八つ裂きにされるだろう。
煙化で躱すことは不可能。爆薬による緊急離脱も二度は使えない。さりとて正面から組み付きにいけば、全身を凍らされて砕かれる。身ひとつで避けるしかない!
「ちッ!」
デスヘイズは2連続で側転を打ち、必殺のランスチャージを紙一重で躱した。
リフリジェレイトは脚の無限軌道を停止させて急旋回、回避先へと右腕のグラインダーを叩きつけた。デスヘイズは形振り構わず床を転がって避けた。おぞましい破壊音とともに削られた石片が宙を舞う。
「そこ」
リフリジェレイトは空中に2本の氷柱を生み出し、超音速で撃ち出した。
BBLAMN! 正確に回避先を抉る一撃。ソニックブームを伴う氷柱針弾がデスヘイズを貫き、床に縫い留めて回避を封じた。
「ぐ、く……」
デスヘイズが歯を食いしばり、肩と腹に突き刺さった氷柱を抜こうとした。
リフリジェレイトはグラインダーを床に押し付けたままブーストを吹かし、デスヘイズに向かって再突進を仕掛けた。
何たる無慈悲! 血の通わぬ殺戮機械のごとし! リフリジェレイトはデスヘイズを磔にして動きを封じ、床ごと粉々に轢き潰そうというのだ! 回転する氷の刃が、大理石の床を削りながら迫る……!
「――ヴィタエ! 助けろ!」
KRAAAAASH!
そのとき、ヒュドラ・ピラー正面玄関のガラス壁が盛大に砕け散り、青く燃える火球が広間に飛び込んだ。速度こそ遅いが、直径は5メートル近く、ミニチュアの恒星じみている。
「『ボイラー・メイカー』……!」
その正体を知るリフリジェレイトが攻撃を中断し、飛び退いて防御姿勢をとった。広間全体に広げていた氷凍魔法の力を自身に集束し、氷の外骨格を分解、再構築。防御以外を切り捨てた氷のドームを作り出す。
青く煮えたぎる火球の正体は、水流魔法の力で加圧された数百樽分のアルコールであり――広間の中央で急激に気化して、爆発した。
DDDDDDOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!
ヒュドラ・ピラーの広間を青い炎と爆風が荒れ狂った。
可燃性の物質による蒸気雲爆発は、爆炎手榴弾に代表される魔導サーモバリック兵器と同質の現象であり、熱とともに凄まじい衝撃波を引き起こす。
東区行政府のオフィスが入っている下層階のガラスが砕け、置かれているあらゆる可燃物が炎上し、膨大なエネルギーが東区最大の古代建築を揺り動かした。
「……なるほど。妙に強気に出ると思えば、既に結託していましたか」
爆風が過ぎ去った数十秒後。肌を焼くような熱気の中、リフリジェレイトが氷のドームを砕いて立ち上がった。
既にデスヘイズの姿は跡形もなく、床には氷柱が突き立った跡だけが残っていた。リフリジェレイトが魔力を防御に回した隙に、〈霞隠〉を使って離脱したらしい。
「――何があった!? デスヘイズは!?」
上階から飛び降りてきたひとりのギャングが、リフリジェレイトに声をかけた。
プロフィビジョン。本部要員、チャールズ直下の幹部のひとり。女侍従はビル内の火災を冷却で消しながら答えを返した。
「逃げられました。今の爆発は酒精によるもの。……ご覧に」
リフリジェレイトが破壊されたエントランスの外を指した。
侵入者を防ぐべき見張りのレッサーギャングが数人、仰向けに倒れて気を失っているのが見えた。いずれも泥酔しており、顔が真っ赤に染まっている。
「アクアヴィタエ様がついていたようです。デスヘイズ様を斥候として、こちらの意図を探る腹積もりだったものかと」
「なんて奴だ、組長が死んでまだ数時間だぞ。そこまで考えていたとは……」
プロフィビジョンが舌を巻き、続けた。
「あんた、追撃できるか? ピラーの守りは俺たちで受け持つ。戦力もウォッチメイカーを引っ張ってくれば足りるだろ。散々文句を言われるだろうが構うもんか」
「可能ですが、チャールズ様のご命令でなければ……」
リフリジェレイトが言いかけたとき、広間の奥で魔導昇降機の扉が開いた。
「――追撃はするな」
その中から、ヒュドラ・クラン若頭チャールズ・E・ワンクォーターが歩き出た。
如何なる感情も読み取れない無表情。鍛え抜かれた長躯を包むチャコールグレーのストライプ・スーツ。腰のホルスターに下げた不吉なる666マグナムの銃身が、魔法照明の光を受けてクロームシルバーに輝いていた。
「奴らは少人数で、本拠地もはっきりしない。大幹部やジョンを始末する前に仕掛けるのは戦線が広がりすぎる。これ以上のリソースは割けん」
「申し訳ございません。私の力不足です」
恭しく頭を下げるリフリジェレイトを、チャールズは手で制した。
「お前で無理なら誰にもできん。奴の警戒心がこちらの想定を上回っていただけのことだ。プロフィビジョンは屋上で作戦指揮に戻れ。修繕の手配は明日でいい」
「ハイ! お手を煩わしてすみません、若頭!」
「組長代理だ。これからはそう呼べ。……先に上がっていろ」
その場から立ち去るプロフィビジョンを後目に、チャールズはリフリジェレイトに向き直った。クランの事務所がある上層とは違って、深夜のヒュドラ・ピラー下層は暗く、静まり返っている。故に、ふたりの会話を聞く者もいない。
「想定の範囲内ではあるが、あの合理主義者が協力を拒むのは意外だったな」
「彼女が言うには、チャールズ様は『能力はあっても人徳はない』と」
「そうか」
エルフの女侍従の無感情な言葉に、チャールズもやはり無感情に答えた。
「よく言われる。お前もそうだろう」
「はい」
「気にするな。勝った者が正しい。そして勝つのは俺たちだ」
「おっしゃる通りです」
チャールズは頷き、破壊されたエントランスを一瞥して、言った。
「……ふたり、消す理屈をつける手間が省けた。そう思っておくさ」
読んでくれてありがとうございます。今日は以上です。
今すぐブックマーク登録と、"★★★★★"を




